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船をつくるという仕事_いままでとこれから編

因島(いんのしま)の「造船」をテーマに、前回と2本立てでお送りしています。

今回は因島鉄工業団地の3社とアイメックス(分社化前は日立造船)のご協力のもと、尾道のものづくりの現場をレポートします(尾道市地域おこし協力隊|instagram / note )。

2本目のこの記事では、因島の「造船の歴史と未来」を扱います。「いやいや、造船って身近でもないし….」という方が大半かと思いますが、

「都会にいるけれど、地域とのつながりをもちたい。」
「移住して、本業や副業で地域の役に立ちたい。」

という方に向けて、尾道の地場産業である造船の、未来に向けた取り組みの話を中心にお届けできればと思います。その前に、造船の歴史を少しお話します。

造船のいままで

アイメックス本館内 日立造船記念室所蔵

因島で現在のような金属製の船をつくるようになったのは、明治時代(1868~1912)以降と言われています。約150年前のことです。

もともと因島や、隣の生口島(いくちじま)では、船で荷物を運ぶ産業が発達しており、木造船の造船や修繕がおこなわれていたそうです。

西洋から金属製の造船技術が伝わってきた明治時代初期に、因島の南部・土生(はぶ)や三庄(みつのしょう)で、造船や船の修繕をする施設(ドック)や会社がつくられたのは自然な流れなのかもしれません。

同時期に、因島の隣・向島(むかいしま)でも造船の工場や会社が設立されています(それより後に生口島でも設立されました)。

因島の南西が土生(はぶ)、南東が三庄(みつのしょう)

造船業は、その後戦争による好況と終戦による不況を繰り返します。

因島にできた2つの造船会社も、設立後すぐに日露戦争の終戦で操業を停止。その後、大阪鉄工所に2つとも吸収合併されました。

大阪鉄工所というのは、イギリス人のE.H.ハンターが設立した、日立造船の前身となる会社です。

前回や今回の記事に登場する因島鉄工業団地は、それから約50年後に日立造船の呼びかけでつくられました。「船体ブロック」と呼ばれる、船のボディとなるパーツをつくる会社を一つの場所に集めることで、材料や機材の共同利用によるコスト減や、製造工程の効率化などを実現しました。

因島鉄工業団地

その後も、1970年代のオイルショックやバブル崩壊、IT技術の発達を経て、造船業の縮小と省力化が進みます。

そして1987年、自動車運搬船「栃木丸」を最後に、因島工場を閉鎖したことで日立造船の造船事業は終わりを迎えました。

栃木丸 (アイメックス本館内 日立造船記念室所蔵)

日立造船が船を造らなくなった後も、因島鉄工業団地の各社は他社からの受注を得て、現在も稼働し続けています。

造船のこれから

つづいて因島鉄工業団地の3社から伺った、現状と今後に向けた新しい取り組みについてお伝えしていきます。

造船鉄工祭(ぞうせんてっこうさい)

はじめにご紹介したいのが、因島鉄工業団地で毎年(去年、一昨年は中止)10月後半に開催される造船鉄工祭です(一昨年のサイト)。

期間中は、普段一般の方が立ち入ることができない工業団地の中を、子どもから大人までめぐり歩くことができます。工業団地内の工場を回るツアーや、近隣の中学校を会場にしたものづくりワークショップ、食べ物のマルシェや屋台なども楽しめます。

力を入れてつくっているパンフレット

東京スカイツリーを支える技術

左:穴開け技術、右:技術を使ったペン立て(上)と怪獣(下)

「うちの技術を使って、こんなものをつくってみてよっていうアイディアがあったら教えてください!」

そう快活に答えるのは、新松浦産業の代表・柏原さん。因島鉄工業団地にある創業100年の歴史ある企業で、金属に穴をあける加工や、削る加工を得意としています。

造船で使っていたこの技術を、現在は因島大橋などの橋の部品や、重機の部品、また東京スカイツリーの揺れ止めの部品の加工にも活用されています。

先の造船鉄工祭では、立ち上げから関わられている柏原さん。鉄工祭がきっかけで、近隣の小学校に出張授業で造船の話をしに行くようになりました。「小学生のつかみはこれでバッチリ」と言う怪獣のオブジェ(上写真の右下)は、新松浦産業の技術をすべて詰め込んでいます。

インスタスポットとエコ発電機

尾道市役所の屋上に、今年1月新設された写真スポット。実はこれをつくったのは因島鉄工業団地の片山工業。そう、造船技術が使われているのです。

ことの発端は、片山工業が造船鉄工祭のためにつくった恐竜のオブジェ。

金属板を切り抜く技術を使ったこの恐竜がきっかけで、尾道の美大生がデザインを、片山工業が実際の制作をすることになりました。

左:切り抜く機械、右:恐竜オブジェ(上)、看板(下)

もう一つ、片山工業が現在メイン事業としてつくられているのが発電機の関連装置。畜産(牛鳥豚)の糞尿発電や、ごみ発電、間伐材の木材発電などリユース・リサイクル視点の発電プラントづくりにも関わっています。

「昔は船体ブロックをつくっていたので、船の技術を応用して、発電機の製品の知識・技術を勉強しながらつくっています。」

代表の片山さんによると、発電プラント以外にも、食品工場や、携帯ショップ、河川の水門などに使われる大小さまざまな自家発電機の部品も製造しているのだとか。停電が起きても、工場を稼働させ、携帯の電波を届け、河川の氾濫を防ぐ水門を動かすために、造船技術が活用されているのです。

アウトドアと農業でも活躍

防波堤の土台

因島鉄工業団地には、現在もメイン事業が造船という会社も多くあります。

その1つである岡本製作所は、少しユニークな事業展開をしています。造船技術を活かして防波堤の土台などの大型構造物の製造をしている他、自前のクルーズ船で観光客向けに船旅を提供するサービスを準備したり、農業分野にまで挑戦の幅を広げたりしています。

クルーズ船事業

「農業をはじめて、いろいろなところから金属加工の話が来るようになりました。農家さんは鉄を扱えないから、補ってあげたら双方にとって良いですよね。」

そう話す岡本製作所代表・岡本さんは、社員さん曰く「フットワークの軽い」ひと。

本業の造船業の傍ら、縁あって「しまなみリーフ」という新品種の葉野菜を育てる事業を3年程前からはじめました。製造関連の新しい受注につながっているだけではなく、社員の造船リタイア後の雇用創出としても一役買っているそうです。

しまなみリーフ(植え付けの様子)

最後におまけでもうひとつ。
岡本製作所のクルーズ船事業の他に、アウトドア関連でこんなものをつくった造船会社もあります。

BBQセット

因島の南東部・三庄(みつのしょう)にある松本工業所がつくったBBQセット。遊びでつくったところ、地元のひとから好評で次々と注文を受けるようになったのだとか。

このように生活基盤のインフラから、娯楽や雑貨まで、大小様々なものづくりに活用できる造船技術。気になる方は、ぜひ因島を訪れて話を聞いてみたり、造船鉄工祭で生の造船現場を訪れてみてはいかがでしょうか。

「造船」をテーマにした記事の2本目、いままでとこれから編はここまで。1本目のビジュアルツアー編をまだご覧になられていない方は、以下よりご覧いただけます。

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