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『物語る』ことは、欲望を可視化することーWIRED×サイバーエージェントのSci-Fiプロトタイピングに参加しました。



WIRED Sci-Fiプロトタイピング研究所が、サイバーエージェントと行ったプロジェクトにSF作家として参加しました。

テーマは「ミラーワールド/メタヴァース時代のメディア・広告の未来」。

事例記事がWIRED.jpで公開されています。


私は常々、創作とは自分の欲望と向き合うことだと考えている。

「そうであってほしい未来」もしくは「そうであって欲しくない未来」。

未来に関する欲望は、裏を返せば現状に対する不満や、ニーズがその根幹にある。社会や政治の在り方への不満も、突き詰めれば個人的な生理的・内的な欲望にたどり着く。

それを主人公の行動として転換したものが、物語なのだ。

どんなに個人的な物語でも、どんなに巨大な世界の変化を描く物語でもそう。

作者個人の、現状を変えたい、未来はこうであってほしいという欲望が想像の枝葉を広げる元にある。

「ピュア」を書いた時も、現代の女性があまりにリプロダクティブ・ヘルスに関して自己決定権のない立場におかれていること、恋愛結婚の場面においても受け身であることがよしとされることへの不満みたいなものが私の中にあり、それを覆すような世界を設定してストーリーを作った。

「SF」というと遠い未来を描くもののように思われがちだが、結局のところそれは現代が抱える「問い」と地続きであり、科学技術は私たち個人の欲望あるいは不満から生まれるものであり、未来もそうである。

物語を書くことには、その、私個人が(内的にあるいは外的に)抱える欲望が見ず知らずの他人と共有される文字の列に変換される、その落差からもたらされる凄まじい快感みたいなものがあって(『物語る』ことで癒しが生まれるのはその効果だと思う)、それゆえにやめられない。

けどそれが、個人的な営みとしてでなく、多くの人の関わる企業のプロジェクトにおける一ツールとして機能するとは思わなかったし、実際にやらせてもらってエキサイティングだった。


自分の欲望がコアにない想像というのは、聞いていてもつまらない。

つるっとした、誰かのアイデアから借りてきたような実体のないキレイな未来予測は、全然面白くない。

だから、WS中はとにかく、参加者のみなさん自身の個人的欲望に依拠して考えてほしいという話をした。

(この辺りは、私が不定期で行なっているクリエイティブ・ライティングのワークショップやオンラインサロンで言っていることと近いものがあり、やってて良かった…と心の底から思った)

その結果出てきた参加者の方々の「欲望」は、いち読み手として非常にエキサイティングだったし、私自身の想像を書き立ててくれるものだった。

個人の欲望から出てきた未来予測が、多少グロテスクで、共感を得られないようなものだったとしても「ありうる未来」としては単純にすごく面白いのである(そしてそれは往往にして、割とあり得てしまったりする、ということを私たちは2020年から始まったパンデミックから学んだはずだ。感染拡大下でのオリンピックなんて、誰が想像しただろうか?)


SFプロトタイピング事業は国内でも盛り上がりを見せているようだし、母校の成蹊高校でも開催することが決まった。今後もこの力を役立てていきたい限りだ。


お世話になった皆様、ありがとうございました。




参加者から出たアイデアを元に書いたSF小説「容れ物たちの話」はこちら。1万7千字。

2060年、東京。たび重なる災害によって人々は経済活動の場をメタヴァースにシフトしていた。そんなメタヴァース空間にて、人気絶頂のなかで自殺したアイドル・篠崎ありあの人格データが復元される。事務所は彼女の意向を無視してライヴ出演を強行しようとするものの──。


リリースはこちら。

日経新聞にも記事が出てるみたい。


ありがとうございます。