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岡山と古墳と古代ロマン(弾丸旅行2日目④)

三泊四日にもなる西日本大横断の旅の二日目もいよいよ佳境だ。吉備津神社にて岡山の神秘に触れた俺は、更なる歴史ロマンを求めて次の目的地に向かった。


吉備津神社の散策を終えた時点で時刻はすでに午後二時を過ぎていた。計画からは大幅な遅れだ。加えてまだ昼飯を食っていなかった俺はかなりの空腹だった。急遽近場の飯屋で腹ごしらえを済ませ、次の目的地に車を走らせた。

豚太郎というそそる名前が俺を引き寄せた
特製ミソラーメン。空腹に染み渡る


日本最大の”登れる古墳“を体感する


造山古墳
。岡山市内にある前方後円墳だ。

後に見える山が造山古墳

古墳と言えばだれもが想像するのは大阪府にある世界最大級の墓である大仙陵古墳や、教科書などでよく見る奈良県の高松塚古墳など、近畿地方の古墳だろう。古墳自体は全国幅広く存在しているが、有名な古墳は大抵近畿地方にあり、大体が天皇陵として宮内庁の管轄下にある。

前に訪れた大仙陵古墳

そんな中、この造山古墳は日本で四番目に大きい古墳でありながら、天皇陵ではないという特徴がある。天皇陵ではないという事は宮内庁管轄下にないという事だ。では宮内庁管轄下に無いとはどういう事か。

答えは古墳内に立ち入ることができるという事だ。つまり造山古墳は一般人が登ることができる日本最大の古墳なのだ。

あなた方は古墳に登ったことがあるだろうか。恐らくないだろう。俺もなかった。そもそも天皇陵は立ち入り禁止だし、そうでなくとも大抵の古墳は木に覆われていたりしてとても登るどころの状態ではない。しかしこの造山古墳はある程度整備されており、きちんと登ることができる。

そういう訳で今まで遠めに眺めるだけだった古墳に立ち入ることができる興奮で俺は意気揚々と造山古墳に向かった。周囲は田畑が立ち並ぶ完全な田舎だ。こんな所に史跡があるのかと疑問に思ってしまうが、考えてみたら田舎だから壊されることなく今に残っているのかもしれない。

駐車場に着くと奇妙な化け物の像が俺を待ち受けていた

造山古墳にはビジターセンターという施設があり、ありがたいことに駐車場も完備されている。まずはビジターセンターで古墳の詳細を知ろうと思っていたが、時刻はすでに午後三時を過ぎており、センターは閉館していた。俺の杜撰な計画が仇となった形だ。だが俺はすぐさま気を取り直して古墳に向かった。

造山古墳の全容

日本で四番目に大きい古墳との事だが、遠めに見るとそこまで大きい古墳には見えなかった。だが実際に登ってみるとやはり大きいと実感させられる。段差を登っていくと前方後円墳の前方部分にたどり着いた。

登り切った前方部分。奥に見えるのが後円墳だ

前方部分は登ってみるとかなり広い。重機で土砂を運べる現代ならいざ知らず、今から1600年以上前に人力でこの大きさのものを築いたことには驚嘆させられる。単純に労働力の問題以外にも、これだけ大きなものを計算して設計する事や、この巨大な計画を実行して統率する企画力も必要になる。

登った先からの景色

こういう古代の遺物に触れて思うのは、現代だろうと古代だろうと生きている人間に違いはないという事だ。現代に生きていると過去の人間は劣っていると思いがちだ。確かに今の方が豊かな暮らしをしているし、技術においては隔絶しているが、人間の知能自体は変わっていない。

話は横道にそれるが、かつて東京国立博物館で縄文展という展示があった。俺はわざわざ新幹線に乗って見に行った。展示品の中には有名な火焔型土器があった。当然教科書なんかで見たことはあったし、写真で見たそれを変なかたちだなぐらいにしか思っていなかった。

縄文展の時の写真

だが実物の火焔型土器を見て俺の考えは完全に変わった。あのグネグネした形や謎めいた文様は歴とした装飾なのだと実物を見て、実感した。

何を当たり前の事を言っているんだとあなた方は思うかもしれない。だが知識として知っていることと実際に感じて知ることは全く違う。俺も当然あれが装飾なのは知っていた。だが一方で所詮太古に生きていた縄文人の幼稚で未開な美術だろうと心のどこかで軽んじていた。

しかし実物を見て悟った。俺があれを見て装飾だと感じたという事は、あの形や模様に美意識を感じたという事だ。それは今より劣った技術でありながら縄文人が自ら考え、試行し、表現した美意識に他ならない。それが現代に生きる俺にも通じたという事だ。

何千年も前の人間と現代の人間に通じるものがあるというのは俺の中で衝撃だった。技術の違いはあるが、人間の知能は縄文時代の昔から現代まで進化していないというのが、それ以来の俺の考えになった。

余談が過ぎたが、ともかくこの造山古墳に登って感じることはその大きさと、それを成すための人の営みだ。古墳は何も語らないが、古代と今とのつながりを確かに感じられた。

後円墳に登る道のり
後円墳から前方部分を望む
後円墳からの眺め。奥に見える鳥居は最上稲荷のもの


日本唯一の復元古墳へ


造山古墳の周辺には小規模の古墳が点在している。いわゆる陪塚というやつだ。造山古墳の前方部分の先から降りていくと、そんな陪塚の一つにたどり着く。

奥に見えるのが陪塚の一つ

造山古墳は立ち入ることができる日本最大の古墳として極めて貴重な存在だが、実はその陪塚にも珍しい特徴がある。古墳と言えば大仙陵古墳のように木で覆われた状態が一般的だが、元の姿はそうではない。

古墳上で祭祀を行っていたとされるぐらいだから当然人が立ち入り整備された状態だったはずだ。そんなかつての古墳の姿を再現した日本でも珍しい古墳が、この造山古墳の陪塚である千足装飾古墳だ。

千足古墳近景
装飾の名の通り当時の様子を復元して装飾されている

日本では史跡はそのままの形で残すという考えが一般的だ。歴史の古い寺院などは、例え柱の色が剥げようとそのままにする。そして我々はその剥げた柱を見て歴史を感じようとする。そういう意味では古墳に手を加えて元の形に戻そうとするのは日本人の情緒に反するかもしれないが、当時を感じる手段としては面白いと俺は思う。

前方部分には埴輪が並んでいる
右奥に見えるのが造山古墳

しっかりと舗装され形を整えられた千足古墳は、草木に覆われて鬱蒼としていた造山古墳とはまた違った感覚で古代に思いを馳せることができる。

古墳内部に入れるはずが、すでに見学時間を過ぎていた
入れなかった石室の案内
古代のロマンに別れを告げる


岡山に背を向けて、次なる地へ


かなり無計画に、時間の猶予もない中で訪れた初めての岡山市であったが、期待以上の面白さだった。古代の吉備国というロマンに触れられた道中だった。巨大な造山古墳や立派な社殿を持つ吉備津神社など、古代の吉備に大きな勢力があったという話もうなずける内容だ。今回は短い滞在だったが、古代のロマンだけでなく岡山城や後楽園など、気になる史跡が多いのでまたの機会に訪れたい場所だった。

横目に見える備中国分寺の五重塔に後ろ髪惹かれつつ、初めての岡山を後にした。岡山は無計画な旅程だったが、二日目の宿泊地は予め決めていた。広島県の東境である福山市にある港町、鞆の浦だ。

2日目の最終旅程。200km超の移動となった

元々鞆の浦は俺が国内の死ぬまでに行きたいリストの一つに入る場所だったので今回で念願叶ったかたちだ。だが計画ではこの日の昼過ぎには鞆の浦に着き、周辺を散策して夕方にホテルに戻る予定だった。しかし実際はようやく鞆の浦に着いた頃にはもう日没が迫っていた。俺は周囲の散策を早々に諦め、何とかこの日の宿である鷗風亭にたどり着いた。


ホテルのロビーから見える仙酔島の姿が美しい

鷗風亭は鞆の浦の海沿いに建つホテルだ。俺がこのホテルを選んだ理由はただ一つ、オーシャンビューの眺めだ。部屋から眺める備後灘の風景は素晴らしいの一言に尽きる。三泊四日の旅程の中で一番宿泊費が高かったのも納得の贅沢さだ。そして地元の食材を使った料理に舌鼓を打ち、海が目の前に広がる露天風呂でこの日の疲れを癒し、充実した一日は暮れていった。

部屋からは夕暮れの美しい海の眺めを独り占めできる
部屋から眺める仙酔島
鷗風亭のディナー 前菜
海の幸
そして陸の幸
広島が好きじゃけぇ

明日は待ちに待った鞆の浦巡りだ。

(つづく)


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