誘ってもらい渋谷シアターフォーラムにて映画監督「ジョン・カサヴェテス」特集『ラブストリーム LOVE STREAM』を見る。2時間30分。出遅れて最前列に。残り1席だった。
とてもいい映画で、土砂降りのなかでむかえるラストシーンにはかなりよい余韻もあった。
MさんとSさんと感想戦。
監督=主演で、女優=監督の奥さん、であることを知る。羨む美男美女である。そのほかの作品に『こわれゆく女』『グロリア』『フェイシズ』など。インディペンデントと聞いて驚いた。うつくしい衣装に、手の抜かない美術の数々。自由で大胆なクリエイティブが見る人に影響を与える理由なのだろう。
主人公のロバートは大成した作家だが、夜ごとさまざまな女性と関係を持ち続ける。甘いマスクもさることながら、(パパ活の)パパ的存在で、お金持ちで陽気で、強引で、かなり奔放な生活を送る。だが、ロバートが「ひとりにならないため」享楽におぼれることや、抱える孤独が人よりもずいぶんと深いことがわかってくる。そしてその孤独を埋める方法が、女性との騒ぎの中にしか見つけられないことも。
またそんなロバートの豪邸に、ひとりの女性・サラが訪れる。美しい中年女性だが、離婚したばかりで、思春期の娘にも見捨てられている。それでも「母」として「妻」としての役割に執着し、かつ「女」としての時間を取り戻そうと格闘をする。ロバートとの関係には、男女の仲とは異なる「友情」のようなものが垣間見える。人は他者のなかで存在していると、その”バランス”の描き方は見事としかいいようがない。
すこし理念的な話になるが、ひとりの人格のなかには、その対話する相手により、さまざまな「個」がいくつも存在している(平野啓一郎氏は分人と説いた)。だがそれを説明したり表現をすることは難しい。サラ演じる、ジーナ・ローランズ氏の確かな演技と美しさが説得力を与えていた。
また、ロバートには血がつながっただけの男の子がおり、彼との関係めぐっては、いくつもよいシーンがあった。大人たちが飲み明かしたグラスを、朝食の前に8歳の男の子に片付けさせる危うさや、たったひとりホテルに残して一晩中遊び続ける「父親失格」のどうしようもなさ、それでも子の涙にひれ伏すことしかできない弱さなど。男の子がロバートに対して「嫌いだ」「好きだ」という変化も、そのドラマだけでも1本映画が見られそうなくらい。相手を思いやることはできても、自分を上回ることはないのか。人との関係を深く築けないことへ、諦め。慰めにぼんやりとした明りを放つジュークボックスから、ロバートを慰めるようにミュージックが流れる。ロバートとサラが夜のバーで踊るシーンは、ひとつのクライマックスにも見える。ゆえに、その後に迎える現実や夢の中でのサラの暴走もいとおしい。
プールサイドで「愛を賭ける」サラは、切実で、もっとも好きなシーンだった。
劇中でサラは何度も「愛は流れゆくもの」と告げる。愛が人々の間を循環するということか。それとも愛の流れ着いた先に、なにかあると告げたいのか。サラのいう、愛の行き着き先、私はごみの集まる沿岸ようなかつてはきれいであったろう砂浜を想像してしまった。
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