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生きて、いたくても――Dec#34

 あれはカンディンスキーも吃驚の〈インプロヴィゼイション〉だったから、今後の事は全く考えていなかった。
 状態が酷いのも勿論、角倉と顔を合わせられなくて、その日は保健室で静養している事に決めた。大熊先生はやたら心配していたけれど、お茶を濁す様な言い方をすると何か言外に感じ取ったのか、深くは踏み込まなかった。一度病院で診察を受けるべきだ、と薦められただけだ。そんなに心配される様なヴィジュアルなんだろうか。
 僕の中では夢で完結させた事とは言え、角倉にとっては全く違う。環境が揃っていたからこその戦果で、これから先、どんな形で返されるかなんてもう予測もつかない。あの角倉をやり込め、敗走させ、成功を収めた即興劇で唯一、そして絶対的な大過だった。ここまでしておいて未だに報復を怖れる僕も僕だけれど……たった三箇月でそれだけ堂々と出来るなら、僕だって最初から苦労はしない。
「だったらさ、休んじゃえば?」
 それは大胆で、実に単純明快な解決法だった。そして、僕にとってはあまりに突飛だった。思わず目を丸くして答える。
「休んじゃえば、って……残りの日数、丸々?」
 放課後、もう少しだけ居させて貰おうと思っている所に、偶見が見舞いに来た。ベッドの脇で空を背負っている。覚えのある情景だ。
「だって終業式まで後二週間でしょ? 宮下君、この一年で何日休んでる?」
「……、一二、三日くらいだと思う。もっとあるかな」
「じゃあ大丈夫じゃない? 出席日数は足りるし。欠課時数は知らないけど」
「僕だってそこまで覚えてないけど、そんな簡単に……」
「えー? 簡単じゃん、休み続ければいいんだから」
 そう言って、綻ぶ様に笑う。軽薄で極端な発想にも見えるけれど、彼女は他人事だと思っているからそれを出来る訳じゃない。乱麻を断つ為の快刀を探すより、いっそ全部燃やした方が早いと言ってしまえるのが偶見なのだ。
「……うん、そうだね。採用するよ、それ」
「でしょ? ……えっ? 本当に? どうしたの急に」
「そんな事言われても……多分それが」
 多分それが、一番の方法で、
「それだけが、勝ち逃げ出来るルートだから、かな」

 保健室でガーゼやら何やらを装備した僕の外見は、裸の状態より却って悲惨に映る様で、最初は両親の混乱を抑える事から着手しなければならなかった。
 全てを話した。母をただただ宥め、父が帰って来てから一家でリヴィングに集まった。改まった雰囲気の中で、全てを。
 まずは聞いて欲しいと言う前置きをして、一年の頃の発端から、この怪我の事までの始終。順序立てて、物語の様に。苦い経験も、痛快な事も。今はもう、話せるだけの自信と、実績もあった。少し脚色して、両親の安心を優先させた部分もあるけれど、大味な嘘は混ざっていない。
 死のうと思った事からややこしい「クエスチョン」の定義まで、両親共、しっかりとこの話を聞いてくれた。僕の受けて来た行為に対して、訴えや申し立てなどをしないで欲しいと言う要望を含めて。「クエスチョン」によって解決された、完結させた事だから、もうそこに何かが介入する余地はないのだ、と言う僕の熱を入れた主張は……伝わった。
 もう一つ、面倒な因果の問題を説明する。期間中に於いての僕の扱いや、自衛手段として敢えて逆手に取った事。両親が心配した将来への影響も、決して大きくはない筈だから、大丈夫だ、と。それに、どうせやる事が同じなら、最後にもう一つ足掻いてみたかった。
 ……折角、偶見が守ってくれたものだけれど。これはチャンスだと思うから。
 僕は「スプリー・スリー」を名乗り出て、謹慎を受ける事になった。

 それは謹慎と言っても想定していたのとは違う、普通教室とは別室での「登校謹慎」と言う形だった。他の生徒より大分早めに登校した後、先生の監督下で自習、或いは対話や指導、反省文の提出など、主な内容は普段の生活とそう変化しない。怪我の事は稚拙に誤魔化した。
 今回の謹慎に直接関係する「着色された夢の構造」に関しては、僕一人でやったと言い張った。仕掛けを誰も見ていないのだから、それを覆す根拠は示せない。教師陣に共犯が居るだなんて考えもしないだろう。以前の「浄化作用入り紙コップの死、或いは新たなレゾンデートル」は、単に友人を誘って文化祭のサプライズを企画しただけの、僕以外にとっては少しの悪ふざけで、「スプリー・スリー」の本質を持っているのは僕だけだと強弁し続けた。そして、最終的な反証は生まれなかった。口裏が合わなくなるのは一番の失策だからと、三上を始め美術部員たち関係者には、名乗り出ない様に偶見を通じて拡散してある。出頭する前に、彼女とは密に話し合った。
 それでも協力者や目的を白状しない事によって反省不足と見做され、謹慎期間は若干延びたらしかった。却って、日数にして九日、土日を数えると更に四日を追加して、一三日もの間、角倉から自分を隔離する事に成功したとも言える。謹慎は一八日までで、その直後に休日を挟むから、実質は終業式三日前の二一日からが正規の登校になる。この学校では謹慎に対して「出席・欠課」の扱いとなっているけれど、単位に関して問題がない事は確認済みだった。
 懸念しているとすれば、保護者了承の下、外部と連絡を断つ目的で携帯電話を預かると言う処置を取られていた事だった。同年代と比べると僕は携帯電話に対する依存度がかなり低いので、基本的には困りもせず文句もなかった。ただ、終業式近くまでその処置が続行するとすれば、不都合の生じる件が一つだけあった。
 勿論発覚するとまずいから、古典的な方法で、隠密に。上手く運ぶだろうか。
 招待状を書くのには、もう飽きてしまっているのだけれど。


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