見出し画像

【ウィリー・モー・ペーニャ】サミー・ソーサ二世と期待された陽気なドミニカンは規格外の怪力で日本の地で花開くと人懐っこい笑顔と明るい性格で全ての所属球団のファンから愛された強面の助っ人

おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。

今回はウィリー・モー・ペーニャを
取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=SwVmkruDKz4

1982年、ドミニカ共和国に生まれたペーニャは
恵まれた体格と天賦の才で
ハシント・デラコンチャ高校時代に頭角を現し
「シーズン35本塁打は打てるぞ、
サミー・ソーサ二世ともいえるポテンシャルだ」と
母国の英雄になぞらえて将来を嘱望されました。

1998年、アマチュアFAでニューヨーク・ヤンキースから
指名を受けた際には、当時のドラフト外野手部門で
史上最高額となる4年370万ドルを提示されると
スカウトのゴードン氏は
「高校時代のケン・グリフィー・ジュニアに
アレックス・ロドリゲス、マニー・ラミレスも
見てきたけど、ウィリー・モーに匹敵する
パワーを持つものは誰もいなかったね」と
期待の大きさを口にしたのです。

しかし3打席に1回は三振という確実性のない打撃や
生まれ持った強肩を生かしきれない送球の荒さから
2001年、シンシナティ・レッズへトレードされると
翌年にメジャーデビューを飾ったほか、
2004年には故障したケン・グリフィー・ジュニアの
代役として110試合に出場し、26本塁打をマークしました。

日本人メジャーリーガー大家(おおか)や
石井一久(いしいかずひさ)からもホームランを放った
大砲でしたが
「桁違いのパワーは魅力的でも
外野の守備は悲惨なワンツールプレーヤー」と
見られていたペーニャがレギュラーに定着する事は無く、
毎年、所属先が代わる生活を送っていたのです。

常に全力プレーの大男は、守備の際に
フェンスに激突して故障する不運に
見舞われながらも決して野球を諦めていなかった2011年、
3Aリノ・エーシズで打率3割6分3厘、21本塁打の
成績を残すと、その年のシーズンオフ、
福岡ソフトバンクホークスから
年俸1億4000万円のオファーが届きました。

メジャー通算84発ながら4人目の外野手という
立場に行き詰まりを感じていた
身長190センチ、体重118キロの助っ人は
「全米で私の名前が知られたのは飛距離のおかげ。
150メートル以上は飛ばせるよ、日本でも
ホームランを打つたびに東日本大震災の復興に
2万5000円づつ寄付するつもりだから、
たくさん打たないとね」と海を渡って来たのです。

2012年1月29日、シカゴ発の飛行機が遅延した影響で
成田からの乗り継ぎに失敗すると
「生後4カ月のブリアナが泣いちゃって大変だったよ」
と、やや疲れた表情で2時間遅れの福岡入りに
なりましたが
キャンプ初日のフリー打撃では挨拶代わりに
150メートルの柵越え弾を放ちました。

キャンプ地に愛娘のおむつやミルクを持参していた助っ人は
いざ開幕すると、自慢の怪力をいかんなく発揮し
4番を任せられるようになります。

4月8日の西武ライオンズ戦で石井投手から
「久しぶり」とばかりに特大ホームランを放つと
5月には「気分によって色を変えるんだ」と
髪とあごひげを金色に染めるゴールドバージョンで
登場、指名打者部門で選出されたオールスターの
ホームラン競争では場外ホームランを連発して
優勝を飾りました。

最終的に打率2割8分、リーグ4位の21本塁打、
76打点をマークしてチームに貢献した助っ人でしたが
「1ケタだと背中が寂しいから2ケタがいい」と
背番号を8番から55番に変更して臨んだ(のぞんだ)
翌年は一転、極度の大不振に陥ったのです。

その年限りで自由契約となった大砲は再起を誓って
オリックス・バファローズに移籍すると
チームメイトの消極的な走塁にキレるなど
戦う気持ちを前面に出すプレーでチームを鼓舞、
自身も主砲として32本塁打、90打点の好成績を
マークして
クライマックスシリーズ進出に大きく貢献しました。

当然、残留かと思われたシーズンオフでしたが
複数年契約を希望するペーニャと単年契約を提示する球団との
溝は埋まらず、宙に浮いてしまった助っ人に
アンドリュー・ジョーンズ退団で長距離砲を欲していた
東北楽天ゴールデンイーグルスが声をかけると
日本野球で実績十分の4番候補は東北の地にやってきたのです。

「ペーニャでも競争だよ。結果を出したヤツを使う」と
大久保監督の言葉に従って、杜の都に主戦場を移した
助っ人は4割近い出塁率をマークするなど
奮闘しましたが、低い得点圏打率と半減した本塁打数が
ネックとなり、戦力外通告を受けました。

帰国してクリーブランド・インディアンスの
マイナーチームに所属しながら野球を続けていた
2017年6月、
マット・ダフィー、ジミー・パラデスの両助っ人の
打撃不振に伴い、貧打にあえいでいた
千葉ロッテマリーンズから声ががかると
年俸30万ドルで契約して再来日を果たします。

低迷するチームの起爆剤になるべく幕張にやってきた
助っ人に対して、楽天時代の指揮官、大久保氏は
「真面目で責任感が強く練習熱心な選手だから
チームが勝てないと自分のせいだと気にしてしまう。
自分自身にプレッシャーをかけちゃうから
打てなくても、周りから気にするなって声をかけて
あげるといいよ」と
豪快な風貌に似合わず、繊細な心を持つ助っ人の
起用法を語りました。

千葉に降り立った大砲はシーズン途中の加入ながら
4番に座ると、西武ライオンズ戦で
メットライフドームの屋根とスタンドの間から
消える場外弾を放ってMLBで話題になるなど
チームトップの15本塁打にチーム3位の
38打点をマーク、帰国の際には
「100%の力でプレーが出来たのはファンのおかげさ。
感謝したい。今年はいいシーズンではなかったが、
マリーンズはこんなチームではないはず。
来年は開幕から勝利に貢献したいね」と
やる気満々でしたが、契約更新には至らず
その年限りでユニフォームを脱いだのです。

翌2018年、フロリダ州タンパに
「ウィリー・モー・ベースボール・アカデミー」を
設立して野球指導者となった助っ人は
桁違いのパワーで低く速い弾丸ライナーを放つと
レフト前ヒットだと思った打球がスタンドに
突き刺さり、二塁手がジャンプして
捕球しようとしたライナーが猛スピードで右中間を
割っていきました。

カメラが追いつけないほどの強い打球を放つ一方、
基本的な打撃技術を身につけていない事から
外角へ逃げる変化球にめっぽう弱く、
選球眼の悪さは折り紙付き、守備の方でも
送球の正確さに欠け、たびたび打球の軌道を
読み違えましたが、見た目からは想像できないほど
走塁意識は高く、平凡な内野ゴロでも常に全力疾走で
本盗を成功させたり、レフトフライで
二塁へタッチアップを決めるなど
好走塁を見せたのです。

ヒットやホームランを放つと、
観客席やベンチに向かって手をピストルの形にして
突き出すパフォーマンスや
ホームベースを踏む際には手をクロスさせ、
DAIGOのウィッシュのようなポーズを見せた助っ人は
ファンにヒゲに触らせては電車内で一緒に
写真を撮るなど人懐っこい陽気なドミニカンでした。

夫人と2人の愛娘、それにクレーンゲームをこよなく愛し
日本のウォシュレットに衝撃を受けてからは
お尻に水を当てながらトイレで読書するのが
最高の時間となった強面の大砲は
打つと愛くるしい笑顔でニコニコしたかと思えば
打てない時はベンチの片隅で体脂肪率1ケタ台の
巨体を小さくして落ち込むなど「ぺーにゃん」の
愛称で親しまれた規格外の怪力スラッガー、
ウィリー・モー・ペーニャ

いかがでしたでしょうか?

これからも海を渡り、日本に衝撃を
与えてくれた最強の助っ人たちを
ご紹介していきますので
是非ご登録よろしくお願いいたします。

ご視聴ありがとうございました

この記事が参加している募集

すごい選手がいるんです

よろしければサポートお願いします! いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!