スクリーンショット__45_

生きて、いたくても――Dec#36

 今学期最後の新聞には、遂に「クエスチョン」の目的がはっきりと載った。「いじめに対する復讐である」と。
 謹慎最後の日に携帯電話を返して貰ってからその日は律儀に大人しく過ごし、翌土曜日、僕はすぐさま三上に連絡を取った。報道部部長と話がしたいと言うと、事情を悟ってくれたのだろう、例の喫茶店で会合をセッティングしてくれた。
 僕はその座で、初めて会う相手に全てを明かした。両親相手に一度同じ経験をしているからか、思ったより簡単に伝えられた。但し、対象だけは伏せた。名指しで槍玉に挙げたいんじゃない。と言うより、そうしない方が少しはマシだと信じている。

〈――騒動の首謀は正体を明かし、彼が「スプリー・スリー」である事ははっきりした。しかし、「スプリー・スリー」を彼とするのは間違っているだろう。その代表者、代弁者が全国的に背負う、潜在的な真のメンバーの規模は計り知れない。
 今回の復讐が特定の誰に対するものかは語られなかったが、解釈のしようによっては、「見えない非難」と言う認識も出来る。「クエスチョン」は観客巻き込み型のパフォーマンスだ。選ばれて壇上に立った観客は、こうして「目的」が公開された今、その行いに覚えがないかどうか、果たして自らは復讐されるべき人間でないかどうか、問い掛けられている事になる。勿論、首謀者個人にではない。虐げられている「スプリー・スリー」の全てにだ。そしてまた、舞台として選ばれた「学校」そのものにも、同様の「クエスチョン」が為されている。
 賛否や捉え方はそれぞれだろう。しかし、「クエスチョン」が生まれなければならなかった背景にこそ我々は目を向け、そして本来はそうなる前に、そもそもの問題を撲滅し再発を防止する為の、意識と実行性ある「運動」を以て当たるべきだったのではないか。
(報道部部長・村主)〉

 彼の意訳は完璧だった。定義は破ってしまったけれど、現時点で出来る最善の選択をしたと思っている。僕は言わば、「攻めの逃げ」を採った。最後に出来る、精一杯の抗戦。
 記事自体が、どれ程の影響力を持つかは未知数だ。大半の人はきっと、さして興味もなく流してしまうと思う。或いは、下らないと受け止めている。でも、それがどうでもいいにしろ、下らないにしろ、誰もが何かを考えた。僕は「クエスチョン」を投げ掛けて、答えはもうそれぞれが、自意識と責任の上に持っている。図式は正しい。
 何より僕自身が、「クエスチョン」を通して一つの答えを示したつもりだ。
 そうして僕は、今ここに居る。

 僕は残り全日に顔を出し、終業式の場にも堂々と列席した。
 謹慎を解かれた僕への視線は、「いじめられ、派手な事をやらかし、謹慎を食らって、そこから戻って来たやつ」と言う具体性のなさそうな戸惑いと敬遠を纏っていた。構わない。どころか僕には、最高の見返りだ。
 淡々と進行し、淡々と終了する式には特に感慨もなかったけれど、晴れ晴れとした気持ちは強かった。クラスに戻ってからも諸注意などの少し退屈な話が続いて、その後、通知表が配布された。僕に渡されたそれには、何より前回と比較して欠課時数が目立つ。通信欄には「よりよい行いを心掛けましょう」なんて書いてあって、一人笑ってしまった。これも一つの証跡になる。
 全てのプログラムが済んで実質の冬休み突入である下校時間になると、集合場所である北門に向かい、そこで偶見と三上、そして美術部員といつもの面子に囲まれた。これから諸々を含めたお祝い会と称して、遊びに行く予定になっている。
「お疲れー、宮下君」
「ああ先輩、色々大変でしたね。何も庇い立てしてくれなくてもよかったのに」
「そんな腹積もりじゃないよ。寧ろ、『クエスチョン』を独り占めしてごめん」
「いいんです、いずれは手離す事になるものですから」
 使い捨ての他愛ない話を、ブライダル・カーみたいに音を立てて引きずり回しながら歩く。最初に向かう先はボウリング場で、ティームでの対戦が企画されていた。ちょうど男子一人と女子二人の三グループが均等に編成出来る。だけど僕は運動全般苦手で、その上僕とは対照的に見える新居君や阿左見君と同列の扱われ方をするから、実は結構な重圧だ。
「気にしないでいいじゃん、そんなの。楽しもうよ」
「それは勿論、分かってるけど」
「そうですよー先輩、これは『クエスチョン』なんですから」
「、……? どう言う意味?」
「今日のはね、因んでるんですよ、『クエスチョン』に」
 星岡さんに解説されて初めて知った。球を投げてピンを飛び散らかすボウリングは、紙コップを投げて紙吹雪をぶちまけた第一回目に。この後予定されているちょっとした物品交換会のイヴェントは、夢の欠片を取り合った第二回目に。それぞれが「クエスチョン」に準えられている。ただのレクリエイションじゃなく、祝賀会らしく記念的な内容だったのだ。「SI」から、最後のサプライズのつもりで。
「これも藍璃ちゃん発案なんですよねー、アイディアン・ガールだから」
「あー、言わなくていいの。アンタはもっと英語をちゃんと勉強しな」
「ありがとう、倉井さん。皆も」
「……まあ、だから、苦手だとかそんな事は置いといて、気にせずやりましょうよ。言い出した身だけど、正直アタシもボウリング駄目で」
「へえ、そうなんだ。何だか、意外だ」外見上の判断で申し訳ないけれど、やっぱり倉井さんの印象は変わらず、スポーツ全般万能に見える。
「普段だったら、誘われてもアヴェレイジ七点だからって断ってるくらい」
「は? 七? お前絶対俺のグループ来るなよ」
「馬鹿、本当な訳ないでしょ」
「じゃあ幾つだよ」
「…………言わない」
「うわ、お前絶対俺のグループ来るなよ」
「後で覚えときなよ、アタシの番が来たらピンはアンタだからね」
 倉井さんがそんな風に軽口を叩いていると、続いて一藤さんや安宅さん、三上までもが次々に苦手だと言い出して、実際に始めてみればそれは笑いが絶えないくらいに悲惨だった。僕も勿論、一端を担っていた。ゲイムは殆ど阿左見君の独擅場で、途中から様々なハンディを課せられたにも関わらず好成績を出し続け、道半ばで力尽きてしまった安宅さんのボールを自分のボールでぶつけて、機械に回収させながらピンを四本倒す神業まで見せた。
 ゲイムを二巡し終わって、僕たちは近くのファミレスに入る。全員分のドリンク・バーと各自の注文を済ませて開かれた交換会で、僕が引き当てたのはウォール・ステッカーだった。懐中時計やマグ、変わり種では箸置きなど、このメンバーだけあって、実用性を兼ねた素敵なデザインの品々が並んだ。当時思い浮かんでいれば、夢の欠片に採用したかも知れない。
 話は尽きる事なく、延々と弾んだ。皆と居ると、本当に「クエスチョン」の時と同じくらいの楽しさが常にあったし、同じくらい貴重な時間だった。
 楽しいけど、いつか終わる時間。少しの寂寥が、影になってずっと一緒に居る。
 僕の決心は、その直前までつかずにいた。

「それで、話って何?」
 園内のライトが点灯して、薄暮にまぎれた星たちを遠くに追いやり、僕たちから最も近い月になる。極端なチェスの終盤戦みたいに人影はまばらだ。制服姿なんて他には見当たらない。
 始まりの場所。反逆の旗を突き立てたあの公園に、僕と偶見は二人で来ていた。
 解散になった後、こっそり彼女を呼び止めた。この話をするかどうかは、流星観測の日から迷っていた。だから一旦は蓋をして、最後の別れ際にどうするのか、全てを「未来」の僕に委ねた。
 そして未来は、ここにある現在に絞られた。
「うん、まずは、……本当に、感謝してる。偶見。君が居なかったら、僕は駄目になっていたと思うし、君が居てくれたから、僕はこんなにも変わる事が出来た。この未来以外を僕は知らない。だけど、確信を持って言える。いい未来になった。ありがとう」
「どうしたの、急に」おどける様に、軽く微笑む。「けどさ、それだけのものが宮下君の中には元々あったんだよ。自信持って欲しいな」
「そう、かな。仮に元々あったとしても、使えなきゃ一緒なんだ。それに、無関係だった筈の僕に、こんなに尽くしてくれた。君だからこそ、なんだ。今ここに、僕が居られるのは」
「ううん、だって放っとけないよ。言ったでしょ? あたし、そう言う人の気持ちは分かるつもりだって」
「……その事なんだけど、偶見」
 不可逆な言葉の切れ端が、零れ落ちる。
「ん? 何?」
「君には本当に感謝している。だから、決して他意はない」
「宮下君?」
「だけど僕は今から、確実に、言わなくてもいい事を言うよ、偶見。そして多分、君は不愉快になるし、僕も恩を仇で返す事になる。そんな話を、敢えてするんだ」
「……続けて」
 ほんの、ほんの僅かな不審と怯弱を、冷静で覆い被せた声音。
 焦燥や嫌悪、警戒みたいなものは何も感じさせない。その雰囲気が揺るがない。
 それはまるで、
「……偶見、君には」
 この未来を、知っていたかの様に。

「未来を見る能力なんてない――違う?」

 表情を硬くしたまま、息を呑むのが分かった。驚きや、寧ろ冗談を笑って受け止める様な、大仰な反応を想定していた僕は、少し惑った。その心が、読み取れない。
「君は言ったんだ」僕の方が却って、震える声で言葉を繋ぐ。「その『未来視』――正確に言えば『時間視』は、視界からの情報しか入らないって。間違いは?」
「……ないよ。その認識で合ってる」
「だとすれば、君はもう一つ、僕に能力を発揮した時に言った。『過去視』の時だ。僕が台風の日に、『小学六年生の女の子』を助けた、って」
「うん、言ったね。それが……、――!」
 初めて、その表情に波が立った。
「僕が助けた女の子は、確かに小学六年生だった。だけどその情報は、『彼女のお母さんと話をして』知った情報なんだ。視覚情報の中だけで、小学六年生だと断定出来る根拠はない」
「……っ、あ……」
「あの一件を知る人の数は限られている。それに、知っているとしたって、ただ偶然見ていただけじゃ駄目なんだ。助けたのが僕だって、女の子が六年生だって分かる人――君は無関係なんかじゃない、寧ろ深く関わっている」
 そう、当事者の中で、当て嵌めるとしたら。
「……君はあの時に、僕が助けた女の子なんだね?」

 その事実に気がつくには、ピースが揃ってからはすぐだった。ただ、最後まで残っていた、とても小さくて単純な一つの要因が、阻害する効果を強めていた。
 偶見を、勝手に同学年だと思い込んでいた。僕は縦にも横にも、他の生徒に疎過ぎた。同級生ですら、全員の名前は言えない程に。
 そして偶見は、初対面だと思っていた屋上の出会いから僕を知っていて、そして僕に対してタメ口を使った。だからこそ偶見の存在には、特に疑いが生まれなかった。それは単に彼女の性格面だっただけで、考えてみれば、二年以下の学年しか存在しない現美術部員たちも、偶見に対し誰一人として敬語を使ったり、先輩と呼んだりしていなかった。
 天体観測の夜、偶見が迷わずに道を曲がったのも、本当は別段調べていた訳じゃない。あの河川敷へ向かうルートを元々知っていたからだ。偶見が二つ下だと言う事実を認識した後だったから、自然に見えた言動の中でも、僕は確信に駄目を押した。
 計算が合う。高三と高一。そして、過去の夏の僕たち。
「……うん。そうだよ」
「全然……気がつかなかった。ごめん。何で、言ってくれなかったの?」
「何か、言い出しにくいじゃん。あの時助けて貰ったんです、って。あたしは凄く感謝してるし、それも伝えたかったんだけど。それ話すと宮下君は気を遣いそうって言うか、尻込みしそうかなって。恩を買わせるみたいじゃない? フラットに接したかったんだよね」
「……でも、よく覚えてたね、僕の事。溺れている最中の君に、そんな余裕なんてないと思ったけど」
「あの日の記憶は、しっかりあるんだ。最初は全然、結びつかなかったけどね。……だから元は、深い理由なんてなかったんだ。死んじゃうなんてよくないよ、程度でさ。でも、後から分かったの。あたしの命を助けてくれた人、生きる未来を残してくれた人が……何でか、自分の命を、未来を絶とうとしてる。そんなの嫌だった」
 それで、辻褄が合って来る。彼女がこれだけ、献身的になってくれた理由。そこには、報恩の色が強くあった。その由来は、別に何でもいい。事実として僕は、救って貰った。
 なのに。
「うん、まあ確かにあの時は無意識だったって言うか、喋り過ぎたよ。だけど、論理的にあたしの能力を否定する事、あたしが助けて貰った事、その指摘って何の問題があるの? あたしは少なくとも、仇だとは思わないけど」
「――この先からだよ、問題は。ここに分水嶺があって、今からそれを越えるんだ」
「……え?」
 僕は、パンドラの箱、その蓋に、手を掛ける。
「偶見は幾つもの予言をして来た。君に能力がないのなら、あの『過去視』は能力を信じ込ませる為に使ったトリックだとして、僕が落ちて死ぬって言うのは、例えば自殺する様に見えたのを止める方法でも筋は通る。変わった方法なら、注意を引くから。他だって、確率に頼れるもの、知識や情報の組み合わせで可能なものもあれば、未来が変わった事に出来るものもある。無理やりにでも説明が出来ない程の予知はなかった。……ただ、一つを除いては」
 黙っていたって、よかった事なのに。
 或いは、僕が暴かなくても、いずれ訪れた結果かも知れないのに。
「不可能なんだ」
 だけど、感謝しているからこそ、
 その間違いを押し通してまで、
 彼女の間違いを、僕は示す。
 僕を助けてくれた、君だから。
「君に、能力がなかったとしたら」
 そして、大好きな、君だから。
 
「偶見、君はどうして予言出来たんだ――通り魔の、事件を」

 ――全てが、止まる。不条理に。
 それでも世界の原則に従って、時間だけが強引に動き出そうとする内に、この空間とぶつかり、軋れて、やがて、壊れ出す。
「……あたしね」
 その音が、聞こえた様な気がした。
「二年くらい前まで、相坂珠実って名前だったの」
 脳内に、フラッシュ・バックする記憶。
 両親が離婚していて、今は母親と二人暮らしをしている――
 相坂雄一さん、四三歳――
「それ、じゃあ……」
 その言葉は、ひたすら嘘であって欲しかった。
 だけど目の前の偶見は、僕の耳に馴染んだ声で。
 僕の好きな、強い意志を湛えた双眸で。
 嘘じゃない、等身大の偶見で。
「ね、気づいた時、どう思った? 救いたいだなんて言っといてさ」
 そう、知っていたんだ。ただの邪推であって欲しい――
 ――本当の願いは、叶わない事を。
「人殺しを隠して、今までのうのうと過ごしてた事」
 壊れた時間の破片は、僕の足元にも落ちて来ていた。


 ←第三五話  第三七話→