父と息子とエロ本と


息子が生まれた。

息子に何を渡すことができるのだろうか。
息子はそれを受け取ってどう思うのか。

自分が父からもらったものは沢山あるが、
いまでも強烈に覚えているものは二つ、

一つ目は夏目漱石『夢十夜 第三夜』である。

父は酒が入り気分が良くなると
寝る前に本を読んでくれた。
絵本ではなく夏目漱石の『夢十夜 第三夜』だった。

夢十夜は夏目漱石が見た中で特に鮮烈に記憶に残っている十の夢を書き物にした作品である。
第三夜の内容は、おんぶしてる自分の子を森に捨てようとする夢である。

父は決まってこの第三夜を読んだ。

ちゃんと寝ない子は森に捨てに行くぞという脅しでこの話を読んでる様子はない。
嬉々として第三夜を読む。

夢十夜の中でこの話が一番好きなようにみえるし、
これから捨てに行くのが楽しくて堪らないようにもみえる。
一応目を瞑って寝ているふりをしているが、
捨てられるかもしれない。そう思うと恐怖で全く眠れない。

どういう意図でこの話をセレクションしているのか。

父の気持ちを推し量れない息子としてはたまったものではない。
ここで寝たらこの子のように森に連れていかれ捨てられる。
そして自分と同じ立場だと思っていたその子どもが石のように重くなる場面で、もう何に感情移入したらいいのかわからなくなる。
唖然としたまま布団の中で「どういうことだったんだろ?」と悶々とし、いつの間にか寝てるという極めて質の低い睡眠になってた気がする。

だからといってその夢十夜第三夜を毛嫌いしてるわけではなく、
ふと思い出す度に自分から第三夜を読んだりする。
他の夢を読んでみようとも思ったが、僕はどうしてもこの第三夜を読んで満足してしまう。

二つ目は1977年版の映画『八つ墓村』である。

僕と父は家の近所のレンタルショップへ隔週末に行くのが日課だった。
そこでカセットテープに入れるCDを選び、大好きなウルトラマンシリーズのビデオを借りた。
ウルトラマンシリーズを毎回2本借りるのだが、たまに父はその中にこの『八つ墓村』を入れた。
『八つ墓村』は横溝正史の推理小説。金田一シリーズである。
これがすごく面白いんだと楽しそうに話すので、ウルトラマンが出てくるのかと楽しみにしていると、出てくるのは落武者。
「祟りじゃー!!!」と叫ぶババア。
気味の悪い双子のババア。
人が死ぬ時は大体みんな首元に手をやり吐瀉物を吐き散らし野垂れ死ぬ。
不気味な鍾乳洞で死んでる双子のババア。
ババアと吐瀉物の衝撃で6、7歳の自分に話の内容なんて入ってこない。
期待していたウルトラマンなんて出てこず、顔の四角いおじさんが何か解決して終わり。

だからといって八つ墓村が大嫌いになったかというと全くの逆で、間隔を置いてはレンタルして観ていた。
怖いものみたさ、ホラー映画を楽しむ感じであった。

早すぎる『八つ墓村』との出会いには弊害もあって、吐瀉物を鮮やかに吐き散らさない金田一作品を敬遠するようになってしまった。
犬神家の一族のあの有名な水面から足が突き出ているシーンもなんだか違うのである。
吐瀉物を撒き散らした後に水面から足だったら最高なのにと全く関係のないことにこだわってしまい作品をちゃんと観れない。
そして大体の人が金田一といえば、石坂浩二、古谷一行、稲垣吾郎を頭に浮かべるだろうが、僕の中で金田一といえば渥美清一択になってしまった。渥美清が金田一を演ったのは後にも先にもこの一作品だけである。
金田一を渥美清でない役者がやっているのも違和感、寅さんをやってる渥美清にも違和感を感じていた。

やはり与える順番は徐々に順々にの方が良いのではないか。

父が与えてくれたわけでなく、父が知っているものを能動的に自分から受け取りにいったのが山本直樹作品である。エロ本である。
父の部屋にたまたま置いてあったその漫画『フラグメンツ』を読んで衝撃が走った。
山本先生の書く女性は線が優雅で皆妖艶で、竹藪で拾ったエロ本に書かれている、
とにかく男のでかいものと女のでかいものがぶつかりあうようなものではなかった。
とても美しくて、主人公雪子さんの目の動きに心を奪われた。妾なる制度を初めて知った。

ある日その本がないので探し回り、父の洋服ダンスの奥から見つけた。
僕は父の目を盗んでは洋服ダンスから山本直樹の漫画を引っ張り出し読み、
高校を卒業する頃には自分で山本直樹作品を探し集めるようになった。
『ありがとう』『ビリーバーズ』『BLUE』など、ヴィレバン、古本屋に山本作品があれば購入し、自分の洋服ダンスに入れていた。

山本直樹は2010年に『レッド』という作品で第14回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞した。
この『レッド』は連合赤軍を題材にした漫画でありエロ要素がほぼない。
そして、出てくる人物に①②③と番号がふってあるのが特徴である。
この番号は学生運動の渦中にいる登場人物の死ぬ順番になっている。
死ぬ順番を俯瞰しながら読み進めていく斬新なスタイルの作品と知り、僕は父にこの漫画を勧めたいと思った。
父は連合赤軍関係の作品が好きだったこともあり、すぐにでも勧めたいのだがその作者が山本直樹である。
小さい頃ずっと父の目を盗んで読んでいた山本直樹。
20を過ぎた僕が口に出して勧めることへの違和感と恥ずかしさ。
しかし、再度読んだところエロの要素はない。
実父にエロ本を勧めるわけではないのだからいいだろうと気持ちをつくり、

「お父ちゃん、レッドって作品知ってる?」
と声をかけた。

「知らないな」
あまり興味がなさそうだった。

「連合赤軍関係の作品なんだけど」
するとやはり興味が湧いてきたようで

「へー読んでみようかな、誰の本?」
僕はこの問いにこの作品で初めて知った作者名であるという雰囲気をのせ

「たしか山本直樹って言うんだけど」

と言った。
父の顔が一瞬曇り狼狽えたように見えたが

「山本直樹?あー、なんかあのいやらしい漫画描く人だろ?」

と思いっきりしらばっくれた。
僕もすかさず

「そうらしいんだけど、この作品はそうゆう感じがなくてさ、登場人物に番号がふってあってね、文化庁の云々かんぬん」

と作品の内容を説明。面白いシステムと文化庁という響きで安堵した父は『レッド』を購入。

面白いと次の巻、次の巻と購入し父の部屋の本棚に『レッド』が並べられていった。
洋服ダンスの奥でこそこそ盗むように読んでいた山本作品を、本棚で堂々と共有しながら読める日が来るなんて思いもしなかった。

山本直樹は『BULE』という作品で都の有害図書の指定を受けたことがある。
下北沢のヴィレバン『レッド』のコーナーのポップに
「ブルーで有害図書、レッドで文化庁芸術祭!」と書かれていた。
我が実家では
「ブルーで洋服ダンス、レッドで本棚」である。

生後3ヶ月の息子に何を与えるかなんてまだよくわからないが、息子とも時の流れを享受できたらと思う。
試しに『夢十夜 第三夜』を息子に読み聞かせた。
機嫌の良かった顔がみるみる曇り、泣いた。
やはり息子側から父の気持ちは推し量れないようだ。
息子よ、これからこれがどんどん癖になってくるのだよ。

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