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正月と日記と時の流れ

気が付けば年も明け、あっという間に2024年が始まっていた。

俺は季節感を大事にしない男ではあるが、さすがに正月ともなると気分も一新し自然と心浮かれてきてしまう。この浮かれ気分に引きずられ、俺は柄にもなく正月らしいことがしたくなっていた。一年の計は元旦にありと言う。俺はこの一年をスマートに生き延びるため、正月の本屋でシステム手帳を買っていた。

ティピカル・サラリマン・イメージ

システム手帳。それはデキる大人の必需品。

スーツで決めた大人たちがスマホ片手に皮装丁の手帳を開き、取引先との予定をびっしりと書き込んでいく。そんなバリバリ仕事をこなすビジネスマンのイメージがシステム手帳には付いている。

実は俺がシステム手帳を買ったことは一度や二度ではない。華麗な大人のアイテムに憧れて、何度か手にしたことがある。だが俺は無計画を信条としている男だ。何事にも縛られることが嫌いな俺は予定というものほど苦手なものは無い。俺とシステム手帳との相性は最悪だった。こうして俺の下でいくつものシステム手帳が葬られていった。

そんな俺が今回購入したのは博文館新社のデスクプランナーB6・7日というやつだ。

どこの本屋でもシステム手帳が並んでいるエリアがある。手帳の中身から大きさ・色など様々な種類が並んでおり、優柔不断な人間はついに選ぶことができず惨めな敗者になること必定だ。だが油断のない俺は全てのシステム手帳をしっかりと吟味し、俺の目的に合う一冊を見事に選び取った。

博文館新社のデスクプランナーにはいくつも種類があったが、このB6・7日というやつは他の手帳とは一味違っていた。最初に一年分のカレンダーがある所は他と一緒だ。その後には1ページごとに一週間の日付とメモ書きができるページが続いている。

これが俺の気分に合っていた。予定を立てるのは嫌いだ。だが、日々の記録を残すちょっとした日記としてなら活用することができるのではないか。
俺は記録を残すのが好きだ。このノートを書くこと自体が自分の記録を残すことでもある。

どんなクソみたいな内容だろうと書いておけば日記になる

例えば食べログなんかで口コミや写真を投稿したりするのも、それで自分の行動を遡って眺めて悦に浸るためだ。そんな俺ならば日記としてシステム手帳を活用できるのではないか。その思いが俺にこの一冊を選ばせた。


日本人は日記をつけるのが大好きな民族らしい。
というのも、最近読んだ本の『藤原道長「御堂関白記」を読む』の中にこんな一節がある。

平安時代に入ると、天皇以下の皇族、公卿以下の官人が日記を記し、後の時代になると、武家、僧侶、神官、学者から庶民に至るまで、各層の人びとによって記録されている。これは世界的に見ても日本独特の特異な現象であって、日本文化の本質に触れる問題なのである。

藤原道長「御堂関白記」を読む

平安時代は日記の宝庫だ。国宝になっている藤原道長直筆の御堂関白記をはじめ、藤原実資の小右記や藤原行成の権記など日々の出来事を簡素に記録した正に日記といったものから、土佐日記紫式部日記など日記文学とされるものまで様々だ。

そもそも俺が日記というものに興味を持ったのは角川ソフィア文庫の『ビギナーズクラシック日本の古典 小右記』を読んだからだ。

それまで俺は平安貴族の日記なんて日常の出来事の記録が延々続くだけで、読んだところで何も面白くないだろうと思っていた。ところがこの本は違った。正直日記自体は本当にただの記録なので読んでいても面白くはない。だがそこに専門家の解説が入ることで無味乾燥だった一文が意味を持ち、活き活きと歴史の一幕を描写してくれるのだ。

例えばある日の日記に二日酔いで陣定という会議に欠席したという短い記事がある。そのまま見たら何のことない内容だが、その解説では陣定は末席から発言するため日記の著者である藤原実資の欠席は目立っただろうということ、当時の酒はアルコール度数が低いため飲みすぎると後がひどくなること、さらに糖質の高い酒を大量に飲んでいたので多くの貴族が糖尿病に苦しんでいた可能性があることなど書かれており、こんな短い記事からも当時の暮らしを垣間見ることができる。

著者の倉本一宏氏の筆が光っている一冊だ。さらに上記の『御堂関白記を読む』も倉本氏の著書だし、今読んでいる権記の全訳版もこの人が出している。いつかは小右記の全訳版も読んでみたいものだが、探した限り小右記の全訳は単行本でしか出ていなかった(ちなみにこれも倉本氏の翻訳)。俺は本はできる限り文庫本で読む主義なので、いつか文庫で出版されないかと密かに期待している。

『藤原道長「御堂関白記」を読む』の終章で、藤原師輔という人物について軽く触れられている。藤原師輔は、摂関政治の栄華を極めた藤原道長の祖父にあたる人物だ。師輔は子孫に家訓を残すタイプの偉人だったようで、「九条殿遺誡」という家訓書を残している。

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この家訓によると、平安貴族たるもの朝起きたらまず属星の名を唱え、鏡で姿を確認し、暦を見てその日の吉凶を知り、歯磨き手洗いを済まし、仏と神社に祈りを捧げ、その後で昨日の出来事を日記に書くように説いている。

朝飯前にこのタスクをこなすのだから忙しいように思えるが、逆に時間に余裕があったようにも見える。特に朝の出勤前に前日の日記を書くなど俺にはとても考えられない。俺の朝のルーティーンなんて6時半に起きて着替え歯磨きを済ましたら7時にはもう出勤だ。流石平安のお貴族様は朝も優雅でいらっしゃると皮肉を言いたくもなるが、そこで俺はふと考えた。

古代の人間に、時間に追われるという概念があったのだろうか。

俺が今、部屋を見渡しただけでも、時計をはじめ、時刻が表示されているものが5つもあった。我々現代人は腕時計やスマホで常に時刻を持ち歩いている。身につけていなければ不安になるぐらいだ。

一方で平安時代を生きた藤原師輔の頃はどうだったのか。「官職要解」という本を見ると、当時の朝廷には漏刻博士という時刻を計り鐘を打たせる官職が存在していたようだ。要するに時計の役割は役人の仕事だった訳だ。だから師輔や道長が時間を知りたくなった時は、「今何時?」と使いっぱしりを漏刻博士のもとに送っていたのかもしれない。

だがそもそも彼らは現代人のように頻繁に時間の確認をする必要など無かった気がする。当時の日記を見ていると、朝何時に出勤して…みたいな記事は見かけない。むしろ朝職場に出勤したら誰もいなかったのでそのまま帰ったとか、大事な会議に責任者が来ないとかそんな内容が頻繁に目につく。

現代の官僚たちがそんなグータラだったら世間から非難轟轟だろう。どうやら昔の日本人は時間にルーズだったようだ。分刻みのスケジュールなど考えられず、まして時計に秒針があるのを見てなんでこんなものが必要なんだと不思議に思われるかもしれない。

時間に厳格な日本人というイメージは、近代以降に作り上げられた幻なのだ。俺は由緒正しい日本人として今年もグータラで過ごしていこうと心に誓った。


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