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映画「シン・ウルトラマン」

映画「シン・ウルトラマン」を観てきました。僕はオリジナルのウルトラマン(1966〜67年/昭和41〜42年)をリアルタイムでテレビ視聴しています。その後の再放送や、ビデオ/レーザーディスク/DVDなどで追体験したことの方が圧倒的に自分の中に蓄積されておりますが、毎週毎週どんな怪獣が出るんだろうと期待してワクワクした毎日を送っていたことをつい先日のことのように思い出せもします。ウルトラセブン以降のウルトラシリーズは、初代ウルトラマンがベーシックにあって、その上に積み重ねられた世界。それが映画「シン・ウルトラマン」ではウルトラマンがまだ地球に来ていない世界で人類が初めてウルトラマンに遭遇するポイントに戻されるのです。僕の中では大事件。どうすればいい。どうにもならんか。観るのか観ないのか。いや、観る。観た。どうだった。その感想を書く。ちょっと待て。2022年5月13日の公開日から10日あまりで、Twitterとかでかなりのネタバレが流れてきている。読まなきゃ良かったと云うネタバレもあった。自分も感想を書いてそのネタバレの片棒を担ぐのはいかがなものかとも考えた。どんなに気を付けても感想を書けば絶対にネタバレは含まれる。なのでこの先はネタバレを読みたくない方は(なるべく気を付けるけど)回避して欲しいと思う次第。よろしくお願い致します。安全のためにこれから幾つか内容と関係ない画像を貼ります。

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これはこれで興味を持たれてしまいそうだな。

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肉ばかりですみません。

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骨も加えてみたがどうだろうか。

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しつこいですね。そろそろ本題に入ります。

映画「シン・ウルトラマン」を観た小野瀬さんに質問です。
面白かったですか? 面白かったです。
観て良かったですか? 観て良かったです。
どこが良かったですか? 良かったところがいっぱいあって選べません。
どの登場人物が気に入りましたか? 山本耕史さんです。
この映画に点数を付けるとしたら? 90点です。
マイナス10点はどうしてですか? いえ、何となく90点なので。
映画館でもう一度観ますか? はい、あと2,3回は観たいと思います。

こう訊かれたらこう答えるであろうと云うのを書いてみた。これでは何だかそんなに感動したりしていないのではないかと思われようが、そうではない。僕の中で物凄い変化が起きた。変化はまだ続いているかも知れない。僕にとっては新しいデータが入って来たのではなく、僕を僕たらしめている基本オペレーティングシステム(OSってヤツ)が大幅にアップデートされたような感覚だ。だから僕も変わってしまった。変えられたとかではない。自然に変わってしまったのだ。55年前のウルトラマンは仕事上のミスや偶然の事故などがあって地球に止まることになった。新しいのは違う。明確な意思を持って地球にやって来た。やって来るように仕向けられたとも云える。そうなのか。そうだったのか。どんなにオリジナルのウルトラマンが好きでも、「何故なんだろう」と云う事項がたくさんあって、それは何度見直しても説明されることはない。ウルトラマンのスペシウム光線や飛行の原理。地球に来る前は一体何をしていたのか(それはシンでもそんなに語られないか)。ウルトラマンの変身の原理。それらの疑問が完全ではないにせよ説明されて、それぞれが一冊一冊の本になって、本棚の然るべきところにピッタリと収まるような気持良さがあった。僕は残りの人生、そうしたことを訊かれた時に「ああそれはスペシウム133の〜」と答えることが出来る。そうしたOSに僕はアップデートされたのだ。アプリのアップデートでは決してない。僕にとってはやはりOSなのだ。若い方や初めてウルトラマンを観た方には理解しがたいかと思うけれど、そんな一大事が起きたのです、僕の中で。これが僕が「シン・ウルトラマン」を観て一番思ったこと、です。

そして今、これを云ってもネタバレにはならないと思うけれど、いやネタバレなのかも知れないが、ネタバレなのかな、大事なことを書きます。
バルタン星人は登場しません。
僕にとっては大きな大きなポイント。ウルトラマンのお話で、その後に脈々と続くウルトラシリーズの中で、最も有名でインパクトのある宇宙人、バルタン星人が登場しない。影も形もありません。じゃあ登場しないからどうなのかと申せば、出て来なかったのは大正解だと思うのです。バルタン星人の境遇は非常にデリケートで、それにもかかわらず55年前のウルトラマンはバルタンを結果的には有無を云わさず殲滅してしまった。中途半端にバルタン星人が登場しているのなら僕は観なかったかも知れない。観ても余計なことを考えて評価しなかったかも知れない。ですので、外星人1がウルトラマン、外星人2がザラブ、外星人0がメフィラス(ああこれはネタバレだ)でバッチリだと思います。素晴らしい。

メフィラス役をされていた山本耕史さんが大変に印象的だった。笑顔を崩さずに相手を見定め、見下ろし、嘲り、強要し、落胆し、驚き、そして怒った。他の誰よりもその感情をカラフルに表現しておられた。適材適所。ワタシの好きな言葉です(ネタバレね)。

ウルトラマン役(ってのも語弊があるか)の斎藤工さん。ウルトラマンでした。素晴らしくウルトラマンでした。何だかんだ云ってもこの人でないと成り立たなかったでしょう。ウルトラマン、人間、そして生命体、でした。ちゃんと狭間(はざま)にいました。

そして長澤まさみさん。弾けそうで弾けない。踏み込みそうで踏み込まない。全部持って行きそうで持って行かない。許さなそうで許した。その後はずっと許し続けた。とてもステキでした。ファンになりました。

ゼットンvsウルトラマンTシャツ

そしてゼットン。ゼットン出ます。そしてそのゼットンが怖ろしい。ゼットンは僕が知っていたゼットンではなかった。でも明らかにゼットンだった。そしてそのゼットンを地球にもたらしたのは誰か。そこがこの映画の最大のショックだった。横っ面を長澤まさみにひっぱたかれた位のインパクトがあった。地球など。地球なんて。そうだな。そうされても仕方がないよな。こんな地球じゃ。でも勝手に他のヤツらが決めるなよ。俺たちは最後の最後まで諦めない。人類なめんなよ。そこんとこヨロシク。ワタシの好きな言葉です。

ネロンガTシャツ

カイジュウは禍威獣でなく怪獣の方がピッタリくる。これはもうしょうがない。CGの禍威獣は迫力があってスゴイけれど、僕はスーツアクターによる怪獣の馴染みある動きが好きだ。時に禍々しく、時にコミカルに、ウルトラマンと名勝負を繰り広げたウルトラ怪獣たち。実際に動いているものをフィルムで撮る自然さ。とは云え、地中掘削ドリルの回転や、宇宙空間での展開と構築など、CGでないと映像化出来なかったであろう場面も多数あった。素直に凄いなと感じた。先程書き忘れたけど、ゼットン、美しかったです。

「さらばウルトラマン」って、君が云うんだね。素晴らしいな。

音楽は昔のから、最近のまで、みんなみんな素晴らしかった。僕の音楽の根底にウルトラシリーズの音楽がびっしり敷き詰めてある。基礎だ。改めて強く認識した。音楽に気を取られてよく聞き取れなかった台詞があるくらいだ。

孤独だった僕のウルトラマンがちょっと賑やかになった。これはとても嬉しいことだ。

映画「シン・ウルトラマン」を観ての感想を雑に書き散らした。文体も時系列もバラバラになった。静かに興奮しながら書いた。許されたし。他にも書きたいことはいっぱいあるのだが、せめてもう一度観て、確認してから書こうと思う。ネタバレ失礼。でもスッキリした。新しいウルトラマンOSと共に、また今日からがんばろう。なせばなる、なさねばならぬ、なにごとも。僕が好きになった言葉です。

末永くがんばりますのでご支援よろしくお願い致します♫