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競技としてのMogulをやめた訳

「つれづれ」Vol.02 2001/01/21 公開記事 原文そのまま

 山に行くと言われてしまう。「もう大会出ないの?」

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 確かにまだコブは滑れるし、練習すれば頑張れるんだとは思うし、大会は大会で楽しさがある。

 草大会に出てて、ちゃんとしたジャッジから点をつけてもらいたいというのが発端で選手登録をして 公認大会に出るようになった。その頃宮城県で選手登録をしている女の子は私だけだった。 超難関のリステルのバーンなんか滑って、コナゴナになってた。 むちゃむちゃ悔しかったけど、公式戦のレベルも見れて、 上手い人達と同じバーンを滑ることですごく得るものが多かった。 バーンの滑り方はもちろん、インスペクションのやり方、集中力の持っていき方などなど。 本当に公式戦に出ることで集中力や自分の気持ちのコントロールをすることが出来るようになっていった。 この経験で草大会でも全く緊張せず、今自分がこのバーンで出来ることというのを判断し、 それを実行する、というのが出来るようになってた。

 もともと選手登録をするとき、2年が目処だな、2年は頑張ってみよう、と思っていた。 確かに1年が終わった時、完全に不完全燃焼だった。私の予測は大当たり。

 2年目、仕事も忙しかったりしたから、仕事が終わってから夜、車で山に向かって、車の中で寝て大会に出る、というのもあった。 そんな風に出ることの出来る大会については極力出るように頑張った。 その結果、全日本に出ることが出来るポイントがたまってた。 これは自分にとって最初で最後の大舞台と思っていた。 もちろん誰も期待をしていないのはわかっていたけど、 その中でいかに自分が持っているものを上手く出すことが出来るのかと 自分で自分を追いつめ、プレッシャーをかけまくってた。 実際、自分みたいなレベルの人間が全日本という大舞台に出てしまう、ということにとても押しつぶされそうになってた。 というのも、Mogulがメディアに取り上げられてた頃だったし、 当日は滑りはしなかったけどタエちゃんも来てたし、アイコも前日は練習をしていた。 一般人ギャラリーも多くて、大舞台のすごさを身にしみて肌で感じた。

 大会前日、前夜なんかは一人で行動することで精神安定を図り、徹底的に自分自身を追いつめた。 その結果、自分の滑りはすっかり覚えていない。

 帰ってきてから何度か自分の滑りをVideoで見たけど、今はVideoは見たくないと思う。 なんだか、全日本に出て滑ったことで吹っ切れたものがあった。ピンと張った糸が切れた。 楽しく笑いながら滑りたいと心の底から思うようになった。 大会は楽しくないわけじゃない。でも何かが足りない。 どうしても失敗するのを、転ぶのを、コースアウトするのを怖がって滑ってしまう。 転んだって楽しければいいじゃん、形が悪くったって自分がチャレンジしてればいいじゃん、 そういう滑りをしたい、と思うようになった。 大会はほんと、自分を押さえて押さえて押さえまくって滑らなきゃいけないろいう感覚がぬぐえない。 マシンや人によって作られたラインを滑るのではなく、 自然コブを自分でラインを作り出して、時にはクイックを入れながら、時にはヒールキックを入れながら、 それでもスピードをコントロールし、滑りきったときに満足感を得られるそうな、そんな滑りがしたくなった。 そして一番大きな要因は自分で自分を追いつめることをしたくなくなったということかもしれない。

 大会は見るものではなく、出るものだ、と今でも思う。 同じバーンを滑るからすごい人がどのくらいすごいかがわかる。だから大会は嫌いじゃない。 でも自分の気持ちが続かなかった。このまま続けても満足感が得られないと判断した。 今でもコブは好きだし、クリフも好きだし、新雪も好きだし、圧雪バーンも好きだし、 エア台も、ハーフパイプもクォータもバンクもギャップもスパインも遊んでて楽しいから滑る。 未だに出来ないものをやっているときが一番楽しい。私は転ぶことが無いとだめみたいなのかもしれない。

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 これが私が競技としての滑りをやめたわけ。要約すると今の自分の気持ちには合わない、ということかなぁ。

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