見出し画像

折る



“折る”と“祈る“は似ている。



餃子を作る時、餃子の中身を作ってそれを皮に包む。皮に包んだらその皮を折っていく。あの餃子ですよとわかるような独特なあの形を折る。折っている時間は無心になれるし、折っている時間が好きだ。
折り目がついていく。あの感覚。あの1秒にも満たない時間で世界は回っている。私が餃子の皮を折っている間に誰かが何かを思い、誰かが希望を覚え、絶望に呑まれる。そんな一瞬。そんな祈りに似た時間。餃子を作っている今この瞬間もそう。この折り目の中に世界があるように思える。


「母さん、母さん」


と夕陽がさす部屋でランドセルを部屋の隅に降ろして駆け寄ってきた息子が問いかけてくる。


「とかげはしっぽが切れてもまた生えてくるんだよ」


と息子が言う。



「とかげはそうだね。でも人間はそうはいかないね」
「なんで?」
「人間はなくなったものはそのまま生えてこないんだよ」
「生えてこればいいのに」と息子は少し不機嫌そうだった。

「母さん、母さん」と息子が問いかけてくる。この時間が愛しかった。

この間会った息子は顔に餃子の皮をかけていた。餃子の皮を顔にかけて暗い部屋の固そうなベットの上で寝ていた。静かなその部屋に入り、私は横たわる息子を見ていた。ふと、顔の餃子の皮には折り目がなかったことに気づいたので折り目をつけていた。それを見た周りの大人が私にとっさに駆け寄って「何やってるんですか!?」と言われたが「餃子の皮を折っているんです」と言った。周りの大人はそんな私をおかしな人として憐れんだ。





涙は出なかった。


私には涙腺というものはきっとある。きっとあるんだろうけれど涙は出なかった。
「泣いてるだけじゃ何も変わらないから泣かないの」とよく息子に言ってたからだろう。何も変わらないと教えていた私が泣くのはおかしな話だ。だから涙のバルブを閉めた。だから私は泣かなかった。

突然だった。突然だったんだ。病気でも事故でも事件でもない。突然だった。帰り道だった。ここに息子が帰ってくる帰り道だった。突然。
だから誰も悪くない。だから誰も責めることはできなかった。だから涙も気持ちもどこかに追いやった。


今日は山に出かけた。大きな山。車ですぐ行ける距離だったがなかなか行くタイミングがなかった。向かう道すがら息子がよく行きたいと言ってたのを思い出した。あの時はいつでも行けるからと言ってたが行けばよかったと後悔ばかりだ。駐車場に車を停める。そのあと少し歩いてロープウェイの乗り場へ。料金を見る時子供料金も一緒に見てしまう癖はいつまで経ってもなおらない。
ロープウェイなど滅多に乗らないので怖いかもしれないなどと思ったが進み出したら特に感情はなく、貸し切りだった。
景色がどんどん変わる。窓から見える紅葉が綺麗だった。同じ山なのに同じ顔なんてどこにもない。こんなたくさんの色があって、こんな表情ができるんだと感心すらした。


「母さん、母さん」と息子の声がした。


「なんでこんなに山は顔を赤らめているの?恥ずかしいの?」と息子ならこう言うだろう。
一緒にロープウェイに乗っている感覚がした。

視界が滲んだ。目を擦ると濡れていた。
その時、「あ、泣いてる」と思った。と同時に大きなため息が出た。蝋燭10本くらいは吹き消せる風量だと思う。
頂上につき、少し歩いて見晴らしの良い展望の場所に出た。山の頂上なので遮蔽しているものはなくどこまでもどこまでも空が繋がっているように思えた。私は何かを思い立ちやまびこをするかのように叫んだ。



「突然すぎるだろ!もっと一緒にいたかったぞ!まだ早い!まだ早いよ!なんでよ!」と叫んだが途中で言葉が詰まる。言葉は渋滞した。喉の奥で玉突き事故だ。出てこない。足の力もなくなりその場に倒れ込んだ。代わりに目から涙が溢れた。
人生はドミノ倒しのようにうまくいかないことが多い。思ったよりうまく倒れていかないんだ。でも、その都合倒れなかったところを修正して直していくしかない。それで次また倒れるか確認していく。そういう作業の繰り返しだ。途方もない。本当に途方もない。


「大きな声でうるさいなぁ」と大きな声で怒られたので、声のする方を見る。顎がしゃくれている。しゃくれを越してかなり鋭利になった顎の女性がそこには立っていた。

「あんたの声が大きいのよ」とその鋭利な顎の女性は言う。どうやってそんなに綺麗に発音しているのかわからないがしゃくれている発音の仕方をしていない。しっかりとこちらに声が届く。

「山で大きな声出しちゃダメなんですか?」と返す。涙は引っ込んだ。

「ダメでしょ」
「なんでですか?」
「びっくりするじゃん」
「誰が?」
「私が」
「あなたがですか?あなたは何なんですか?」
「ギロ・・」
「え?」
「ギロチ・・」鋭利な顎の女性はモゴモゴと答える。
「なんですか?」
「ギロチンです」
「ギロチン?」
「私の名前です」とはっきり答えた。

この女性はギロチンという名前らしい。顎が鋭利にしゃくれているから皆からギロチンと呼ばれているそうだ。私はこの時点では同情した。

「650円」と通称ギロチンが言い、私に向けて手を出した。戸惑っている私に手をより近づけて「650円。名前教えた料金」と言った。どうやら性格が悪いようだ。私は650円を払い、同情を返品した。

「次、大きな声出したら1500円ね」と言う。
「なんで?ここはあなたの山なの?」
「いや、違うわよ。でも私は迷惑をうけているの。お金をもらって当然でしょ」と憎たらしく言われた。
「1000円」と私が返した。
「何の1000円?」とギロチンが言うと「不快だから1000円」と返す。ギロチンは渋々1000円をくれた。根は真面目らしい。

「あんたなんで泣いていたの?」とギロチンが聞いてきた。

「私の息子が・・」と言葉が詰まる。
そういう彼女はサヤコという。ヘルメットのような短髪でメガネ。ずっとこのスタイルだ。そして彼女は妄想癖がある。子供の頃から猫を飼っていないのに猫がいなくなったと探したり。雪が降っていないのに雪だるまつくろうとはしゃいだりした。作り上げてしまうのでないものを作り上げる。思い出にしてしまうのだ。脳内で鮮明に記憶を作り上げる。
そんな彼女に子供はいない。そもそも餃子を折っていただけにすぎない。
餃子は好きだ。休みの日の布団より餃子が好きだ。食べるのではなく、皮を折るのが好きだ。折って折って特にそれを食べるわけではない。ただ保存しておく。それでいいし、それがいい。

そう、2人ともヤバいやつなのだ。



それから何年か経った。

「お、今日はかなり綺麗だ。お店のやつみたい」と独り言を言いながら夕飯の餃子の皮を折る。この気持ち、思いが思い出になるように祈りながら。

「でも食べないんでしょその餃子」とギロチンが言う。
「いいでしょ別に」
「何の思いが思い出よ。誰の何も全部ないことじゃないの」
「あるわよ」
「どうだか」
「そういうあなたも存在してるかすら疑わしい」
「私は存在しているわよ」とギロチンが少しだけ口角を上げた。サヤコはもう分からなくなっていた。ただ、一つ分かることは餃子の皮が綺麗に折れたということだけだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?