ディケンズ『クリスマスキャロル』訳注つき和訳:第1節よりマーレーの幽霊との会話の場面(後半)

和訳第9弾。マーレーの幽霊との会話の場面(後半)です。既存訳にしっくりこなかった人の参考になれば幸いです。間違いを見つけたらぜひコメントください。

既存訳でのこの箇所は訳が脚色し過ぎに感じます。実は、マーレーの幽霊は思いやりがあり、スクルージとの間での友情が見えてきます。本作の話が成り立つための「かなめ」です。この場面は、前の場面でスクルージが驚き過ぎて椅子から落ちてひざをついた状態で始まります。

他の箇所の翻訳も含めて以下のマガジンに、まとめてあります:

(最終更新日2021年12月13日)

前半はこちら

“Mercy!” he said. “Dreadful apparition, why do you trouble me?”

「ひぃ!」彼は言いました。「恐ろしい幽霊よ、なぜおれをわずらわす?」
「俗世界の頭の持ち主よ!」幽霊は言いました。「おれの存在を信じるのか?信じないのか?」
「信じる」スクルージは言いました。「信じるしかない。しかし、霊魂がなぜ地上をさ迷い、おれのところに来るんだ?」
「誰もがみな」幽霊は答えました。「その魂は外に出て、仲間たちの間を歩き回り、遠く広く旅をしなくてはならない。もし、その魂が生前に旅出ちをしていないと、死後に旅に出ることを強いられる。世界をさ迷うこと、それに─あぁ、惨めだ!─何も分かち合えずに見ているしかないことが運命づけられている。生前に分かち合い幸せになっていたらよかったものを」
 幽霊は再び叫び声をあげ、鎖を揺らし、ぼやけた両手を握りしめました。
「おまえは鎖で縛られているな」震えながらスクルージは言いました。「教えてくれ、なぜだ?」
「生前に作り上げた鎖を身に付けている」幽霊は返事をしました。「鎖に、ひとつ、またひとつとつなげ、1ヤード[*訳注1]、また1ヤードと延ばした。自らの選択の結果[*訳注2]として、巻きつけた。自らの選択の結果として、身につけた。この鎖の模様には見覚えがあるだろ?」

*訳注1 ヤードはイギリスでの長さの単位。1ヤードは91.44cmに相当する。
*訳注2 原文は"of my own free will"で、直訳すれば「自らの自由意思により」なのだが分かりやすく意訳した。

 スクルージの震えはますますひどくなりました。
「それとも、知りたいのは」幽霊は続けました。「おまえがぐるぐると巻きつけて身に付けている丈夫なものの重さと長さのことか?ずっしりと重くて、長さはこれと同じくらいだった、七年前のクリスマスイブのときには。それからも、おまえは懸命に延ばし続けてきたんだ。それはそれは重々しい鎖だ」
 スクルージは、50か60ファゾム[*訳注3]くらいの鉄の錨鎖びょうさ[*訳注4]に囲まれているのが見えるかと思って自分の周りの床をちらりと見ました。しかし、何も見えません。

*訳注3 原文"fathom"で、長さの単位。主に水深に使われる。1ファゾムで、6フィート。50~60ファゾムは、約90~110メートル。
*訳注4 原文は"cable"。色々な意味があるが、長さの単位にfathomを使っているので錨をつなぐ錨鎖のことと解釈して訳した。

「ジェイコブ」スクルージは願うように言いました。「親愛なるジェイコブよ、もっと話してくれ。わたしに慰めとなることを言ってくれ、ジェイコブ!」
「言えることは何も持っていない」幽霊は返事しました。「そういうことは他の場所からやってくるのだ、エベニーザ・スクルージよ。他の使いたちによって、違う人々に届けられるのだ。それにおれは、話したいことを話すことができない。許されているのは、あとほんのわずかだ。おれは休むことができず、とどまることができず、どこであっても居続けることができない。おれの魂はあの会計事務所を越えて歩くことは決してなかった─いいか!─生前、おれの魂はあのむさ苦しい両替所[*訳注5]の狭い境界の内にこもり、決して外を歩き回らなかった。その結果が、おれの前に横たわるうんざりな旅だ!」

*訳注5 「むさ苦しい両替所」の原文は" money-changing hole"。話の流れから会計事務所の言い換え。その場所を今ではマーレーがどう考えているのかを表している。

 スクルージには癖がありました。考え込むと、両手をズボンの尻ポケットに入れるのです。幽霊が言ったことをよく考えながら、かれは今そうしました。目は上げず、ひざはついたままで。
「ずいぶんゆっくりと旅をしてきたんだな、ジェイコブ」スクルージは、実務的に、でも謙虚さと敬意をもって、言いました。
「ゆっくり!」幽霊は繰り返しました。
「死んでから七年間」スクルージは考え込みました。「その間ずっと[*訳注6]、旅をしていたんだろ」
「その間じゅうずっとだ[*訳注6]」幽霊は言いました。「休みもなく、安らぎもない。後悔に苦しむ絶え間ない拷問だ」

*訳注6 原文ではマーレーの言葉に対する細かさが再び表現されている場面。「その間ずっと」に当たる言葉をスクルージは"all the time"(間に休みが入っても良いイメージ)といい、マーレーは"the whole time" (休みなくぶっ通しのイメージ)と言っている。

「速く旅しているのか?」スクルージは言いました。
「とても速く[*訳注7]」幽霊は答えました。

*訳注7 原文は"On the wings of the wind" で直訳すれば「風の翼に乗って」だが、慣用句で「物凄く速く」の意味がある。聖書 詩篇104:3 に出てくる言葉でもある。また、頭韻を踏んでいる("On the wings / of the wind")

「七年もの間、たくさんの土地を巡ってきたんだろう」スクルージは言いました。

 幽霊は、これを聞いて、また叫び声をあげ、夜の静けさのなかを、ひどくガチャガチャと鎖を鳴らしました。夜回り[*訳注8]から迷惑だと訴えられてもおかしくないくらいでした。

*訳注8 原文は"the Ward"である。ward の先頭大文字。当時のロンドンの night watchman(夜警) のこと。分かりやすく「夜回り」と訳した。

「おお!捕らわれ、縛られ、そして二重に鉄のかせをはめられしものよ」幽霊は叫びました。「知らぬだろう。不死なるものたちがこの世のために絶え間なく努力しているものの、それが備える善なるものが完全に成熟するまでには、永遠のときがたってしまうであろうことを。知らぬだろう。思いやりのある行いをその小さき世界のなかでする人間的な魂[*訳注9]は、それが何であろうと、役立てることの多さに対して死を迎えるのが早すぎると気づいてしまうことを。知らぬだろう。いかなる後悔をもってしても、人生の好機に誤ってしまったことをつぐなえなはしないことを。だが、それはおれだ。あぁ!おれがそうだったんだ!」

*訳注9 「人間的な魂」は原文"Christian spirit"で単純に直訳すれば「キリスト教徒の魂」だが、ここでは"Christian"を、人間らしい、隣人愛のあるの意味で解釈して訳した。

「でもおまえは、いつでもすぐれた仕事をするやつだったろう[*訳注10]、ジェイコブ」スクルージは口ごもりながら言い、すぐに自分自身にも当てはめてみました。
「仕事だと!」幽霊は、また両手を握りながら叫びました。「人類が、おれのすべき仕事[*訳注11]だった。人類の幸福が、おれのすべき仕事だった。慈善、慈悲、寛容、博愛、それらがまさにおれのすべき仕事だった。商売の取引なんて、おれのすべき仕事の広大な海からしたら、ひとつの水滴に過ぎない!」

*訳注10 原文では"a good man of business "で「商売上手な人物」の意味。「人生での好機」と「商取引での好機」を掛けていると思われる。
*訳注11 「おれのすべき仕事」は、原文では単に"my business"である。意味の違いを明確にするように訳した。"business"という単語をスクルージは「事業、商売」の意味で用いたの対し、マーレーは「本分、本務」という意味で用いて言葉遊びで返事をしている。言葉の細かさにうるさいマーレーらしさがここでも出ている。

 幽霊は鎖をいまいましく持ち上げました。まるでそれが、役に立てない悲しみのすべての原因であるかのように。そして、再び床へと、激しく投げつけました。
「巡り来る季節のなかでこの季節が」幽霊は言いました。「もっとも苦しい。おれはなぜ、仲間たちの間を目を伏せて歩き、あの賢者を貧しき住まいへと導いた祝福の星[*訳注12]に目を向けなかったんだ!その光がおれを導いていく先の貧しき家が存在しなかったというのか![*訳注13]」

*訳注12 「東方の三賢者」(または三博士)は星を見てキリストの誕生を知り、キリストを訪れたとされている。wikipediaの「東方の三博士」を参照のこと。
*訳注13 東方の三賢者の逸話になぞらえて「自分が手を差しのべるべき貧しき人がいたはずだ」と言っていると思われる。

 スクルージは、幽霊がこんな調子で話し続けるのを聞いて非常にうろたえ、ひどく震え始めました。
「よく聞け!」幽霊は叫びました。「おれには時間がほとんどない」
「聞くさ」スクルージは言いました。「だから、おれにつらくあたらないでくれ!大げさな態度はやめてくれ、ジェイコブ!お願いだ!」
「どうやっておれが見える姿でおまえの前に現れたのか、おれには言うことはできない。見えはせずとも、前からずっと日に何度となくおまえのそばに座っていたのだ」
 知っても嬉しくはないことでした。スクルージは震え、額から汗を拭きました。
「それは、おれの苦行のうちで軽くはないものだ」幽霊は話を続けました。「今夜ここに来たのはおまえに知らせるためだ。おまえにはまだチャンスがある。おれと同じ運命にならずにすむ希望がある。おれがなんとか手に入れたチャンスと希望だ、エベネーザよ」
「おまえはいつでも良き友人だった」スクルージは言いました。「ありがたい」
「おまえはこれから迎えることになる...」幽霊は話を続けました。「三人の精霊を」
 スクルージの表情は、先ほど幽霊に起きたことのとき[*訳注14]とほぼ同じくらいに落ちこみました。

*訳注14 マーレーの幽霊の下あごが胸までずり落ちたのを見たときのこと。つまり、スクルージにとって、かなりすごい衝撃。

「チャンスと希望があると言ったのは、そのことか?」スクルージは弱々しい声で確認しました。
「そうだ」
「で、できれば、遠慮したい」スクルージは言いました。
「それらの訪問を受けないと」幽霊は言いました。「おれが歩んだ道を避けられるという希望が持てなくなる。一人目は明日、1時の鐘が鳴るとき」
「一度に全員を迎えて、いっぺんに済ますことはできないのか?ジェイコブ」スクルージはそれとなく言いました。
「二人目はその次の夜の同じ時刻。三人目はその次の夜、12時に打たれる最後の鐘が鳴り止んだとき。もう二度と会うことはないだろう。おまえ自身のためだ、おれとおまえで交わしたことを覚えておいてくれ!」
 そう言い終えると、幽霊はテーブルの上から布を取りあげて元と同じく頭を縛りました。その歯からカチッと音がして、あごが布で持ち上げられたことがスクルージにも分かりました。スクルージは、思い切って再び目を上げました。すると、その超自然的な訪問者は正面に直立姿勢で立っていることが分かりました。鎖はとぐろを巻き、腕にもぐるぐると巻き付いていました。