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ポルシェに乗った地下芸人.10

舞台に出ていく。ライブは2回目だが、たくさんのスポットライトの下に出ていくのは実に興奮する。

緊張もあるが、舞台に出れば「やるしかない」とハラが決まって声が出る。

「こんばんわ〜、ジョニー小野です!!」

これだ。夜なのだから挨拶は「こんばんわ」に決まっている。ちなみに、「こんばんは」ではない。

この「は」こ「わ」かを意識することで、声のトーンや発音に微妙な違いが出る。僕はあくまで「こんばんわ」として挨拶をする。

魂はディテールに宿るのだ。こういう細やかな心遣いが実にニクいではないか。これが経営者特有のセンスなのだ。

間違っても「はいどうも」とは言わない。

そもそも、「どうも」ってなんなんだよと思う。芸人なんぞ、河原もんである。なぜお客様に対してそんな気軽な挨拶をするのだ。

僕はきちんと挨拶をする。夜はこんばんわだ。昼間ならこんにちわ。挨拶は人間の基本である。基本ができていないような奴は人前に出ても笑いを取る事などできない。

僕は確固たる信念で「こんばんわ」と挨拶をした。

「この前、友達がSMクラブに行って楽しかったっていうから、僕も行ってみようと思ってスマホで調べてみたんですよ」

実に完璧なネタの入りである。

状況説明、自分の置かれている状況とその後の行動の必然性を簡潔に詰め込んだ、この上なく研ぎ澄まされ洗練され尽くしたセリフだ。

しかも僕はほぼセリフを噛まない。なぜなら、台本を暗記するなどというセコイ練習をしないからだ。

セリフを暗記してしまったら、思い出しながら話してしまう。それは不自然だ。

伝えたい事、伝えるべき事として覚える。伝える為に覚えるのと、言うために暗記するのでは根本的にレベルが違う。レベチだ。

そういえば、最近レベチという言葉を覚えたが、マクドナルドの「ダブチ」と同じ感じの違和感を感じる。「つくられた」という大人の手の介入感だ。

マクドナルドは低価格路線の商品に、流行らせようという思惑が実にクッキリ透けて見えるような略称を自らつけている。

僕にはそれがなぜか寒々しく感じられる。

などと思いを馳せている余裕などなく、必死にオチのセリフを言う。

ウケない。なんでだろう。客席を確認する。

お客さんは3人。後ろに座っているのは主催者とか出演者っぽい。

なんとなく3人のお客さんはニコニコ観ている気がする。でも笑わない。

後半のとっておきのセリフ「せいしをかけた戦いなんですって言うんですよ。」を大きめの声でかます。

反応が無い。これまたなんでだろう。しかしネタはここで終わりだ。「ありがとうございました」と力なく挨拶をして舞台袖に帰る。

ちなみに、ネタの終わり方は基本的に「ありがとうございました」でどの出演者も統一されている。

ライブ開始前に全ての出演者が集められて、「場当たり」というものが行われる。出欠確認とともに、「きっかけ」を聞かれるのだ。

「きっかけ」とは、ネタの始まりと終わりをどうするかの事である。照明がついてから舞台に出ていくのを「明転飛び出し」、照明がついた時点で舞台上にいる事を「暗転板付き」と言う。

ネタの終わりとは照明を落とすタイミングの事である。基本的には「ありがとうございます」で照明が落ちる「挨拶終わり」となる。

コントの場合は何らかのセリフで照明を落としてもらう事になるので、最後のセリフを伝える。

更に、劇場に備え付けられているマイクや机や椅子を使用する場合にそれを申し出る。

これは、ネットで「お笑いライブに出てみたら」という素人の体験記を見て学んだ。

漫談を行う僕の場合は「明転飛び出し、挨拶終わり、センターマイクお願いします」と場当たりで伝える事になる。

どれだけウケなくても、このルールさえ守れば照明が落とされて舞台袖に引き上げる事になる。もちろん、持ち時間の3分が経過すれば強制的に暗転される。

忸怩たる思いで舞台袖に僕は引っ込んだ。衣装もネタもしっかり練り込んだはずだ。なぜウケないのか。分からない。少なくとも「僕が客として観てたら笑う」というネタをやったつもりだ。

もしかしたら、このような質の悪いライブを観に来るような人たちは、著しくインテリジェンスに欠けるから、僕のような質の良い言葉遊びを理解できないのではないだろうか。

そうだ、その可能性は高いぞ。ある程度の社会常識や雑学的な知識がないと理解ができないから僕のネタでは笑えない。

気の毒な人たちだ。大きな声で意味のない言葉を言いながら踊り狂うような一発ギャグがお笑いだと思っているのだろう。

だとしても、ウケないのはツラい。せっかくネタを準備して、時間とお金を使ってライブに出て嫌な気持ちになるのは、人生のコスパが悪過ぎる。クソが!!という気持ちが溢れて止まらない。

雑居ビル裏手のベンチに座り、悶々とする。ガタガタと安っぽい異音を立てて稼働する室外機を見つめながら、心を落ち着かせようとあれこれ考える。知らないうちに貧乏ゆすりをしている自分に気がつき焦る。

貧乏ゆすりだと。普段社長をやっていて、今日だってポルシェで来ている僕が貧乏ゆすりだと。

それにも腹が立ってきた。なんだよ、ほんとマジムカつくわ。

目の前に誰かが立った。見上げると、刈り上げキノコ頭の怪人、アキちゃんだ。確かアキちゃんは後半ブロックだからまだ出番ではない。

僕を見下ろしながらアキちゃんは独特な甲高く細いカスレ声で言った。

「お客さん、どうでした?」

問われて僕はとまどう。どうでしたとは、どういう事なんだろう。しかしとりあえず答える。

「3人くらいいたけど、笑ってませんでしたねぇ」

「そうですかぁ、今日は重い客かぁ。やだなぁ」

ほほう、今日の客は重いのか。多分、客が重いとは笑いにくいという意味だろう。この辺の洞察力と論理的考察の素早さは経営者ならではである。

「そうですねぇ、かなり重いですね」

アキちゃんに乗っかって答える僕。そうだ、それならウケないのは仕方ない。

笑いにくいとは実に不幸な人たちだ。普段の生活でも笑いにくいからお笑いライブに来て、笑うためのリハビリをしているのだろう。

心が急に軽くなった。

気持ち悪い見た目ではあるが、このアキちゃんはいいやつなのかもしれない。

それとなく周りを見渡すと、先程出番を終えたYU-TAがレガースをつけ直していた。よく見ると彼は裸足だった。

舞台上では理解できるが、なぜ出番が終わっても靴を履かないのだろう。ビルの裏は汚い。ゴミもあるし室外機から出る水がそこかしこに水溜りを作っている。

きっと衛生観念が薄いのだろう。かわいそうに。

そう思っていると、こちらの視線に気がついたのか、YU-TAがこちらにやってきた。


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