【特許図面図鑑 No.09】図面で垣間見る日本の歴史②~大正期~
ユニークで奥深い「特許図面」の世界を紹介するこのコラム。今回は「図面で垣間見る日本の歴史」シリーズ第二弾、大正期です。(明治期の記事はこちら)
特許制度導入(明治18年)から30年程が経過し、大正期に入って間もない1914年には第一次世界大戦が勃発。欧州を主戦場として大規模な争いが繰り広げられる中、日本国内においてはどの様な産業が活発だったのでしょうか。
以下グラフは、1910-1945年における分野別の特許シェアを示すものです。大正(1912年)に入って以降、それまで上位であった「繊維;紙」が下降する一方で「化学;治金」が上昇しており、新たな産業の勃興を感じ取れます。日本の大手化学メーカーの設立時期が丁度この頃ですね。(三井化学:1912年、住友化学:1913年、旭化成:1922年)
この「化学;治金」の上昇の一因として、例えばドイツにて生まれたアンモニア合成技術(ハーバー・ボッシュ法)があります。化学肥料や軍需火薬として期待され、日本においても技術開発が進みました。(参考:「クロード式窒素工業の歴史①」鈴木商店記念館)
そして化学肥料の大量生産は食糧生産の増大へと繋がり、いわゆる”人口爆発”へ。世界人口の推移によると、大正期である1910年代以降にその増加率が上昇していることが見て取れます。
人口増大は二酸化炭素の排出量増加にも繋がるため、「気候変動」といった現代における社会課題をも想起されます。故に、大正期は「15年」という短い間ではあるものの、その後の社会に大きな影響を及ぼすこととなる発明・産業が生み出された時代と言えるかもしれません。
日清戦争(1884年)・日露戦争(1904年)の勝利を経て、国威発揚に沸いた大正時代。一体どの様な特許図面があるでしょうか。
歴史的な実業家による案件も含め、拝見していきましょう。
01 真珠養殖篭(特許第25757号)
発明者:御木本 幸吉 氏
出願日:1913年(大正2年)12月25日、特許日:1914年4月8日
日本の「十大発明家」に選ばれている御木本氏による発明。真珠の養殖方法については明治時代に特許出願され(特許第2670号等)、大正2年には「養殖篭」に関する出願を行いました。網棚(2)の上に浮石木炭等(3)を配置するというものです。
02 暗号印字機用印字筒(特許第26287号)
発明者:エドワード・エーチ・ヘバーン 氏
出願日:1913年(大正2年)12月6日、特許日:1914年7月15日
こちらは米国発明者による特許です。日本においては1896年(明治29年)より外国人からの特許出願を受け付けるようになり、例えば暗号印字関連の出願が数件見受けられます。軍需によって技術が発展する側面を身近に感じられる案件ですね。
03 ハイトリック(特許第27748号)
発明者:今井 藤吉 氏
権利者:尾張時計株式會社
出願日:1915年(大正4年)4月8日、特許日:1916年5月18日
尾張時計株式会社(現:尾張精機株式会社)による自動ハエ取り機「ハイトリック」。製品名がそのまま発明の名称として登録されています。砂糖や酢を混ぜたものが塗られた誘導轉軸(ロ)をモーターで回転させることにより、ハエが自然と金網(カ)へと誘導され閉じ込められるという発明です。模様が施された硝子板(ナ)を有するなど、意匠性にも優れた一品となっています。(参考:「岡崎むかし館 はえとりの道具」岡崎市)
04 邦文タイプライター(特許第27877号)
発明者:杉本 京太 氏
出願日:1914年(大正3年)10月14日、特許日:1915年6月12日
日本におけるタイプライターの先駆者は、杉本京太氏。真珠養殖の発明者である御木本氏と同じく日本の「十大発明家」に選ばれています。邦文タイプライターに関する本件特許出願が1914年に行われ、その後「日本タイプライター株式会社」が設立されました。(参考:「沿革」キヤノンセミコンダクターエクィップメント株式会社)
出願から5年後の1919年には初の全国発明表彰が行われ、本特許は「進歩賞」を受賞。当時から非常に高く評価されていたことが分かります。(参考:「全国発明表彰 大正8年受賞者一覧」公益社団法人 発明協会)
そして1980年代にワードプロセッサが普及するまでの間、邦文タイプライターは書類作成の効率化に大きく寄与しました。
05 「タイプライター」式原音譜穿孔機(特許第35597号)
発明者:河合 小市 氏
権利者:日本藥器製造株式會社
出願日:1919年(大正8年)4月26日、特許日:1919年12月27日
効率的な情報伝達手段として素晴らしい発明であるタイプライター。他にも多くの発明者によって技術発展が進みました。
例えば本件は、現在の「株式会社河合楽器製作所」創始者である河合小市氏による発明です。ヤマハの創始者である山葉寅楠氏とともに「山葉楽器製造所」にて純国産ピアノの開発を進める中、タイプライター式音譜穿孔機の発明も行っていました。河合氏の力量は群を抜いており、「発明小市」として知られていたようです。(参考:「浜松偉人伝「河合小市」」浜松・浜名湖だいすきネット)
06 大電力用真空球(特許第42397号)
発明者:安藤 博 氏
出願日:1921年(大正10年)9月21日、特許日:1922年4月28日
大正末期から昭和初期にかけて、娯楽や報道の目的で「ラジオ」が広く日本国内に浸透していきました。その構成部品として欠かせないのが、電子の流れを制御する真空球(真空管)。実はこの部品について、幼少期から「少年発明家」として名の知れた安藤氏が多くの特許を保有していました。
そして昭和に入り、ラジオメーカーと安藤氏との間には特許権を巡る係争事件が起こり、権利を独占する特許制度への懐疑的な側面が浮き彫りに。安藤氏がまるで悪者の様に扱われてしまう中、事態を収束させたのが松下幸之助氏でした。同氏は安藤氏の特許権を全て私財で買い取り、ラジオメーカーへの無償解放を行ったのです。(参考:「No.4 ラジオの重要特許を同業メーカーに無償公開した松下幸之助さん」アイコム株式会社)
現代における重要なテーマでもある「発明の保護と利用のバランス」について考えさせられる、面白いエピソードですね。
07 「オフセット」多色印刷機械(特許第45305号)
発明者:市田 幸四郎 氏
出願日:1922年(大正11年)5月19日、特許日:1923年4月27日
印刷技術の発達によって複製技術が進歩し、西洋と和の融合が大衆へと広まった大正時代。こちらはオフセット印刷の開拓者である市田氏による特許です。シアン・マゼンタ・イエロー・ブラックの4色をそれぞれ出力すべく、装置Ⅰ~Ⅳが並んでいます。
同氏らによって設立された「オフセット印刷合名会社」は、大正6年、かねてよりオフセット印刷の将来性に期待していた凸版印刷株式会社によって買収されました。(参考:「トッパンのあゆみ」凸版印刷株式会社)
08 自動自轉車(特許第60928号)
発明者:カール・アンドリュー・ネレーシャー 氏
出願日:1920年(大正9年)8月5日、特許日:1924年7月17日
米国発明者による自転車の特許。”モボ・モガ”(モダンボーイ・モダンガールの略)に刺さりそうな意匠性に優れた設計ですね。後輪と一体化されたサドル部分が印象的です。
09 杼換式自動織機(特許第65156号)
発明者:豊田 喜一郎 氏
出願日:1924年(大正13年)11月25日、特許日:1925年8月10日
先代の豊田佐吉氏を継いで自動織機の開発を進めた豊田喜一郎氏。本特許に加え、その後種々の改良発明を重ねることにより、国産の自動織機である「G型自動織機」が完成しました。そしてこれは海外でも高く評価され、英国プラット社との特許権譲渡契約(豊田・プラット協定)へと繋がります。(参考:「第2項 プラット社との特許権譲渡契約」トヨタ自動車 75年史)
技術発展によって富が生まれた時代、特許制度は外交上有効なツールでもあったことが推測できますね。
10 羽毛帽子製造法(特許第70935号)
発明者:吉田 金造 氏
出願日:1925年(大正14年)8月10日、特許日:1927年(昭和2年)2月3日
最後は、”モガ” に好まれた釣り鐘型の帽子(クローシェ帽)に関する発明です。頭にフィットし、かつ羽毛によって覆われた帽子。とても温かそうです。
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以上、大正時代に出願された特許図面を10件紹介しました。西洋の文化が入り混じりつつ、技術発展が進んだ時代ということが感じられたのではないかと思います。
次回は昭和初期を取り上げます。どうぞお楽しみに。
(↓昭和初期はコチラ↓)
(参考情報)
・十大発明家 | 特許庁HP
・昔の特許文献の探し方と戦前の暗号関係の特許(付:戦前の中間処理実例) | Webページ
・渋沢社史データベース | 公益財団渋沢栄一記念財団
・プロパテント・ウォーズ 国際特許戦争の舞台裏 | 上山明博 著, 文春新書
・世界を変えた発明と特許 | 石井正 著, ちくま新書
・「発明に見る日本の生活文化史」シリーズ | ネオテクノロジー
以上
Uchida | 知財ライター
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