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暖かい日と肌寒い日

春より暖かい日。
明ければ一転して寒くなるなんて信じられない。

若い頃、若さは悩みと聞いていた。
実際に若き日々は常に悩みと隣にあった。
そんなのはいつの時代も同じことだった。
僕より前の世代もそうだったし。
僕の世代でもそうだった。今の世代もそうだろう。
学歴が高くなければ負け組のような頃もあった。
夢を持てぬ時代と言われる頃もあった。
若い詩はいつだって悩める僕たちの心を鷲掴みにした。

冬が過ぎれば春が来るように。
僕はそんな時期を越えてどんな日々がやってくるのだろうと思っていた。
それがエキセントリックな日々なのか、穏やかな日々なのか。
或いは愛に包まれた美しい日々なのか、想像もつかなかった。
ただわかっていたことは次のフェイズがやってくるんだということだけ。

確かに次のフェイズに来ているような気がしているのに。
どうやら悩みやら不安のようなものが尽きることはない。
穏やかな日も美しい日もあるけれど。
そのすぐ傍に不安はたたずんでいる。
暖かい日もあれば寒い日もあるだけだった。

将来を約束されたような高学歴の学生たちが、吸い寄せられるように新興宗教に足を踏み入れて、宗教施設の中で毒ガスを生成し、その毒ガスが無差別に地下鉄でばら撒かれた。
あの若者たちがなぜ現実社会ではなくて宗教世界に埋没していったのか。
それはきっと今も続いているんじゃないだろうか。
現実世界を虚と感じ、真を求めるという行動は今もあるだろう。
実は誰も総括せず、ただ若者は悩むで済ませたままだ。
そういえば僕もあの宗教団体に誘われたことがあったけれど、なぜあんなにきっぱりと断ることが出来たのだろう。
何が違っていたのだろう。
今、彼らはどこで何をしているのだろう。

バブル期のような株価だという。
周りの人が税制優遇されるからと株を買ったりしている。
兄さんだか、おでこだか、そんな名前だ。
どっちが得なんだろう?なんて声が聞こえる。
いつかどこかで聞いたような話だ。
あぶく銭はいいよな。魅力的だよな。
でもバブルの頃のような熱気が感じられないのは何故なんだろう。
景気が回復していると感じられないのは何故なんだろう。
季節が移り替わるように、次に何がやってくるだろう。

鋭敏なアンテナを持つ若者たちの不安は時代の鏡だ。
そう思っていた。
僕のアンテナもいずれ錆びるだろう。
そう思っていた。
そうなったとしてもそれまでに経験を重ねてあるだろう。
そう思っていた。

一転して寒い日が来る。
御用心。御用心。
まだまだ防寒着はしまってはいけないよ。

投げ銭は全て「演者」映画化計画に使用させていただきます。