ディケンズ『クリスマスキャロル』訳注つき和訳:第1節よりマーレーの幽霊との会話の場面(前半)

和訳第7弾。マーレーの幽霊との会話の場面(前半)です。既存訳にしっくりこなかった人の参考になれば幸いです。間違いを見つけたらぜひコメントください。

爪楊枝(つまようじ)の箇所のやりとりが意味不明だと思った人いませんか?訳注で解説つけています!

他の箇所の翻訳も含めて以下のマガジンに、まとめてあります:

(最終更新日2021年12月13日)

“It’s humbug still!” said Scrooge. “I won’t believe it.”

「まったく、くだらない!」スクルージは言いました。「信じるものか」
 そいつが重厚なドアに立ち止まりもせず、通り抜けて部屋のなかへ入って来るのを目の当たりにして、彼は血相を変えました。そいつが入ってくるなり、炎は消える間際のように明るく[*訳注1]燃え上がり、まるでこう叫んでいるかのようでした。「そいつを知っているぞ。マーレーの幽霊だ!」そして再び小さくなりました。

*訳注1 原文は"dying flame"であり「死にかけの炎」。ろうそくの炎は消える直前にぱっと明るく燃えだすが、ここではその炎のことを指している。マーレーが死んでいることと掛けていると思われる。

 同じ顔でした。まったく同じ顔でした。後ろで編んだ髪に、いつものチョッキ、いつものぴったりとしたズボン、いつものブーツでした。ブーツのふさ飾りは、そいつの後ろ髪や、上着のすそ、頭の髪の毛と同じように逆立っていました。そいつは鎖を引きずっていて、鎖は腰のあたりに取り付けられていました。長くて、取り巻いていて、まるでしっぽのようでした。スクルージが注意深く見てみると、鎖は、金庫や、鍵、南京錠、帳簿、証書、重厚な財布、これらが鋼鉄となってできたものでした。体は透けていて、スクルージがよく観察してみるとチョッキを透かして上着の後ろ側の二つのボタンまで見えました。
 マーレーは情が薄くて腸(はらわた)が無いやつだ[*訳注2]と言われているのをスクルージは耳にしてきましたが、決して信じはしませんでした、このときまでは。

*訳注2 原文は"Marley had no bowels"で、かつてはbowel(腸、はらわた)に感情が宿ると考えられていたことから"no bowels"には、情けが無い、情が薄い、の意味がある。そこをあえて文字通りに解釈した言葉遊びがなされている。訳では両方を書いた。

 いえ、今でもまだ信じてはいません。彼は、じっとその亡霊を見つめ、そいつが目の前に立っていることを理解しました。死んだ冷たい目をしていて、そのせいで身が凍える気がしました。そいつの頭と顎(あご)を縛っている折り重ねたハンカチの織り目まではっきりとわかりました。その巻いたハンカチは前にはみられないものでした[*訳注3]。彼は、いまだに信じられず、自分の感覚に対して抵抗していました。

*訳注3 このハンカチは、遺体の口を閉じた状態にするために死後硬直までになされる処置として縛った布だと思われる。

「なんなんだ!」スクルージは、いつものように辛らつで冷たい口調で言いました。「おれに何か用があるのか?」
「大いにある!」─その声は疑いようもなくマーレーの声でした。
「おまえは誰だ?」
「誰だったかを尋ねよ」
「では、おまえは誰だったんだ?」スクルージは声を荒げて言いました。「ばけてでたわりには[*訳注4]、几帳面だな」彼は「ばかにこまかくて[*訳注5]」と言うつもりでいたのですが、そっちの方が合っていると思って言いかえました。

*訳注4 「ばけてでたわりには」の箇所は、原文では"for a shade"で「幽霊のくせに」の意味。このshade はここでは幽霊のこと。
*訳注5 「ばかにこまかくて」の箇所は、原文では"to a shade"で「細かいことに」の意味。原文では、for と to の前置詞だけの言いかえになっている。訳では先頭文字「ば」で韻を踏むようにして「ば」を発しようとして気が変わったことにした。

「生前は、おまえの共同経営者だった。ジェイコブ・マーレーだ」
「おまえは─座ることができるのか?」スクルージは、彼を疑わしげに見つめながら言いました。
「できる」
「では、そうしてくれ」
 スクルージが尋ねたわけは、そうした透けている幽霊が椅子に座れるのかわからなかったからです。それと、不可能な場合には、面倒な説明が必要となると感じたからです。ですが、幽霊は、暖炉と向かいあう椅子に座りました。まるで、とても使いなれている椅子であるかのように。
「おまえは、おれの存在を信じていないな」幽霊は言いました。
「そうだ」スクルージは言いました。
「おまえの感覚の他に、証拠として何があればおれの存在を認める?」
「わからない」スクルージは言いました。
「なぜ自分の感覚を疑う?」
「なぜなら」スクルージは言いました。「ちょっとしたことで影響を受けるからだ。胃のちょっとした不調にさえ騙(だま)される。おまえは、未消化の牛肉のひと切れかもしれない、少しのマスタードかもしれない、チーズのかけらかもしれない、生煮えのじゃがいもの切れ端かもしれない。おまえの場合は、墓(グレイヴ)というよりも肉汁(グレイビー)だな、何者であるにせよ」[*訳注6]

*訳注6 「墓(グレイヴ)」は原文"grave"、「肉汁(グレイビー)」は原文"gravy"であり、つづりや発音が類似している。墓は死をイメージするためマーレーの幽霊に合う言葉という前提があっての言葉遊び。スクルージは、胃のなかにある gravy が影響してマーレーの幽霊が見えているのだろうと言っている(ジョークとして)。体を持たない幽霊なのに「肉」の汁という矛盾もジョークとしての面白さのひとつと考えられる。

 スクルージが冗談を言うことはほとんどありません。それにこのときは、どうやったところで心から滑稽(こっけい)には感じられません。実をいうと、彼は自分自身の気をそらし恐怖を抑える手段として、ユーモアのある人間のふりをしたのでした[*訳注7]。というのも、幽霊の声が骨の髄までも不安にさせたからです。

*訳注7 原文は"he tried to be smart"である。話の流れにあうように意訳した。

 動かずどんよりとしたそいつの目をみつめて黙って座っていたら気が変になりそうだとスクルージは感じました。幽霊は独特な地獄の雰囲気を身にまとい、そこから恐ろしげな何かを発していました。スクルージにはその何かを感じとることはできなかったのですが、何かがあるのは確かです。幽霊はまったく動かず座っているのに、その髪や、すそ、ふさ飾りは、かまどから出る蒸気を受けているかのように揺れていたのです。
「このつまようじが見えるか?」スクルージは、先ほど説明した理由のために、すばやく攻撃体制に戻り、言いました。石のようにじっとして見つめている視線が、ほんの少しのあいだだけでも良いから、それてくれることを期待しました。
「見える」幽霊は返事をしました。
「つまようじの方を見ていないぞ」[*訳注8]スクルージは言いました。

*訳注8 原文は"You are not looking at it"であり、"look at"に含まれる「対象に視線を向ける」の意味で見ることをスクルージはここで求めている。

「だが見える」[*訳注9]幽霊は言いました。「視界には入っている」[*訳注10]

*訳注9 スクルージの期待と異なりマーレーは"I see it"だといって「視界に入っているから、それで構わないだろ」と返している。スクルージが最初に「見えるか」と尋ねたときに"see"を使ったことの揚げ足とりになっていて、細かいことまで気にするマーレーらしさがここで再びあらわれている。
*訳注10 原文では単に"notwithstanding"で「それでも」の意味だが、訳では日本語訳の会話が最低限成立するように説明する言葉にした。

「なるほど!」スクルージはこたえました。「それでは、この事態を飲み込んで[*訳注11]、今後はゴブリンの軍団に、おのれの作り出す想像上の産物に、悩まされる日々を送らねばならないな[*訳注12]。くだらない、本当に!くだらない!」

*訳注11 原文は"swallow this"で多様な解釈ができるように書かれている。"swallow"には「(言葉を)撤回する」「鵜呑みにする」「(物理的に)飲み込む」などの意味があり何を"this"ととらえるかで解釈が変わる。会話の流れからすると、"You are not looking at it"と言ったことを撤回すると解釈するのが自然。
*訳注12 この一文は、マーレーの幽霊に言い負かされたため、冗談めかして言うことで自分の気を紛らわそうとしたものと思われる。また、間接的に、目の前のマーレーの幽霊はスクルージが作り出した想像の産物に過ぎないともいっている。

 そのとき、幽霊は恐ろしい叫び声をあげ、鎖を揺らし、陰気でぞっとする音を出しました。その音を聞いたスクルージは椅子に強くしがみついて気絶して倒れることがないようにしました。そして、幽霊は、まるで部屋で着ているには暑いからといわんばかりに巻いてあった布を頭から取り外すと、下あごが胸のところまでずり落ちました。その時のスクルージの恐怖はさっきと比べていかに大きかったことか。[*訳注13]
 彼はひざをつき、顔の前で手を握りしめました。

*訳注13 下あごがずり落ちるのを見せたのはマーレーが自分の存在をスクルージに認めさせるためだと思われる。スクルージのひどい驚きはスクルージの想像を越えていたことを示しており、つまりは、マーレーの幽霊はスクルージが想像した産物ではないことを示す場面だと考えられる。

後半につづく