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メンターと憧れ。

メンターって考え方があるが、これは経験豊富な人が、知識や経験を持たない他の人を指導し、サポートする役割を果たす人物のことを指す。
ただ、最近では自分がなりたい人物像のことをメンターと呼んでいるケースが多いように見える。

個人的には、そう言った意味で誰かにサポートをされた記憶はあまりないので、僕が先輩方に抱くのはメンターというよりかは憧れに近いのかもしれない。
ああ、こんな人になりたいな。って漠然的にでも思えるような人が近くにいるって環境はかなり大事なことだと思う。

僕の場合は常にその時々で3人くらいいる。
大学生のころはスポーツ用品店のバイト先の先輩と、社員の先輩だった。
どんなところに憧れたかっていうと、この2人の先輩方のおかげで今の自分があると言っても過言ではないくらい、僕なんかよりもスノーボードを愛していたからだ。
彼らに連れられて、初めて山を登るのが好きになったしスノーボードにのめり込むようになったんだ。
初っ端からキッカーに入ったり、バックカントリーやサイドカントリーに突っ込んで行ったりと、かなり刺激的なスノーボードライフが始まった。

でも何が凄いかって、社会人や学生でも一つのことに夢中になりながら仕事も勉強もほぼ完璧にこなしてしまうその姿に感銘を受けた。
あ、俺もこういうかっけえ大人になりたい。そう感じた。

当時19、20歳そこらだった僕は本当に単純で、じゃあまずは何から始めたらいいのだろうって考えたんだけど、「スノーボードを上手くなろう!」しか思いつかなかった。
そんな軽い気持ちで、冬は午前の講義をすっ飛ばして雪山に向かったよね。
もちろんそのために車も買ったし、生活の8割くらいがスノーボードのために生きていた気がする。
単位は落とすし、バイトは寝坊するし、今思うとサイテーだと思う。
まさに、今を生きることしか考えてなかった。

で、先輩方と話しててふと気づいたんだけど、2人とも仕事はめちゃくちゃやって売上は作ってるし、講義も優秀な感じで単位取ってたの。
え?!どーやったらそんなことできるわけ?って感じだったよね。
僕には到底そんな器用なことができる力はなかったし、当時の講義は興味のない必修科目ばかりだったこともあって楽しい方ばかりに目がいっていたのかもしれないけど。

格の違いを見せつけられた気がした。
じゃあこの先輩方とは違う経験をしないと同じ土俵には立てないだろうって思ったから、カナダにスノーボードをしに行くことにしたわけ。
憧れる人たちと同じ土俵に立つためには、その人たちと同じことをしてても一生追いつけないだろうって、なんとなく直感があったから。

なんだってそうだと思うんだけど、差別化をするためには全く違ったベクトルで物事を視る必要があると思うし、途中でレールから外れないとその個性やキャラクター、パーソナリティは独立したものにならないと思う。
全く同じ人生なんて存在しないけど、憧れている人のようになりたければその人と同じ環境や同じ体験をしなければ、その考え方や生き方に到達できない。
だからよく、弟子は師を越えられないというわけ。
同じレールの上で追い抜くことは出来ないからね。だって、追い抜いたところで先が見えないから。
ま、そもそも同じ環境、同じ体験というものすら不可能な世界だと思っているし、全てを教わってるうちはその教わっていることが自分にとっての天井になってしまっているという点で、僕は師を超えることは不可能であると感じている。

だからってなぜカナダなんだって話なんだけどね。
そこら辺がもしかしたら、「頭のネジが足りない」とか「タガが外れてる」とか言われる所以なのかもしれない。
海外に行ったり、何かを始めるときに「自分探し」みたいな曖昧でダセェ理由でやったことなんて一度もない。
そう見せてはいるけど。
そこすらもカッコつける自分が好きなんだろうな。

主題と外れてナルシストの話になってしまったので、明日はナルシストな自分について書こうかな。

憧れる人がいるうちは、目標や具体的なゴールが見えやすいから簡単に生きていけるよね。
問題はその後で、憧れる人たちがいなくなっまときに自分はどう生きていくのだろう。ってことを最近よく考えている。
自分なりのイカしたおっさん、通称イケオジみたいな生き方を自分なりに模索するのは思いの外楽しい。
想像したものを全部試してみて、10%成功すれば良い方なんじゃないかって思いながらも、全部やり切りたい気持ちが強いよね。
そうやって、今度は自分が若い奴らのメンターにならないといけないんだろうな。と。


そうやって社会は回っていくのだろう。

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