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御-Hashi-書



はしがき | Preface



この言葉を目にすると, 夜の繁華街から少し外れた小道の一角にある, 淡い光に導かれる様にして足を運んだ和食の小料理屋を私はよく想像します(行ったことはないです)。

ここまで約1週間, 毎日何かしらの学びを私の中の好奇心の化物に与え続けてきました。

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人によっては「勉強」というのでしょうか。

私にとっては, 能動的な学習から得るインプットを「学び」と捉えています。

それは一方で論文や教授というアカデミアの師とする方々からの知の享受であれば, 他方で行動や存在から得る価値でもあります。

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「学び」は人々の生活を豊かにし, そして成長を助ける道筋なのかもしれません。

では, 成長は必要なのでしょうか

成長はとても恣意的な熟語であり, そして明確な定義が存在しません。

20世紀を代表するプラグマティズム思想家でもあるJohn Deweyは, 成長を

「経験の再構築」

としています。詳しいことについてはまたの機会があれば学んでいくことにします。

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私は成長を, 将来「自分の世界がどこに存在するか・どの窓から世界を見るのか」によって定義が変わるものだと見ています。

その窓は何処にあるのか, 何階にあるのか, 誰と共有しているのか

その将来を考えた時に, その窓を創り上げるためのプロセス,そのものが成長なのではないのかと思います。

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しかし, 窓がまだ定まっていない人の方が多いのではないのでしょうか?

将来就職するのか, 起業するのか, 海外に住むのか, 世界一周するのか, etc... 人生というものは, 不確定要素の方が多いのが普通だと思います。そしてその不確実性に私達は希望を抱き, 同時に絶望するのでしょう。

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だからこそ, 私達には学ぶ意味があると思います。その不確実性の中で考えられる可能性をより広げる。その学びから得た経験を育てることで自分の窓を見つけることが大事なのだと思います。

今日は私の学びに対する考え方についての端書きでした。「学び」についてはまた後日詳しく討議していきます。

明日からは新たな2週目のスタートを切ろうと思います。では, また明日。

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