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自己肯定感とファッション

服を着るとき、何を考えてますか??
僕は自分が幸せになれるかを考えている。
話デカイ?いや、たかが服と侮るなかれ。

服は毎日身につけてなければ生きていけない。
ご飯を食べなきゃ生きられないように。
服を身につけることで心の栄養をとれる。
*そうじゃない人もきっといます。

ファッションと自分の幸福については常に考えているところがあって、まとまり次第文章にしていきたい。
ひとまずここでは、私が幸せのためにファッションにこだわるようになった経緯を一部紹介したい。

まず、自分で服を選ぶようになったのは大学に入ってからだ。人と被らないように服を選び、オンリーワンの自分らしさを追求した大学時代前半。現在の結論としては、「自分らしさとは、人と違うということじゃない」ということだった。

初めのうちは何を着たらいいのかわからなくて、周りの人の服装を必死にみて、見よう見まねで着こなしてみる。おしゃれな人が着ているものはとりあえず着てみたかった。
そのうち、人と被らないことがオシャレという考え方に感化された。たどり着いたのは安い古着屋で、とりあえず目新しいものを全部買ってきてみた。
この時期は、若さゆえの「その他大勢ではなく何者かになりたい」気持ちがファッションにも表れていた。流行りには絶対乗ってやらなかった。反骨精神的なのはファッションに限らずあって、いまも引きずっている。

さて、この時期を振り返って気づいたことがある。すでに述べた通り「自分らしさとは、人と違うことじゃない」ということだ。つまり、人と被らないようにするあまり、自分自身を見つめられていなかったのだ。そのためいつまで経っても満足はできなかった。
いま、街中で若い学生のファッションを見ているとどれも似たような格好に見える。それは、たくさんの人に「いいね」をもらえる誰かになろうとしてるからではないだろうか。でも、誰かになることはできない。

僕の転機は、大学の時間割の関係で人付き合いが減ったことだった。誰に見られるでもなくおしゃれをするようになり、他人の評価よりも自分自身の評価が重要になってきた。
これはいわゆる自己肯定感というものにつながってきたのだ。

最近は自己肯定感が、幸福のためのキーワードになっている。これは予測だが、社会全体で価値観が変わり始めているからだと思う。SNSが普及したことにより個人が強くなり、マジョリティの決める普遍的な幸せ像に違和感を感じているのだ。
例えば、大学を出て公務員になること、女性は子供産んで専業主婦になること、車を持つこと、こういった幸せ像は誰にでも当てはまるわけではない。100人いたら100通りの幸せの形がある。
そして、自分の幸せを自分で決めるには自己肯定感が必要になるのだ。

かなり話が大きくなったが、要するに、他人の評価に惑わされず自分のために服を着ることが自己肯定感につながる。自分のために服を着ることが、すなわち幸せということだ。
社会生活をする限り、他人の評価もある程度は気にしなくてはならない。私服を着るときだけでも自分を認めることができれば幸せなのだ。

プロフィール

おのし
東京暮らし3年目、自粛生活24年目

好きなものはファッション、アニメ

「小さい子供が見てる前で、赤信号をわたらない」がモットー

インスタでは着こなし投稿してます↓
https://instagram.com/ono_xiu_

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