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横浜市米軍機墜落時件から46年

1977年9月27日に起きた横浜市米軍機墜落事件。今年で事件から46年となった。2020年にこの事件のことをnoteに書いて、大変に多くの方に読んでもらい、今でもまだアクセスがあり、読み続けてもらっている。昨年の短い記事も読んでもらっている。今年もこの事件のことを考えてみたいと思う。

横浜港の見える丘公園にある愛の母子像

先日、横浜市中区にある港の見える丘公園に行ってきた。そして和枝さんと、裕一郎くんと、康裕くんに手を合わせた。

1964年には東京都町田市の市街地に米軍機が墜落して市民4名が亡くなっている。重軽傷者も32名にのぼった。この年には同様な事故が頻発して、5ヶ月後には神奈川県大和市にも米軍機が墜落、5名が亡くなっている。この時はアメリカ大統領から弔問の覚書があって、米軍の司令官なども相次いで事故現場を訪れて陳謝した。ところが1977年の事故の時はそうした陳謝はなく、情報統制や現場介入が行われたとのことである。向こうの都合が優先されるのは歴史的経緯から当然のようにも思えるが、どうしても腑に落ちない。理不尽であると思う。その気持ちは変わらない。

愛の母子像の碑文

風化しつつあるこの事件。僕にはこの程度のことを書くことしか出来ないけれど、忘れずにいたいと思う。

今年も皆さんに、口に出して、出さなくても心の中でも良いので「パパ、ママ、バイバイ」と云って欲しいとお願いする。どんな気持ちがするか。感じて欲しい。

今、世界はまた戦争の時代に突入しつつある。子供達の命が理不尽に奪われる事態が続いている。人類はこのままずっと愚かであり続けるのだろうか。変われないのであろうか。多くの人達に少しでもその愚かさを考えて欲しい。そして悲惨な世界を変える力を、少しずつでも、どうにかして集められないかと思う。儚い願いなのか。なかようしなはれ。その願いだけはずっと持ち続けていたいと思う。

末永くがんばりますのでご支援よろしくお願い致します♫