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第25話 損失の嫌悪

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新宿駅西口から、パークタワーに向かう道すがら。地下歩道の通路沿いには、ブルーシートがたくさん連なっていました。そこに人の気配はあるような、ないような。季節は秋。だんだんと肌寒くなってきました。

その先にそびえたつ、3連の特徴的な高層ビルが、今日の目的地です。僕たちプロトレード の3人は歩きながら、こんなことを話していました。

小野:ここのブルーシートの中の人たちは、きっとあのビルで働く人達のこと、裕福で、幸せなんだろうな。羨ましいな。って思ってるよね。
佐藤:どうでしょねー。意外と、こっちの方が自由で、面倒がなくて、幸せって思っているかもしれませんよ。
岡田:そうそう。ここの人たちは、手にすることも、失うことも、ないからね。


クレイフィッシュのオフィスで僕らは、松島社長、荒巻執行役員と、向き合って座っていました。前回のミーティングから、二週間以上が経ちました。

僕らからは、たんたんと、他の2社から、買収提案を受けたこと。条件面ではそちらのほうが、魅力的であることを伝えました。


聴き終えると、松島さんは、おもむろに立ち上がって、光通信との提携解消のプランを長々と話しだしました。かなりエモーショナルに。

そして、新しいクレイフィッシュの未来を語りはじめたのです。渾身の力で。

「ビジネスパーソンのセクレタリー」「発電所モデル」「VoIPでボイスメール」そんなキーワードが飛び出します。なんとか、自分のビジョンで僕らを惹きつけようと。

ふと隣の佐藤さん(超リアリストな商売人)を横目で見ると、イスラム教徒がレストランで、豚肉料理ばかり出された時のような顔をしていました。


次に、荒巻さんが、ロジカル シンキング・モンスターらしく、徹底的な現状分析を試みてきます。

他社の条件、競争上の強みと弱みの洗い出しなど。この交渉そのものを、楽しんでいるようにさえ思えるほどの熱さで。


− 荒巻さんを、こっちの土俵に持ち込む −

それは僕の狙いでした。スマートだけど、少し感覚派なところがある松島さんより、最強にスマートな荒巻さんの方が、与し易いと考えたのです。


ひとしきり確認を終えた荒巻さんは、「少し席を外させてください」と、松島さんと二人で部屋の外に出ていかれました。

部屋に残された僕らは、ヒソヒソ話を開始します。ちょっと法律もののドラマみたいだな。と思いながら。

岡田:小野ちゃん、何ひっぱってんだよ。どんな話になっても、ここは辞めた方がいいって。ちゃんと今日さ、断っちゃおうよ。
佐藤:んー、岡ぽんさん、条件はちゃんと聞いてみませんこと?ほかの2社も、確定したわけじゃないですし。
小野:ここは俺に任せてほしいな。どうしても気になることがある場合は、テーブルの下で、俺の足をつついてよ。そしたら、こちらもタイムアウトを取るね。


10分ほどだったでしょうか。ネットバブルの象徴と、ロジカルモンスターの二人が戻ってきました。

部屋の中に、緊張が走ります。その場で、クレイフィッシュ社による、プロトレード社買収の、再提案の説明がされました。

1. 一部譲渡による子会社化ではなく、完全買収
2. 買収金額は、競合A(楽天)の1.5倍の1.5億円
3. 役員給与は、競合B(ICG)よりは低いが、Aよりは上を出せる
4. 僕ら3人にはクレイフィッシュの執行役員の席を、来年には用意


そして、松島さんが、少しの沈黙の後、僕らをじっと見て、こう凄んできました。

こういうことは、気持ちがとても大事だと思っています。私たちは、あなたたちとぜひご一緒したいと思っているので、すぐにこの対案を出しました。

もし、私たちのこの誠意を大事にしてくれるなら、今日この場で、合意のサインをしてもらいたい。

もしここで決めてくれるならば、さらに0.3億円を買収価格に上乗せしましょう。


条件は、思っていた以上でした。
でも、思っていた通りに、心は動きませんでした。
両隣の二人から、足はつつかれませんでした。

他の株主とも相談しないといけませんから、今日はサインできません。持ち帰らせてください。

とだけ伝え、僕らはその、無機質な高層階のビルを後にしたのです。

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Why smart people make big money mistakes という本があります。そこに書かれていることを簡単にサマると、こういうことです。

人の脳には、手にする喜びよりも、失う痛みをの方を強く感じるようブログラムがされている。スマートな人ほど、その苦痛を避けるために、不要な危険をあえておかすことが、えてしてある。これを「損失の嫌悪」による判断の誤ちという。


この時のクレイフィッシュの二人を突き動かしていたのは、何としても僕らと働きたい。という気持ちでは、多分なかった。

前向きな買収ニュースを出すことで、株価の下げを止めたい。というプラン遂行のための、ターゲットを失うことを避けたい。という考えだったに違いありません。まさに、損失の嫌悪です。

ICGのジェフリーも、松島さんも、荒巻さんも、高等教育を受けたスマートな方々だったからこそ、僕らのような、吹けば飛ぶような赤字企業を、そんな金額で買おうとするというミスを、しでかしてくれたのです。

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