想像するコント、演劇が増えるともっと楽しい

発端は「さらば青春の光」

さらばの火事のネタを知っているだろうか?
「ヒーロー」というコントで面白いんだけど。

☝️気になる人は見てね(めちゃおもろいよ)

これ見てわかるように、小道具が使われていない。唯一、音と照明で火事を演出している。

見たらなんとなくわかると思うけど、勝手に見ている側が火事のシーンを想像で掻き立ててしまうんだ。

想像の余地を含んだコントとでもいえばいいのだろうか。

火事の危機感、緊急性、そこかしこに崩れているであろう瓦礫、燃え盛る炎、熱気。
それら全て見ている側が補完して見てしまう。

これ、椅子の背もたれから背を離して目の前にのめりこむ感覚みたいですごい面白い。
能動的にその世界に入ろうとしてしまう。

コントにとどまらず演劇もミュージカルですら小道具がない演劇があってもいいんじゃないか?

似たようなものは他にもある

この、発信側が情報を排除して受け手が想像しつつ楽しむ構造は他にもある。

パフォーマーの「が〜まるちょば」もそうだし、ゲームでも想像の余地みたいな話を聞く。
デザインのアフォーダンスにも言えるかもしれない。

情報の排除っていう言い方にするとネガティブになりそうだけど、人間の補完機能を逆手にとってそれを誘発するアプローチ。あたまいいコントやなぁ。

こういうアプローチがけっこう好きだなとおもった。

ちょいとこれとは路線関係ないけど、ディズニーランドのソアリンも体験側が空間に溶け込もうとする能動的な姿勢になることで楽しむことができる。
大型スクリーンの前には人は圧倒的に負けてしまうものだ。

面白い!と感じる瞬間に自分が何に前のめりに溶け込んで楽しんでいるのか、を分析すると結構面白い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?