精神疾患を患ったことがなくたって、大切な人はあなたにきっと救われている

 自分の精神病について、こうやって文章のタイトルにしたり、プロフィールにあえて書くことを今まで一度もしてきませんでした。

精神疾患が特別なことではないと思っているのと、普通ではない言動や行動に名前をつけることで、患者の周りが理解するための病名だと思っているからです。
この名前が付いている、付けたものについて、本人も必要なときがあるのだと病院に行って、自分が病名を言い渡されて初めて思いました。
自分にはどうにもならない、人にできることが自分にできないこの状況がおかしいと自分でも感じているのに、心も身体も言うことを聞かない。
自分は駄目な人間だ、周りも同じことを思っているに違いない、生きていけない、生きていてはいけない、こんなに辛いならいっそのこと消えてしまおう。
そんな風に延々と頭の中で思考が死ぬことを掘り下げていく。
いつ、どこで、どんな風に。時には衝動的に今すぐにと耳元で妄想が駆り立ててきます。
なかなか死ねない自分にも苛立ち、情けなさに泣くこともしばしば。

そんなさなか、あなたのその思考、身体の不調の一切が病気によるものだと、医師から言われたとき、私はいくらか心が軽くなりました。もちろん、一切なんて無責任なことはないのですが(自分にだってそうなってしまった責任というか原因があると思っています)、全てがあなたのせいじゃないんですよと言われたときの、救われようといったらなかった。

精神疾患について、親しい友達にはあまり隠さずに話してきました。
ある女友達が、病気についての理解を本やインターネットなどで外側から深めていったと言っていました。
近しい人が精神疾患で苦しんでいて、助けてあげられることはないかと色々調べたようでした。
ただ、頭でいくら理解はできても自分のなかにそういった病気の部分がないから、心から理解してあげることがむずかしいと、そのことが少しもどかしいようでした。
「自分のなかに持ち合わせていることが、きっと強みになるときがくるよ。」彼女からそう言われたのをよく覚えています。

貧弱で欠点だと思っていた部分を経験として生かせるのかもしれないと思い、嬉しくて涙が出そうになった反面、分からない立場だからこそ出来ることもあると思いました。

近いものを持っているということは、たしかに共感できることが多いかもしれません。でも、決してその子を救える訳ではないと思うのです。
連日寝れない夜に、よく眠れる薬を教えてあげるのではなく、眠れないのならせめて起きてる間気持ちが休まるようにと夜聴くのに良さそうなCDを貸してくれたのは、精神疾患を患ったことのない親友でした。

同じもの似ているものが見えるということは、他が見えていない場合もあるということです。

自分にとって大切な人が精神疾患で、助けたいけど理解できないというのであれば、理解できる人とは別の側面からの寄り添い方があると思います。

精神疾患は病気といわれているけれど、私にとっては自分の持っている側面の一つでしかありません。
昔からこんな感じだったし、当事者にとっては性格の延長線上に病気という言葉があります。

それを許して(あきらめて?)付き合ってくれている人達には感謝してもし足りません。(私が自分の友達だったら、かなりめんどくさいだろうと思うからです)

今までたくさんの友人に助けられてきました。
それは精神疾患を私と同じように患っている友人も、患っていない友人もということです。
その人のことを大切に思う気持ちは、病気のことに共感できる気持ちではないと思います。

だから病気が分かってあげられないんだとは決して思わずに、病で苦しむその人にあなたなりのやり方で心配してあげてください。

些細なきっかけで救われたり助けられたりしながら、きっと誰しも生きています。