見出し画像

【イ・スンヨプ】韓国で国民的打者と言われた大砲はメジャーリーガーになる夢を叶えるべく来日すると憧れていた読売ジャイアンツで4番に座り優勝に貢献 ライオンキングの愛称で親しまれたアジアの大砲と呼ばれた男

割引あり

おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。

今回はイ・スンヨプを
取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=umS3tDaKKFg&t=2s

1976年、韓国に生まれたイ・スンヨプは
慶尚北道高校時代、
全国大会で優勝投手になるなど、投打で
その才能を発揮すると1995年、
サムスン・ライオンズに入団しました。

高校時代に痛めていた左ひじが
思うように回復せず
日韓で首位打者に輝いた韓国プロ野球界の
重鎮ペク・インチョンから
「打者の才能を伸ばすべきだ」と助言を受けると
憧れだった王貞治と同じ一本足打法に
取り組んだのです。

すぐに打者としての才能を開花させた
左の大砲は1997年、本塁打王に輝くと
高校時代から付き合っていた
イ・ソンジョンさんと結婚、
「一緒にアメリカへ行こうと
プロポーズされたんです」と彼女が振り返るほど
メジャーリーグへの夢を膨らませていました。

1999年、シーズン54本塁打の韓国記録を
マークしてシドニーオリンピック韓国代表に選ばれた
イ・スンヨプは、球団名から敬意を込めて
ライオンキングの愛称で親しまれると
通算300号を達成した2003年のシーズンオフ、
ついにメジャー挑戦を表明したのです。

「DHのあるア・リーグが希望です、
2年以内にあらゆる面で
日本の松井を超えてみせます」と
自信満々にオファーを待ちましたが
メジャー契約を提示する球団が
現れなかった事から、
2年在籍すれば無条件でメジャー行きを
バックアップすると約束した
千葉ロッテマリーンズに入団を決めると
身長183センチ、体重87キロの助っ人は
海を渡って来たのでした。

2004年シーズン、
ボビー・バレンタイン監督のもと
開幕4番を任された助っ人は
松坂から初打席初安打初打点を
記録するなど出だしは好調でしたが、
次第にインコース高めで身体を起こされてから
外の変化球というパターンに弱点を露呈、
打率2割4分、14本塁打、50打点に終わったのです。

ここから先は

2,218字

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が参加している募集

#すごい選手がいるんです

2,725件

よろしければサポートお願いします! いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!