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菅原道真公の御名歌から見る、道真公のご生涯

秋も深まり、お月見シーズンが近づいてきました…🌕

令和6年の9月17日は「中秋の名月」でした🌕

これからだんだんと月が欠けていき、来月10月15日には「十三夜」を迎えます。

9月の「月詣」特別御朱印でも、月をモチーフに、御祭神の小野篁卿、御配神の菅原道真公や神社の動物たちが大きな月を眺めて月詣を楽しんでいます♪



◆9月「月詣」特別御朱印

季節のさまざまな美しい情景の和歌を多数詠まれてきた当社御配神ごはいしん・菅原道真公。

今月の「月詣」特別御朱印にあしらわれた道真公の御名歌は、新古今和歌集に撰されたもの。

その内容はというと、濡れ衣を着せられ配流された自らの身の潔白を詠んだ悲しい歌ながら、道真公の特出した才能が輝く美しい歌です…😢
今回はそんな道真公のご生涯に注目し、道真公の和歌について解説します!


◆「天神さま」菅原道真公 そのご生涯

当社の御配神であり「天神さま」「学問の神様」と親しまれる菅原道真公は、学者としては勿論、漢詩や和歌で多くの名歌を残され、書では「三聖さんせい」と称されるなど、類まれなる才能の持ち主でした。

藤原氏全盛の時代に宇多・醍醐の両天皇の信任を得て、学者の家という出自ながら右大臣まで登り詰めるなど、政治家としても傑出した実績を残した才人✨

多くの人々から厚い信頼を得ていましたが、時の左大臣・藤原時平の讒言ざんげんにより、無実ながら京都から大宰府に事実上の流罪に近い左遷をされることとなります。

大宰府に左遷後は俸給ほうきゅうや従者も与えられず、衣食住もままならないような厳しい生活を強いられながらも、自身の潔白やその胸の内を和歌や漢詩に託し、皇室の安寧と国家の平安を天に祈って誠を尽くされました。

濡れ衣を着せられ大宰府に左遷させられて、一族もバラバラに離されてしまった道真公。
今回の和歌は、そんな失意の中で詠まれたもの。

◆「海ならず~」その心は水の底まで照らす

悲しい歌ではありますが、同時に澄んだ水の透明感や月の光の情景が浮かぶ美しい歌です。

そして配流からわずか2年後、道真公は失意のうちに大宰府の地で非業の死を遂げることに…。歴史的な背景が重なると、よりいっそう歌の深みが増しますよね😢

最年少で文章博士になり、学者でありながら右大臣まで上り詰めた栄華を極めた人生でしたが、晩年は濡れ衣を着せられ衣食住もままならず、失意のまま窮死に追い込まれるという凄惨な最期を迎えられます。

その後、道真公の死後になりようやく身の潔白が証明されます💧

朝廷からは天満大自在天神てんまんだいじざいてんじんという御神号が贈られ、道真公は神様として祀られるようになります。

それから1100年以上の長きにわたり、全国一万二千社の天神社でたくさんの人の信仰を集め、誰もが知る「天神さま」「学問の神様」として親しまれるようになるのです…!

夜が長くなる秋は、月を楽しむのにもピッタリな季節。道真公のご生涯に心を寄せて、ゆったりと空を見上げてみませんか…🌕

「月詣」特別御朱印で篁公や道真公とともにお月見を楽しんでくださいね。

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