見出し画像

イシイのチキンハンバーグ丼ふたたび

自分の根底にあるものはそうそう動かせない。僕は人混みが嫌いだし、集団行動が大の苦手だ。それでも人間そのものは嫌いじゃないし、社会にもそれなりに関わっていたいとは思う。自分勝手だとは思うが、何とか折り合いを付けながらここまで生きて来た。若い頃は若いと云うだけで何とかなったのでぼんやりと自分の行きたい方向に歩いていれば良かったが、ここからはそうは行かない。自分の年齢をそこそこ実感するようになって来た。もうすぐ60歳。還暦。なるほど、こう云うことなのかと。しかしまだついこの間まで子供だったような気もするから(子供の頃の記憶が鮮明にある)不思議な気持ちでもある。この文章を読んでくれている若い人なんかあまりいないだろうけど、一応云っておこうかな。10年や20年はアッと云う間だよ。気を付けな、とね。もう既に文章が変な具合になっているのは気付いております。まとまらないなぁ。まとまってたらもっと偉い人になっていたか。偉いって何だ。偉い人と云うのは人のために大いに役立つ人ではないのか。僕の人生、じじいゾーンに本格的に突入だが、偉くならなくても良いのでまだ人のために何か役に立っていられたらと思う。まとまってきたぞ。そんな僕がスーパーマーケットに行って、肉周辺の棚を見ていたらイシイのチキンハンバーグと目が合った。ピタッと合ったのだよ諸君。目が合うと云うのはおかしいか。目が釘付けになったと云うべきか。ハートにキュンと来たと云うべきか。とにかくそんなわけでイシイのチキンハンバーグを買って来てご飯に載せてにして食べようと思う。それが僕の根底だ。なんのこっちゃ。

イシイのチキンハンバーグ

以前イシイのチキンハンバーグを偏愛していると書いた。大好評と云うわけではなかったのでなかなか判ってもらえなかったかと思う。

この記事の後半で、イシイのチキンハンバーグだけご飯に載せても殺風景なので、野菜のソテーなども添えてこれでどうだと悦に入っていたが、根底はそうではない。イシイのチキンハンバーグだけで良いのだ。それが正解なのだ。正解をご覧に入れよう。

イシイのチキンハンバーグ丼

イシイのチキンハンバーグ丼である。このソースの味が好きで、お皿に盛るとソースが余ってモッタイナイので嘗めちゃうと云うお行儀の悪い子供に逆戻りしてしまうので、丼にしてご飯にソースを受け止めてもらえば一挙両得渡りに船である。これは前回も書いた通り。僕の揺るぎない信念を判ってもらえるかと思う。

イシイのチキンハンバーグ丼

僕が子供の頃からお世話になっているこの味に、何か恩返しが出来ないかと考えてこの文章を書いている。それは余計なお世話か。ちゃんと石井食品のサイトに愛しのチキンハンバーグのことが詳しく載っているので御参照ください。

イシイのチキンハンバーグは、かなりのリニューアルを重ねて現在に至っているのが判る。僕が子供の頃に食べた味とは確実に違っているのだ。モチロン現在の方が安全であるのは一目瞭然。そして食べてみればその違いも歴然としている。

イシイのチキンハンバーグ丼を食らう

ウマウマウー。僕の記憶の中での対照でしかないが、現在の方がトマトのフルーティーな味わいが際立っていると感じる。僕の舌がどうしても探してしまう調味料(アミノ酸など)のバイパスもない。発売から引き算のリニューアルを繰り返しているとのことだ。その熱意に敬意を表したいと思う。

イシイのチキンハンバーグ丼を食らう

ウマウマウー。懐かしいあの頃の味をもう一度と思っていたら、現在からこの先へと自分をアジャストさせる作業にシフトしていた。イシイのチキンハンバーグ丼ブラボー。根底は変えられない。だけどそうだからと云って新しいことに目を向けなければアッと云う間に置き去りにされてしまいそうだ。ゆっくりでもまだまだ進んで行こう。こんなポジティブな結末になるとは思わずに書き始めたけれど、それもイシイのチキンハンバーグのおかげか。ありがとうイシイのチキンハンバーグ。貴方は偉い。本当に偉いと思う。これからも愛し続けます。

末永くがんばりますのでご支援よろしくお願い致します♫