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周りの音に耳を傾ける。

、、、想像していた以上に難しいですね、ここに何かを書くという作業は。

私にとってバヨリンを弾いている方がよっぽど簡単です。


以前の投稿で最後にちらっと「周りの音に耳を傾けてください」と書きましたが、今日は、私がそれをするとどうなるのか、ちょっと例を書いてみます。

先月まるまる一ヶ月間、大家さんの希望でこの家の3部屋、全取替大工事が行われていました。ロンドンはその間、第3回目のロックダウン真っ只中です。が、マスクも消毒も予防も全くしない不特定多数の作業員が毎日、朝から晩までこの家には出入りしていました。あの日々は今思い返せばセピア色ですが、狂気の沙汰でした。

何が辛かったって、静けさのある瞬間が皆無であったこと、それから私の心の拠り所の料理が全く(一ヶ月も)出来ないことでした。その上に、耳に支障をきたすほどの騒音(100dBは確実)、衛生面に安全面、健康面にと色々とツッコミしたくなるほどの状況に、楽天家の私もさすがに気が狂うかと思いました。


、、、そんな中、あえて「周りの音に耳を傾けて」みました。

また、ちょうどその時、小豆島の民謡についての研究もしていて、その中から「おじゃみ」という遊び歌を1つ取り出して、いくつか作品を作ってみました。


ここで少し余談。私は、いつも「絵本」を作るように作品を作り、演奏します。

全ての音に人格があって、色があって、形があって、味もあって、温度もあって、感情もあって、それらを編み合わせて、その人生やその時の物語を伝えるようにします。また、そこにある「表現されたい」と待っている「もの」を優先します。これはバヨリンを演奏するときも同じ感覚です。

なぜ「絵本」と例えるのか、それは音楽は私にとって立体的に色とりどり鮮やかに見える(感じる)ものだからです。


さて、今日のメニューは3品です。

1)小豆島現地の人に歌ってもらった民謡の録音を、私が音起こしをしてちょっと整理整頓し、それをバヨリンで弾いてみた「おじゃみ」です。「おじゃみ」さんには私を含めた日本人代表としての役割を背負ってもらいました。


2)「おじゃみ」さんに出会ったイギリス人、具体的には典型的なオックスフォード人です。二人におしゃべりしてもらいました。色々な意味で「流れている時間や感覚」が違うのが感じられるかな?
曲作り人から見た音楽的なこだわりは、日本と西洋の音階を完全に混ぜずに、お互いが自立している状態(日本食でいうところの和え物?)残したところかな。


3)そして最後、みなさんにお裾分けします、「あの日常」(上記)です。
工事現場の音が、見事に一品目の「おじゃみ」さんのメロディーに当てはまった!と私にはそう聞こえる、、、ほどの精神状態でした、というのが正常な説明なのかな。この”Complainer”の人種は特に決めていません。、、、強いて言うならば、「あの日常」に対する私なのかな?

文句を言う人はどの国にもどの人種も同じです。ただ「おじゃみ」さんが最終的になんと言えばいいのか返事に大変困って「、、、しょうがないんじゃない?わかってたことでしょう?」と小声で言っている感じです。


私は日常にいつもある音と、それぞれの音が発せられるタイミングを含めた全ての音が「音楽」に聞こえます。これはね、音楽家の才能とかそういった煌びやかなものでは全くなく、勝手に音楽というフォームにそれらを当てはめてしまう私の脳のクセです。そしてそれは 厄介な悪夢にもなり得ます。、、、その話はまたいつか。


それでは、また。

良い1日を。

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