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鬼の目にも涙

AIが世界を滅ぼすという警鐘からどのぐらい経過しただろう。
今はより現実的に国際的な枠組みでAIのルールを整備し始めている。
人間がルールを整備する何倍かのスピードでAIは進化しているという。
ただ僕たちにはまだうまくAIがどうして世界を滅ぼすのかイメージできない。
生活が便利になって効率化されていくということしかわからない。
どうしてAIが世界を滅ぼすことになるのか何を呼んでもいまいちはっきりとしない。

母親が膝の関節の手術をしたのだけれど。
手術の中でAIを活用しているらしい。
足の関節は体重がかかる分負荷も高くて繊細な手術になる。
人口関節を埋め込むために骨を削るのだけれど、その角度や深さに関してはミリメートル以下の立体的な造形が必要で、わずかに角度が違うだけで不備が出たりする。
これまでは特殊な立体的な定規を当てて形成していたわけだけれど、想像するだけでも職人技が必要になるのは理解できる。
そこにAIが入って、ほんのわずかなズレも修正するらしい。
経験値が必要な職人技の経験にかかる時間を大幅に短縮していることになる。
世界を探せばAIを越えるようなすごい技術を持った外科医がいるのかもしれないけれど、全員じゃないのだからやはり必要な技術だなぁと思う。

一方でAIで独自に活動するような兵器の報道も見かける。
中には人型や犬型の兵器もあって敵を捕捉するとすぐに管理者に無線で攻撃確認を飛ばすのだという。
何が恐ろしいのかなと考えると、そこに心がないのではないか?という不安だということが判る。
知能を持った兵器は心は持っていない。

心がわからないことは人間にとって最大の恐怖だ。
サイコサスペンスではほとんどそこがテーマになっている。
動く人形、無表情な子供、ジョーズ、エイリアン、動く死体、仮面の男。
そこに心があるのか。感情があるのか。何を考えているのか。
その不安を増幅させて、最大の恐怖を演出する。
フランケンシュタインは人工生物でありながら心があることで共感を生むという新しい構造まで生み出している。

だとすればAIに心を持たせることが最大のリスク軽減になりそうだけど。
そういうものでもないのだそうだ。
なぜなら心というものを人間はまだほとんど理解できていないからだ。
どこに住もうと、誰と住もうと、どこかにひずみが生まれて不安定になる。
人間一人の心さえ分析できないのに、人工的に心を生み出せるわけがない。
パターン学習であるなら、なおどんな結果が生まれるかわからない。

横山光輝や石ノ森章太郎のSF漫画でもコンピュータが世界を制御するような未来が描かれていたけれどさ。
恐らく戦略、戦術をつかさどるようなAIが世界を滅ぼすという予測なのかなあ。
さすがに自動車やら家電やら、手術やらそんなところのAIが世界を滅ぼすとも思えないし。
SNSや検索などで使用されているAIもそういうものに活用できるのかな?
でもいずれ民意の誘導ぐらいはAIが組み立てていきそうな気もする。
実際すでにAIが投稿した文章や画像や動画は見分けがつかなくなりつつある。

最終的に心の問題なのかと思うと。
まるで僕がずっと演じることで考えてきたことと重なっていく。
とても不思議な感じがするけれど。
技術的な核心のようなのに、もっともアナログな場所に行きつく。
心ある人でありつづけることが最大の抑止力なのかもしれない。
そんなことを思う。

鬼の目にも涙。
そこに心があれば。

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