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インスタ 消しちゃった話 | Depart from Digital Natives

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前回に引き続き。

先月SNSのアプリを携帯から消して、5月には携帯を解約したんですけど、それでもSNSを無意識に開いている自分がいたので、6月にはSNSアカウントを消すことにしました。

「あぁ〜、ついに消してしまったか。」と思う自分と、「やっと消せた」と安堵に包まれている自分がいて、何かとここ数年感じていた無意識の重石から解放された様な気分でいます。

なぜアカウントを消さずに残していたのか。理由は主に「人との繋がりを失いたくない」からでした。

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高校の時からInstagramを使い始め、出会った友達や人達と連絡先を交換するために、必要不可欠な媒体でもあります。デジタルネイティブと言われる私達にとって、これほどSNSが日々の生活と密接に関わっているものはないのだなぁとも、しみじみ感じたものです。

それは更に昨今のコロナ禍でオンラインで人達と繋がる頻度が多くなったからこそ、人と繋がるのには必要不可欠なSNSですが、その真っ只中で消すことの恩恵はあるのでしょうか。


超拡散社会に生きるもどかしさ

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嘘の情報の方が、真実よりもより強い拡散力を持つ。MITの研究が示した研究は、ソーシャルメディアでの情報収集に対する疑念を再起されるきっかけとなりました。

元来のメディアの存在は、「記録」としての毛色を強く持ったものであり、”Prestigious Institutions”によって発信されている情報のみを、私達は消費していました。そのため、情報にはある一定の統制と信頼が存在し、それらの範囲の中で私達は情報を交換するだけだったはずです。

それが、各個々人がメディアを持てる時代となった今、情報に対する透明性・信頼性という部分で疑念が増えてきました。世に言われる「インフルエンサー」という存在がコミュニティを形成していく中で、自分に都合の良い解釈で時事を扱う。俗に言う「消費のための生産行動」が増えてきた様な気がします。

クリックベイトという言葉は特に有名ですが、自分のコンテンツをクリックしてもらうために、直接的には関係ない広告・サムネイルを打ち出して客引きをする。良く言えば、「エンゲージメントを向上させるためのマーケティング」ということもできますが、この手法が発展して激化した結果に、炎上商法といったものが挙げられると思います。

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この様に、現代のソーシャルメディア社会における情報の信頼性というものは、ほとんどが嘘に包まれた存在になりつつある様にも思えるのです。

それが、特に2020年度に起きたBLM運動は少しControversialなものだったのかと思いました。特に日本におけるBLM運動は、アジア人として生まれ育った自分から見て、少し違和感として残るものもありました。

なぜなら私たちが共感・共鳴するべきものと、そして代表するものというのにはある一定の線引きがあると思うのです。

You think you know everything, but you don't
You wanna copy our slang and everything that we know
Try to steal black culture and then make it your own,
woah

Fuck, I'm exhausted
I can't even drive without the cops tryna start shit
I'm tired of the systematic racism bullshit
All you do is false shit, this the shit that I'm forced with
And you don't know shit about my people, that's what bothers you

You don't know about no fried chicken or no barbecue
You don't know about the two-step or no loose change
You don't know about no 2 Chainz or no Kool-Aid, you don't know

I'm not Racist by Joyner Lucas


情報社会で生きるということ

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1% vs 99%という逸話は2008年のリーマンショック時に経済格差の象徴として、ウォール街で働く富裕層を相手に民衆が抗議・プロテストした事で有名ですが、デジタル社会と言われる今、同様の格差が生まれつつあると言っても過言ではないかもしれません。

近年の仮想通貨ブームは、P2Pネットワークによる分散型台帳技術というものから「リバタリアン的」特徴を持つ新しい形の貨幣により、期待を多くの人達に抱かせる存在から膨れ上がりました。一方で「ブロックチェーン技術が真の価値」と言われるほど、仮想通貨自体の価値というものは近年薄れつつあるのは事実として存在し、いまだに続く仮想通貨への期待感というものは一種のバブルの様にも感じられるのです。

僅か1000人によって仮想通貨全体の40%の資産を保有されていることや、イーロンマスクの1つのツイートでビットコインの価値が12%落ちるという様な、異様な価値推移を見せる仮想通貨市場の脆弱性というものは日を追うごとに増していく様にも見えます。

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それほど仮想通貨には資本形よる市場操作性があるという見方もでき、「リバタリアン的」貨幣の限界を我々は見ているのかもしれません。

しかしながら、その様な不確実性が高い貨幣に我々は未だに投資を続けます。その脆弱性に価値を見出し、投資を続ける人達にはどの様なインセンティブがあって投機行動を行うのでしょうか。


ヒト・モノ・カネ・「情報」の時代

社会に出て良く感じるのは、皆口を揃えて「ヒト・モノ・カネ」「ヒト・モノ・カネ」と言ってきます。元を辿るとResource Based ViewというB. Wernerfelt 氏によって提唱され、J.B.Barney氏によって注目を浴びた資源依存型戦略理論の1つであり、社内資源を活用することで競争優位性を導き出すといった様な論理から派生した言葉となっています。その考え方が組織から日常生活へと派生していき、日常で使われる形になったのだと思います。

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そして近年、この三要素に加えられたものに「情報」があります。IT化が加速する世の中で、より多くの情報を保持していることこそが競争優位性を確立できるという考え方が流布していきました。今ではGAFAMというサービスプロバイダーが市場を大きく影響する力を持つほど、情報価値の重要性というものはより一層強くなっています。俗にいう「コンサル」というものは情報価値をサービスとして商売を行っている業界であり、実質的コストは0円という世界も存在しています。

情報というものはヒト・モノ・カネに匹敵するほど、それ以上の価値を持っているのかもしれないのです。


情報との向き合い方

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コンサルタントという職種でプロジェクトに配属されてから早1ヶ月が経過しようとしていますが、その中でも特に感じることが「情報格差」によるサービスだということです。勿論コンサルタントという職業には多様な価値提供方法があると思いますが、本来コンサルタントという職種は、この「情報のギャップ」というものの存在に気が付かなければ誕生しなかった職業だとも捉えられることができるかもしれません。

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このギャップに対してサービスを提供するといったビジネス自体に疑問を抱く人や、苦言を呈する様な方々ももちろん一定数いるとは思うのですが、その反面コンサルタントという職に多様な意味で恩恵を感じている人達がいるということは、21世紀の社会においてコンサルタントというサービスが現存し続ける確固たる理由があり、その土壌は日々飛び交う情報量が拡大すればするほどに需要が広がるのかもしれません。資本主義経済圏で生きるということは、すなわちこの様なことなのでしょうか。情報との向き合い方を考える良いきっかけが今目の前に広がっているのかもしれません。


まとめ

インスタグラムを削除してから早2ヶ月が経過しようとしているのですが、結果として不必要な情報から逃れると同時に、実体の世界で生きる幸福を感じられる様になりました。これが巷で噂のデジタルデトックスに近い現象なのかもしれません。

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一概にも削除することが正解ではないですが、日々の生活で友人と出会う時の喜びや幸福感といったものは、アナログ世代の方がよほど楽しかったのだろうなぁと思いながら、毎回人と会うのを楽しみにしています。



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