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なんか申し訳ないという日

ははははのひ。
大したことはしなかったし。
大したものをあげたわけでもない。
検討して、楽しめそうなものを。

母の日ってわりと世界共通らしいです。
そして多くの祝日の由来って太陽や月の暦と関連しているから起源が宗教儀式だったりするのだけれども母の日は宗教由来じゃないらしく。
そういう意味では世界中に広まりやすかったのかなぁ。
なんか、素敵な感じだよな。それ。
と言いつつ、僕なんか母の日という日を意識するようになったのなんかここ10年ぐらいで、それまではあまり気にしたことがなかったんだけれど。
そもそもいつなのかも知らなかったしさ。
父の日は、母の日があるから生まれたと聞いているのでだいぶ切ない感じですけれどもー。

一口に母と言っても様々だと思います。
絶賛子育て中の皆様もいれば、生んだばかりの方もいるし、年老いた母みたいなこともあるわけです。
学校の行事で何かを創ってお母さんに持って帰りましょう!みたいなこともあるでしょうし、お父さんからお母さん一年目のプレゼントとかもあるだろうし、田舎の母に贈り物的なこともあるわけで。
世界中のおかあちゃんありがとうの日なんだなー。

僕はですね。母の愛みたいな映画とか作品ってあるでしょう。
実は少し苦手だったりします。すごい厭なわけでもないのだけれど。
なんだったら泣いちゃったりすることもあるんですけれども。
でもなんか苦手だったりするんだよなぁ。
わかるんだけど、わかるんだけど、みたいになっちゃう。
一時期、ポップスの歌詞でお母さんありがとうみたいなのが流行った時もあんまり好きになれなかったんだよなぁ。
なんだろう。それが当たり前みたいなのがどこかつらいというか。

母親像っていうのはもちろん理想があるのだと思うのだけれど、僕の記憶では実際はやっぱりグラデーションがあるじゃないですか。
なんか機嫌が悪い日もあったし、ブチ切れている日もあったし、逆にちょっかいばっかしてくる日とかもあったし。それでもご飯はつくってくれたりしてるんだけれどもさ。
まぁ、いうこと聞かない子供なんかだとねぇ。やっぱりさぁ。
愛はあるんだけれど、その愛は色々な形だったし理想像みたいな母親のケースを作ってしまっているような感覚がどこか苦手なのかも。
夜なべをして手袋を編んじゃうようなイメージとかさ。
母親でしょ?みたいな何かをどこかずっと感じてしまう。

でも逆のやつはそうだよなって思っている。
赤ちゃんとかさ、小さな子供たちは、全身全霊でお父さんお母さんを好きだよなぁって思う。あれは絶対的な愛だ。依存症だ。
甘えん坊じゃなくても、全てを親に委ねている。
子から親への愛が絶対的だからこそ、親から子への愛は大変なのだと思うよ。それはもう人間だけじゃなくて生物界全体がそうなのだろうけれど。
反抗することも含めて絶対的に好きじゃん。
ビターーーってくっついたりしちゃうじゃん。

だからたぶん母の日っていうのはかつて全身全霊で愛した子供がやがて親への依存から脱却して巣立ってから、ふと振り返る日なのかもなって。
それは自分を振り返ることでもあるのかと。
そんなことを思っていたのですよ。

まぁ、聞き分けの悪い、頑固な子供であったなぁ。
大変だっただろうなぁ。
いやぁ、申し訳ない。
お母さんはもう、母親の理想像みたいなものを目指さないでね。
好きなように美味しいものでも食べて生きてください。
好きなように旅行に行ったり、オシャレしたりしてください。

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