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芥川龍之介 『地獄変』 【3分で読める】 あらすじ、読書上の注意

3分で読めるように物語をぎゅっと縮約したあらすじを書きました。特定の解釈に偏向して丸めることなく、できるだけ原著に忠実であることを目指しています(例えば、原著で曖昧なことは曖昧なまま、謎は謎なままとする、など)。また、語り手の私見、読者を惑わす情報操作は、できるだけ含めないようにしました。

背景、用語

時代:平安時代
場所:京都
語り手:大殿様のおやしきにて、長年、大殿様に仕えてきた人物。詳細は不明
大殿様(おおとのさま):おやしきの主人。この小説に登場する大殿様は、かなり権力がある貴族として描かれているが詳細は不明
御台様(みだいさま):大殿様の正妻

お邸(おやしき):ここでは、貴族のやしきの意味。
地獄変:地獄変相の略。仏教の経典に書かれている地獄を絵などで誰もが理解しやすいように表現したもの。地獄がいかに恐ろしいかを伝えるために使われた。
女房(にょうぼう):ここでは、貴族やその妻や子供におつかえする侍女(女使用人)のこと。お邸に自分の房(へや)を持っていることが名前の由来。妻のことではない。
小女房(こにょうぼう):若い女房のこと
上臈(じょうろう):色々な意味があるが一般的に位が高い女性、貴婦人。また、女房のなかでの最上位の意味もある。
枇榔毛の車(びろうげのくるま):牛車(ぎっしゃ)の種類のひとつ。枇榔(びろう)の葉を裂いたものでおおわれている。身分によって使える牛車の種類が異なり、枇榔毛の車に乗れるのは上級貴族。あらすじには含めなかったが、大殿様が乗っている車も枇榔毛の車。『牛車で行こう! -平安貴族と乗り物文化-』によると、高級自動車であるクラウンに相当するとのこと。
横川の僧都(よかわのそうず):歴史上実在した僧侶の源信げんしんのこと。『往生要集おうじょうようしゅう』を書いた人物。『往生要集』には地獄の様子が詳細に書かれている。その後の地獄のイメージを決定づけ、日本の文学や芸術に影響を与えた。

プロローグ

語り手は、大殿様の過去について振り返り、色々な出来事を思い出す。なかでも、最も恐ろしかったのは地獄変の屏風絵のことであった。この地獄変の由来について語り始めた。

あらすじ

絵を描かせたら日本一といわれた有名な絵師がいた。名は良秀よしひで。歳は50くらいで、背が低く、骨と皮ばかりの痩せた老人だった。性格が悪く、高慢こうまんで、どこでも嫌われていた。

そんな良秀だが、娘のことを非常に可愛がっていた。大殿様の命令で、良秀の娘は、おやしきの小女房となっていた。早くに母親と別れたせいか、思いやりが深く、利口で、良く気がつく娘だったので、御台様みだいさまをはじめ他の女房にも可愛がられていた。

良秀は、不服だった。大殿様から絵の褒美として何が欲しいか尋ねられると、娘を返して欲しいと答えては断られていた。大殿様は、あのような親の元にいるよりもおやしきに置いて不自由なく暮らさせてやろうとのお考えだったようだ。

あるとき良秀は、大殿様から地獄変の屏風絵びょうぶえを描くように命じられた。異常な熱心さで取り組んだ。弟子を絵のモデルにして、鎖でしばられた姿やミミズクに襲われる姿を描いた。そのため、弟子たちからは嫌われ、避けられるようになっていった。

下絵がかなり出来上がった頃、良秀は絵が進まなくなった。あの良秀が涙もろくなり、時々人のいないところで泣いていたそうだ。一方で、おやしきでは良秀の娘が泣いている姿が目立つようになっていた。

しばらくして良秀は大殿様に会いに行き、どうしても描けない箇所があることを説明した。それは、燃えながら落ちてくる枇榔毛びろうげの車のなかで上臈じょうろうが煙でもだえ苦しんでいる、という絵だった。

良秀は「その上臈じょうろうがどうしてもけません。私はたいてい見たものしかけません。どうか目の前で枇榔毛びろうげの車に火をかけてください」と大殿様にお願いした。さらに「できますことなら...」と言いかけたとき、大殿様は顔を一瞬暗くしてから笑いだし「すべてお前の望み通りにしてやる」と答えた。それから「車のなかで女がもだえ死ぬ、それを描こうとはさすがじゃ」と言った。良秀は、それを聞いて青ざめ、畳に手をついて聞こえないような低い声で礼を述べた。

二、三日して誰も住んでいないさびれた山荘で準備が整った。大殿様は「絵のよい手本になるぞ。よく見ておけ」と言った。そして「良秀に車のなかを見せてやれ」と命じると車のすだれがあがった。鎖で縛られた女がいた。普段とは違うきらびやかな身なりをしていたが良秀の娘だった。

良秀は驚き、車に向かって駆け寄ろうとした。すぐに車に火がつけられ、足を止めた。腕を車へと伸ばしたまま、苦しんだ表情で車を見つめた。大殿様は、時々気味悪く笑い、じっと車の方を見つめていた。

炎と煙でなかが見えなくなり車は火の柱となった。火の柱を前にして、良秀は両腕を組んでたたずんでいた。さきほどまでの苦痛の表情はそこにはなく、言葉では表しようがない輝きを顔に浮かべていた。人間とは思えない、夢に見る獅子王の怒りのような、怪しげなおごそかさがあった。頭には、円光のような威厳がかかっていた。その場にいたものたちは、息をひそめ、まるで仏を見ているかのような気持ちで良秀を見つめていた。ただ、大殿様だけは青ざめて獣のようにあえいでいた。

このことが、どこからともなく世間に知られた。大殿様が良秀の娘を焼き殺したのは叶わぬ恋の恨みのせいだとの噂が一番多かった。しかし、大殿様がいうには、人を焼き殺してまで屏風絵びょうぶえを描こうとした良秀を懲らしめるためだ、とのことだった。

ひと月して絵が完成し、良秀は大殿様に絵を見せにいった。横川よかわ僧都そうず様も居合わせていて苦い顔で良秀をみていたが、絵を見ると思わず膝を打ち、「でかしおった」と言った。大殿様はそれを聞いて苦笑いをした。

それからは良秀を悪く言うものは、少なくとも、おやしきにはいなくなった。その絵を見ると、良秀を憎んでいても、おごそかな気持ちにさせられるからだろう。

ただ、絵が完成した次の夜に良秀は自分の家で首をつっており、この世からいなくなっていた。

『地獄変』を読む上での注意点

『地獄変』は、ミステリー小説でみられる「信頼できない語り手」の手法で書かれた小説にあたります。どんなところに注意しながら読まないといけないのかを以下に並べてみました。

・語り手が過去を思い出しながら語る形式で書かれているため、語り手が見て聞いた範囲のことしか語れず、また語り手の独自の解釈が混じる可能性があります。つまり、語られることの全てを正しいこととして信用することができません。
・「事実」、「語り手の考え」、「人から聞いたこと(噂を含む)」のどれなのか区別しながら読む必要があります。
・語り手の立場では直接知ることができない良秀の言動を語っている場面には特に注意が必要です。それは「人から聞いたこと」にあたるため、語り手へ情報提供した者の個人的な見解が混ざる可能性があるからです。
・語り手が、良秀の気持ちを語っている箇所があります。そこは「語り手の考え」となるため、本当に良秀がそう思っていたかは分かりません。
・男である語り手には、お邸の女社会のすべてが見えている訳ではない。

どんなに注意深く読んでも、情報が不足しているために謎として残る部分があります。そのため様々に解釈が可能であり、いくらでも考察を楽しめます。

良くある間違い・思い違い

正しくない情報が世間にはあふれています。良くある間違い・思い違いをあげてみました。

誤 大殿様に依頼された地獄変の屏風絵が、良秀が初めて描く地獄
正 良秀は、地獄変の屏風絵より前に地獄を描いている。四章に「たとへばあの男が龍蓋寺りゆうがいじの門へ描きました、五趣生死ごしゆしやうじの絵に致しましても」とあり、この「五趣生死」のなかには地獄も含まれている。

誤 良秀は、焼け死ぬ女を描こうとした
正 良秀は、燃える車のなかで、煙にむせて、もだえ苦しむ女を描こうとした

誤 良秀は、絵のため娘を焼き殺した
正 良秀自身は娘を焼き殺していないし、そのようなことをして欲しいと頼むこともしていない。

誤 良秀は、見たものしか描けない
正 良秀は、文字通りに見たものしか描けない訳ではない。まったくの想像のみで描くことができない、できてもしたくないだけ。描くために十分に参考となるものが見られれば良い。例えば、四章にて、実際に見ることができない吉祥天や不動明王を描くにあたり、傀儡や放免をモデルにしたことが書かれている。また、十四章での良秀と大殿様との会話のなかで、大殿様が実際に何々は見たことはないだろうと尋ねると、良秀は実物を見ていなくても同様なものを見たから見たといえるといった返事をしている。

誤 良秀は、女を乗せた車が燃えるところが見たいと大殿様に頼んだ
正 良秀は、車が燃えるところが見たいと大殿様に頼んだ

誤 良秀は、絵のため娘を見殺しにした
正 娘が車に乗っていることに驚いた良秀は車に駆け寄ろうとしたが、侍にはばまれた。そして、すぐ車に火がかけられた。
補足 『地獄変』の基となったといわれている『宇治拾遺物語』の『絵仏師良秀』では、良秀は妻子を見殺しにしている。

誤 良秀は、燃える車を恍惚の表情で見ていた
正 良秀は、燃える車を恍惚とした法悦の輝きを浮かべて見ていた。原文は「云ひやうのない輝きを、さながら恍惚とした法悦の輝きを、皺だらけな満面に浮べながら」であり、ウットリとしていたのではなく輝いていた。

誤 良秀は、地獄変の屏風絵の中央に、燃える車のなかで燃えている女を描いた
正 良秀は、地獄変の屏風絵の中央に、燃える車のなかでもだえ苦しむ女を描いた
語り手は、女が燃えているとは言っていない。原文では、語り手は地獄変の屏風絵を以下のように述べている:

「その車のすだれの中には、女御、更衣にもまがふばかり、綺羅きらびやかに装つた女房が、丈の黒髪を炎の中になびかせて、白いうなじらせながら、悶え苦しんで居りますが、その女房の姿と申し、又燃えしきつてゐる牛車と申し、何一つとして炎熱地獄の責苦をしのばせないものはございません」

また、良秀は描こうとした絵を大殿様に以下のように説明している:

「その車の中には、一人のあでやかな上臈が、猛火の中に黒髪を乱しながら、悶え苦しんでゐるのでございまする。顔は煙にせびながら、眉をそめて、空ざまに車蓋やかたを仰いで居りませう。手は下簾したすだれを引きちぎつて、降りかゝる火の粉の雨を防がうとしてゐるかも知れませぬ」

一方、大殿様は、車に火をかける直前に良秀に以下のように言っている:

「その内には罪人の女房が一人、いましめた儘、乗せてある。されば車に火をかけたら、必定その女めは肉を焼き骨を焦して、四苦八苦の最期を遂げるであらう。その方が屏風を仕上げるには、又とないよい手本ぢや。雪のやうな肌が燃えたゞれるのを見のがすな。黒髪が火の粉になつて、舞ひ上るさまもよう見て置け。」

つまり、良秀は、大殿様が期待するような絵を描いていない。娘を焼き殺される場面を見た後でも、もともと描きたいと思っていた通りの絵を描いている。