「樹影」 水上勉著
クレイジーケンバンドのニュウアルバム『樹影』が2022年8月3日発売されたのをきっかけに「樹影」とタイトルについた本を読むシリーズの第2弾。
「樹影」 佐多稲子著を読んだ感想のnoteはこちら。
このきっかけがなかったら手にすることは絶対になかったであろう「樹影」。縁は異なもの味なものとはまさにこれかと痛切に感じている。
「樹影」 水上勉著
太平洋戦争終戦間際の昭和20年4月、大分県別府市の孤児施設「扇山愛育園」を突然訪れた貝田雪子は、寮長の櫟山(くぬぎやま)すえに懇願の末に自分の幼い息子英男を預けて、すえとの約束を反故にして行方知れずとなる。英男の父親は東京で雪子が女中として働いていた腰本家の次男、英之。徴兵され航空隊で整備兵をしていたがあちこちの基地に移動していたため、雪子と連絡が取れなくなったのだった。終戦後東京に戻った英之は雪子の行方を捜すが、再会することは出来なかった。
終戦から20年が経ち、英之は布施家に婿入りして、東京の私立短大布施学園の理事長となっている。その布施家を何の連絡もなしに英男が訪問する。英之は外出しており、妻の志賀子が対応した。志賀子は英之に冗談めかして「あなたの子供みたいだった」と告げる。英之と志賀子の間に子供はいない。それから暫くして雪子と英男は浦和にいることが判明し、英之と雪子は再会を果たす。この時英之は英男と顔を合わせなかった。
雪子は前夫との関係が切れずにおり、それを知った英男は愛想を尽かし別府に戻る。英男は事ある毎に自分の考えを手紙に書き、英之に送り続けた。英男は障害者施設の訓練士になる道を歩むと告げていた。
様々な思惑や策略が渦巻く学園運営の中で英之は疲労困憊していた。英之は問題を起こした生徒の姉である金沢光子と知り合い、その存在に心惹かれて行く。その最中に志賀子の肺癌が発覚。病院のベッドで志賀子は英之に相談もせずに布施家存続のために養子縁組をしたことを告げる。英之の心は次第に追い詰められてゆく。そして志賀子は病院でとある日の夜明けに息を引き取る。
英男は別府での生活の中、櫟山すえや仲間との対話を通じて自分の境遇を受け入れ、自分の信じた確固たる道を歩んでいた。妻の死後、英之は別府を訪れ、英男や育ての母であるすえと初めて対面。英之は英男が立派な人間として成長していることに感銘を受ける。二日過ごした後に英之は東京に戻る。戻ってすぐに英之はふらふらと侵入した工事現場で事故死する。
ここからは僕の感想。明と暗のコントラスト。明は別府。理想郷のように描かれるが、冒頭で雪子が訪れる時は霧の深い寒い夜で、傷病兵による狂ったラッパの音色が響いている。この情景が僕にとっては一番暗く、不安と恐れに満ちているように感じる。戦争の影の重苦しさ。僕はこうして本などからしか知りようがないが、全てを狂わせ台無しにして行く戦争の悲惨さ、愚かさを心から憎む。昭和も遠くなり、21世紀も20年を過ぎて、それでもまだ世界は争い続け、憎み合い、差別や弾圧や虐殺に明け暮れている。人それぞれが立派な樹になって、その樹の下で護れるものを護り、また新しい樹が育つのを助けてはゆけないものか。英男やすえが語る言葉は綺麗事のように思えるが、綺麗事や理想こそがしっかり語られるべきで、最も大事なことだと思う。障害のある子供達やそれを手助けする人達の描写がとても明るい。天地の自然に従って助け合って生きている。このことをもっと多くの人達が学べないものかと考える。こちらの明の部分はこの物語全体の中ではサイドストーリーのように扱われているが、僕にとってはこちらこそが本筋に思える。
暗の方は、東京であったり浦和であったり、そちらの話。様々なことが起きて人が死んでゆく。でも死が暗いのはなく、生きていて迷い、流されて絆されることがとても暗い。絆(ほだ)される、と、絆(きづな)とは同じ漢字。絆は家畜を樹に繋いでおくための綱。決して連帯や信頼を意味する言葉ではない。だから僕は絆(きづな)と云う言葉を軽々しく使う昨今の風潮が大嫌い。でも絆されて生きている。自分のエゴや、好みや、嗜好や、思い付きなどに流されて、それに縛られている。自分で自分の意思を曲げたりもする。判っていて悪手を打つこともある。そこは闇で、暗い。とても暗い。
でもね、誰も憎めない。立派な樹は、その根が地面の下で大きな石を一つ抱えていると英男くんは云うけれど、立派な樹だけが樹なのではない。どんなに小さな樹も、曲がっちゃった樹も、みんな樹でさ、そりゃあみんな立派な樹になりたいとかなろうとか云う気持ちは大事だけどさ、石なんて抱えることも出来ずに、背を向け合って生きているしかない人達のことも、大目で見てあげて。お父さんはまた来るって約束を破って死んじゃったけど、大好きだったお父さんだったんだからこれからも好きでいてね。お母さんも自堕落な生活の中で大怪我をしちゃったけど、また会いに行ってあげて。物語の最後で子供達を連れて牧場に牛を見に行ったけど、みんな喜んだかな。これからもみんなを、たくさんの人達を喜ばせてあげてくださいね。僕もがんばります。
水上先生の著作は膨大な数があるが、今回初めて読んだ。この「樹影」は、水上先生の実在の息子さんが戦時中に母と共に行方不明になり生き別れて(1977年に再会)いることなどから、その息子さんへの贖罪のように書かれたのではないかとも云われている。そして大変に映像的な、ざっくり云えば昭和のテレビドラマ的な物語展開で、それも民放よりNHK(今のじゃなく昔の)を想起させた。小説、映画、テレビ、様々なジャンルがそれぞれに影響を与え合っていたのではないかと考える。これも御縁なので他の作品も読んでみようと思う。
お話の中に、英男が友達と一緒に愛育園に帰ってきて、すえ達と一緒にカレーライスを食べる場面がある。僕も無性にカレーライスが食べたくなった。
せっかくなのでレトルトのカレーでなく、ハウスバーモントカレーを久しぶりに作ってみることにした。やはり甘口でしょう。甘口で作ることに意義があると思った。辛口ならジャワカレーを使う。
カレールーを使ってカレーを作るのは久しぶりだ。ズルをしてジャガイモとニンジンとタマネギはもう煮えているパッケージのヤツを使った。調子に乗って包丁で指を怪我したら大変だ。どんなに気を付けていても怪我をする時はする。包丁を使わないのが一番の怪我回避方法。自分のずぼらさも尊重して一挙両得。
ご飯はちゃんと炊いた。それくらいはする。カレーと一緒によそってカレーライスの出来上がり。肉は豚肉薄切り。子供の頃からそれが当たり前なので問答無用。20回かい30回に1回はチキンカレーになる。ビーフカレーは外食のメニュー。厳然たる区別が存在している。
ウマウマウー。カレーを作っていたら「樹影」を読んで揺れた気持ちが穏やかになった。出来上がったカレーライスを食べたら更に気持ちがゆったりした。子供の頃から慣れ親しんだ味だ。甘口で正解。本を読んでいると、登場する誰かの気持ちの中に深く入ってしまってどうにも抜けられなくなることがある。それで心が重たくなった時はとにかく食べたいものを食べるのが一番効果がある。出来ればそれを自分で作って自分で食べることに勝るものはない。正確にはそうではないのかも知れないけれど、自分で自分を生かしている気になる。のめり込み過ぎないようにと思っていてものめり込んでしまう性分なので、今回はカレーライスに助けてもらった。サンキューカレーライス。
ウマウマウー。余談だがカレーは一晩おいた方が美味しくなると云う通説に異議申し立てをしたい。僕はカレーは出来たてが一番美味しいと思っている。ジャガイモとかタマネギがルーと馴れ合っておらず、まだそれぞれの主張をしている方が好きだ。そして冷えてしまったカレーは温めずにそのまま食べるのが好きだ。その時はご飯にかけない。カレーだけで食べる。それでイイじゃないか。文句があるか。何を喧嘩腰になっている。ケンカ反対。戦争反対。今回もまとまらなかった。まあいいか。
クレイジーケンバンドの『樹影』オリコン週間アルバムランキング9位に入りました。ありがとうございます。引き続き『樹影』お楽しみ下さい。
末永くがんばりますのでご支援よろしくお願い致します♫