神社に「鏡」があるのはなんで?
日々の暮らしの中で、誰もが目にする「鏡」。
朝起きて鏡で顔を確認したり、全身を写して身だしなみを整えたり。自らの姿を客観的に捉えるためにも、なくてはならないものですよね。
私たちにとって鏡は、本来であれば外からは見ることのできない「自分」を、ありのまま見つめる機会を与えてくれます。
そして、ある意味でそれは「外見」だけに留まらず、「内面」を写し出す役割も担っているとも言えます。
◆神社における「鏡」とは
神社でも、「鏡」を目にする機会が多くあろうかと思います。
御神前には必ずと言っていいほど鏡がありますよね…。
神社にこうして鏡があるのはなぜなのでしょうか。
◆神社に鏡がある理由
鏡は、神様のお姿そのものとしてお祀りされ(御神鏡)て、“神様を象徴するもの”であると同時に、私たちの「心を映すもの」でもあります。
神社における鏡は、向き合うことで自分の心をありのまま、包み隠さずに写し出すことを意味するものなのです。
神社で神様に手を合わせることは、今の自分が神様に恥じない生き方をしているかどうか、鏡を通してそっと自らに問いかけることでもあるのかもしれません。
日常の中にあるとても身近な鏡という存在も、神社という非日常の空間にある鏡の存在を通して考えると、写し出された自分を眺める気持ちも少しずつ変わってくるように思います。
◆神話に登場する神器としての「鏡」
日本には、天皇家の皇位の証として代々伝わる「三種の神器」という宝物がありますが、その中のひとつに「八咫鏡」が登場します。
これは、皇祖神であり日本の総氏神である太陽の女神・天照大御神が、皇孫に授けたものとして受け継がれ、今も宮中賢所に奉安され、日本の祭祀の中心にあるものです。
神話をひも解いてみると、古来より日本人にとって、鏡が重要な役割を果たしていたことがわかります。
神社で鏡を目にすると、神話の生まれた時代が、確かに私たちの生きる現代に繋がってきたことを感じて不思議な気持ちになりますね。
◆心の鏡を磨く
太古の昔から、日本人は折に触れて、神様に日々の感謝と願いを届けてきました。
「かがみ」の中から「我」を取り去ると、残るのは「神」になる――祈りの習慣は、鏡(神様)と向き合うことで、自らを謙虚に見つめ直す意味も込められているのではないでしょうか。
神社では、お祭りやご祈祷を行う際に、必ず関わる人や物に対してお清めとお祓いを行います。
人は心身を綺麗にすることで、嘘偽りなく、必要以上に飾らない素直な気持ちで、神様の前に立とうとしてきたのでしょう。
鏡はこういった日本の精神文化の象徴であり、古来より私たちの身近にありながらも、大切なことを教えてくれるものでありました。
神様は、私たちが心の鏡を磨きながら懸命に生きる姿を、いつも見守ってくださいます。
どんな世の中であっても、浄らかに、明るく、正しく、素直な心で生きること。それが、「鏡」が教えてくれる、神道の基となる考え方のひとつなのです。
神社で鏡を目にしたときは、神様と向き合って自分の心を見つめる、かけがえないひとときを過ごしたいものですね。
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