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ラブストーリーが平和の一歩

舞台稽古真っ最中だ。
来週の木曜に開幕するのだからもう稽古に準備にほとんど空いた時間がないという状況だ。
そんな中でも一応ニュースは確認するようにはしている。

アメリカによるイランの英雄爆撃のニュースに、世界のTwitterのトレンドがWWIII(第三次世界大戦)になったけれど日本だけはテレビ番組だったりがトレンドで平和ボケ過ぎるというコメントなんかを何度も見た。
これを読んでなんというか、逆だろ?って思った。

戦争になる、戦争反対、そんな言葉はもちろん大賛成だけれど。
その言葉は一体誰に向かって出されていて、どんな結果を生むと思っているのかなぁと思う。NO WARはもちろん自分にとっても基本中の基本だから、あえてそれを見かけても簡単に心が動かない。俺もそうだよで終わってしまう。そして今回の爆撃の背景や、実際の現地や中東全体の雰囲気も報道からではちょっとわからないということもある。
もちろんニュースは知るべきだと思うし、平和ボケだと言うなら平和ボケなんだろうと思っているけれど。

ただ「平和ボケ」という言葉をなぜそんなにもネガティブイメージにするのか。自分にとってはなんともちょっとわからない現象だ。ボケっていうのはどういう意味なのだろう?そりゃあニュースも知らない人もいるだろう。けれどそれがそこまで批難されるようなことなのだろうか?

自分は全くの逆意見だ。
好きな音楽について話したり、好きな映画について話したり、好きな演劇について話したり、そして時には好きな人のことを話したり。
その延長線上に平和があるに決まってるじゃないかって思う。
戦争反対!と叫ぶことは間違っていないけれど、それと同じかそれ以上に平和を謳歌することは戦争をなくしていく魔法の言葉だ。
だって日本よりももっと戦地に近い人たちから見れば、それは憧れなのだから。そして憧れは目標になっていく。自分たちだって音楽や映画や演劇や恋について考えていられるような国にしたい願う。もちろんやっかみやら、なんでアメリカに意見してくれないのだ!と思う人もいるかもしれないし、いるのだろうけれど、それと同じ数だけ日本はいいなぁと思う人だっている。

一番、戦争が起きないですむ力があるとすれば。
その土地、その国に住む人たちの思いしかないのだと思う。
今、イラン国内では、ざけんなアメリカ!な人たちがたくさん溢れているけれど、厭戦気分であるとか、争うよりも豊かに文化的に暮らしたいという人だっているはずで。やはりそんな人が国の大多数を占めるようになることが一番の戦争にならない道だって自分は思っている。
国民全体が反アメリカに傾けば信じられないほど戦争に傾く。

日本が先の戦争を起こしたのは軍部の暴走だと簡単に言う人がいるけれど、実際にはその頃の新聞を読めば、鬼畜米英と書かれたものが山のように出てくる。つまり海外を敵対視しないと新聞も売れなかった。国政の介入の前から検閲の前からだよ。庶民が支持しなければ軍部の暴走は暴走として理解されていたのに、国民が万歳をしてしまう雰囲気になっていた。
庶民に力なんてないと思ってしまいがちだけれど、全然そんなことはないんだぜって思ってる。だからこそ政治家だって庶民の動向をチェックしているのだから。

だから僕は歌うね。
演劇の素晴らしさを。
映画の素晴らしさを。
そしてスポーツの素晴らしさもどんどん発信すればいいんだ。

戦争反対の声ももちろん大事。
そしてその意志を伝えていくために世の中の表現者たちはそれを忘れてはいけないって思う。
そして作品を通じてメッセージは常に発信するべきだよ。
ただ同時に、シンプルに楽しい事、笑っちゃうこと、美しいもの。
そういうものを愛する姿も発信していくべきだ。

平和ボケだと?
何をつまらない事を言っているのだ。
平和を謳歌するその姿こそ、平和への道じゃないか。
笑顔以上の武器なんてないよ。

自分は戦争は絶対にして欲しくないと願っている。
それは実際にはほとんど全ての人の願いのはずだ。
それでも戦争が起きるのは、そこにいる人たちの実感の中にしか理由はない。
本気で世界から戦争を失くしていこうと思うなら。
本当は「戦争反対」という言葉もなくなって「WWIII」なんてハッシュタグが流行らない状態が一番それに近いと信じている。

だから、なんだか気後れした人がいたとしたら。
何一つ臆することはない。
だって平和の素晴らしさを伝えることのゴールは世界平和なんだから。

平和をおいらは謳歌するぜ。
もっともっと楽しんでやる。
もっともっと出会ってやる。
戦争なんかクソ馬鹿らしいんだって、世界中が気付くまでな!!!

投げ銭は全て「演者」映画化計画に使用させていただきます。