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今日一日を最高の一日にするためにどうしたらいいのか、考えたことを毎朝書いてみる


はじめて、5日間連続でnoteを更新した。


きっかけは、いままで自分が自分だけのために自分だけに語り掛けていた「今日一日を最高の一日に」というフレーズを初めてnoteに表出したことにある。

きっかけは大したことではない。
フレーズも思いつきでしかない。
2024年のフレーズと言っているにもかかわらず、もう4月であり、キリも全然良くない。

これまで自分で自分だけのために自分だけに語り掛けていた「今日一日を最高の一日に」というフレーズは、それなりに効果があって、自分で自分を鼓舞するという意味が自分なりにあった。

今までも、例えばシャワーを浴びてるときに、「あーもうやだ、いろいろやだ」と思っていたとしても、「今日一日を最高の一日に」と自分に語りかけることで、なにかしらの回復を感じる気分になれるという効果があった。
じゃあ次どうしようかなって、ちょっと前向きになれる
これでも十分意味があった。

そのことも、しばらくしたら忘れてしまい、また「あーもうやだ、いろいろやだ」ってなってしまうものだけど。
その繰り返しのような感じである。

しかし、それを5日くらい前に初めてnoteで著したことで、明らかに何かが変わった。


「今日一日を最高の一日に」というフレーズは、このとき、自分の脳みそからはじめて外に出た
そのことによって、頭の中のフレーズが、文字化され、読み取れるかたちとなったこと、そしてそれがよりにもよってweb上で全世界の人に見られ得るかたちになったことで、そのフレーズは何かが変わった。

その何かを言語化するのは難しいのだが、少なくとも、自分の脳みそから外に出たことで、「今日一日を最高の一日に」というフレーズは、自分が自分のために自分だけに語り掛けるフレーズではなくなった

そうすると、「今日一日を最高の一日に」とはどういうことなのか、「今日一日を最高の一日に」するためにはどうしたらいいのか、もっとちゃんと考察した方がいいのではないか、そんな気がしてきて、表出する前よりも多くの角度・観点から考えてみるようになった

そして、その考えたことをできる限り新鮮な状態で記録に残しておきたい、残しておかないと損なのではないかと思うようになった。

noteには、毎日更新をしている人がいる。これはすごいと思うし、ちょっと憧れることもあった。飽きっぽい自分には無理なのではないかと。
実際、noteを書いてはみたけど更新が止まっては何カ月も更新しないことがけっこうあった。そもそも、短期間の更新が本当に有益なことなのかもわからない。

しかし、「今日一日を最高の一日に」するためにどうしたらいいのかを考えることは、「今日一日を最高の一日に」するために必要なことであり、かつ、「今日」しか考えられないことである。

だとしたら、その考えたことを記録に残しておくことは、少なくとも自分のためには有益なのではないか。

ということで、できる限り毎日noteにしてみようと思った。テーマは「今日一日を最高の一日にするために」

もし、これを読んだ方が、「今日一日を最高の一日にしよう」と思えたのならそれはとてもうれしいことである。
実はそう思えることが、私が私の「今日一日を最高の一日にするために」必要なことなのではないか、という気もしている(この辺のこともそのうちなにかしらの記録にできたらともおもう)。

まあ、そのことも、もしかしたら忘れてしまい、また「あーもうやだ、いろいろやだ」ってなってしまうのかもしれないけど(笑)、今日はそんな感じです。


というわけで、「今日一日を最高の一日に」


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