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生きて、いたくても――Dec#33

 臨時に全校集会が行われた事は、休みが去ってしまった月曜朝の気分を一層萎えさせこそしたけれど、退屈な三〇分間は、或る意味では確定的な勝利の告知だった。
 冬休みが近くなるに当たってとか、体調管理がどうとか、形式的な構成で進行する中に、本題であろう僕たちの話は目立っていた。学業とは無関係のものを持ち込み、食品を校内に隠す不衛生的な行為をし、著しく風紀を乱すとして、堀田先生が語気鋭く難詰する。まあ、端的に言って正論だ。
「――当校生徒による行動である事は自明です。以後、こう言った事がない様に、私たちも体制を強化すると共に、この場を借りて対象生徒への厳重注意とさせて頂きます。それでも同様の行為が再三見られた場合、現在でも調査はしておりますが、判明し次第相応の処分を取らせて頂きます。以上です」
 無関係の人間にとっては耳障りでしかなく、やや険悪になった雰囲気を和やかにしようと、他の先生たちが二、三の無為で当たり障りのない話を末尾に添えて集会は終わった。実行者が発覚した際に、改めて厳重注意を受けるだけで済むかは疑念もあるけれど、現在時点、まだその見当がついていないと言う公式的な発表をして、そしてこの集会は終わったのだ。
 後から、報道部がまた呼び出された事を聞いた。全校集会を「クエスチョン」翌日の金曜ではなく月曜にしたのは、色々と準備が必要だったからなのだろうけれど、前例があるから、校内新聞の情報にも注意しておきたかった、そんな思惑も窺える様に思えた。
 今週の新聞にも随分と情報が多かった。独自調査の結果、未回収で放置されていた「欠片」は「クエスチョン」の翌日に報道部が全て攫い終えた、などと発表してまた校内を賑わせた。
 種明かしとしては、裏で繋がっている三上が、作成していた物品配置一覧を報道部部長に提供したに過ぎないのだけれど、学校の保健は我々の手で守られた、なんて調子よく纏めても、そんな記事を書けば呼び出されるのは明白だ。詳細過ぎて、最早黒幕の自作自演だと疑われていてもおかしくない。どう言い逃れているのだろうか。ご教授願いたかった。意外と僕たちよりもずっとタフネスと言うか、言葉を選ばないなら、問題児なのかも知れない。

 今でも、屋上に行く。昼は単純に、偶見との集合場所だからと言う意味も付随する。だけどやっぱりどこか教室は窮屈で、屋上は精神的にも、また文字通りにも開放感がある。角倉たちに目をつけられたくなかったと言う意識はかなり薄れたけれど、同じ空間に居たくないと言う別の嫌悪感に変わって、結果は一緒だ。……勿論、目をつけられたら面倒だし、必ず悪い
方に作用するから、それを避ける目的だってある。
 偶見は何も言わずにずっと、この不出来な会合を続けてくれた。教えて以来、時々訪れる三上はその逆で、僕が必要としている区画には入って来ない。軽い挨拶を交わした後は、同じ場所に居ながらも、お互い自分の空間で、自分の為に過ごす。
 外気はすっかり寒冷を強めて、ここに立った時に、校庭や裏庭に見える人の数も分かりやすく減った。昼の一番暖かい時で、これだけ寒いのだ。僕は大丈夫だとしても、偶見の為に、昼休みの予定を美術室辺りに切り替えるべきかも知れない。この時期、仮に屋上が普段から出入り自由だったとしても、きっと誰も――
「お前、何やってんの?こんな所で」
「――、え……」
 髄液が凍りつく。振り返った先で、聖域は死を迎えていた。
「つけて来ちゃった。いや、全然知らなかったわ、屋上なんて。何、お前直で来たよな? 鍵開けてんの見たけど、桜ちゃんがここの鍵預かってんの? んな訳ねえよな?」
「角、倉……」
「立ち入り禁止なんじゃねえの? ここ。どうしたの桜ちゃん、随分悪い奴になったじゃん」
 頭の中が真っ白になった僕に、角倉が捲し立てる。「あれもお前がやったんだろ?」
「あれ、って」
「ほら、『クエスチョン』っての」
 闇討ち、だった。
 彼の言葉が重く、鳩尾の辺りに響く。
「なっ、何で……、」
「ミステリー部ってのが俺ん所に来てさ、謎を解いてるから手紙見せてくれって言うから見せたんだけど、俺も気になったから、後で訊きに行ったんだよ。全部解けてた訳じゃなかったけど、重要な三通の手紙ってのが、俺と川成と毛利宛てだろ?」
 手抜かりだ。同じ推理を本人たちが聞けば、少なくとも僕がやった事だって見当は簡単についてしまう。
「あれって何なの? 意味があんだよな。俺たち三人、コケにしたかったとかさ」
「……。違う、そうじゃない」
 言わなきゃ、いけない。
「いいぜ、聞こうじゃねえの。違うってんなら、何だよ」
「……けど、大して遠くない。あれは僕だけの『復讐』なんだ」
 言える。今なら、もう言える。
「あれが『復讐』なんだ。へえ、全然分かんねえけど」
 まだ、ここは「夢」だから。
「そう、だよ。僕はそれを、もう二回も果たしたんだ。いい気味だよ」
 僕は、僕の未来はもう、変わったんだから。
「……人の気持ちも知らないで、今までよくも、っ」
 言ってやりたいんだ。
「地獄に落ちろ、馬鹿野郎」
 口にした瞬間、横っ面を撞木で振り抜かれた様な衝撃と共に、世界が揺れた。殴られた、なんてものじゃない。吹き飛ばされていた。慣性でその場に取り残されていた激甚な痛みはすぐに追いついて、左頬を厳しく襲う。息が、出来ない。
「うぁっ、ぐ……っ」
「ああそう。面白いじゃん。調子乗んなよ、誰に向かって口利いてんだ、あ? 復讐ってのはあんなんじゃねえだろ、なあ。折角だからさ、今から三回目の復讐、やってみようぜ。俺も一発殴っちまったからよ、口実出来たろ。ほら、立てよ」
 冷笑を浮かべた角倉に、強い力で無理矢理立たされる。まだ呼吸が整わない。だけど、
 だけど。
「……うあぁっ!」
 渾身の力で、顔の側面に殴り掛かる。手応えはあった。あったのに、得られた結果は手の骨に返って来た痺れだけだった。すぐさま、もう一発が腹部に叩き込まれる。苦しさに膝から崩れ落ち、左手を口に、右手は床に突いて、えずきを抑えた。間欠的な気息の中で、必死に唾を飲み下す。
「はい次、もう一回」
 立つ事に精一杯で殴り返す余裕などない僕に、今度は顔を固定した上で平手を何度も繰り出す。ほら、気合い入れろよ、なあ。その声が遠い。脳は殆ど失神性の症状を呈していて、それでも襲い来る衝撃に、時々覚醒させられる。
 ……まだだ。正確に息継ぎをして、焦点を合わせる。拳を、固く握って、
「頑張れぇぇーっ!」
「は?」
 角倉が扉の方を振り返る。束の間見せた隙を、僕は逃さない。
「――っ!」
 倒れ込む要領で、全体重を預けて叩き込む。さっきとは手応えが段違いだった。拳の先で、角倉の顔が離れて行く。右足を踏ん張って何とか体勢を保つと、角倉が後方に二歩、三歩と下がって尻餅をついた。その向こう、扉の前で立つ彼女。偶見が入って来たのは、薄い意識の中で分かっていた。
 今は昼休みなのだ。僕が来て、後から偶見が来るのは定例だった。偶見も、屋上で普段聞く事のない声を聞いたからか、様子を窺いながらそっと扉を開いた。
 どう、思っただろう。これは「クエスチョン」と言う形を作ってくれた彼女への裏切りだったかも知れない。……クエスチョン。問い掛ける。それでも――
「危ない逃げて逃げて! 一旦引いて!」
「宮下君、ガード! 両腕上げて!」
「バッティング! バッティングやっちゃえ!」
 横目で見る彼女は、今にも泣きそうな顔になりながら、声援を飛ばしてくれていた。ただの「負」のぶつけ合いにならない為に、何か正統性のある試合か勝負みたいな形式にしてくれていた。内実、見世物にもなっていないあり様なのに。必死になって攻撃しようとする僕を、角倉がいなしては反撃するだけの繰り返しだ。
 遂に見かねた様に、偶見が扉から出て行く。食い縛るみたいにしていた、その表情。あんなに苦しそうな彼女を見たのは、公園以来だ。酷く痛む外傷とは比べものにならないくらい小さな傷が心について、比べものにならないくらい大きく残る。
「あーあ。あの女の子誰? 彼女? 逃げちゃったけど」
 返答出来るだけの気力も、まともに持ち合わせていなかった。どころか僕には、出来る事さえ殆ど残っていない。
 柵に凭れ掛かって、その場に座り込む。角倉もしゃがみ込んで目線の高さを合わせ、観察するみたいに僕のやられ尽くした姿態を眺め回していたけれど、その顔がふと立ち返る。
「……あ? もしかして誰か呼びに行きやがったのか」
 角倉が急いで向かうも、ドアーは不愉快な音を立てて前後に誤差の様に動くだけで、開きはしない。大音声で怒鳴り、鉄の表面を叩く。必死にサムターンをいじったりしているけれど、当然変化は訪れなかった。初めてここに来た、僕の後をついて来ただけの角倉は知らないのだ。この扉に於いて本来の鍵は無意味に空転するだけだと言う事を。そして偶見は、彼が逃げられない様に向こうから細工を残した。第三者の存在を無視し続けたのは、角倉としては大きなミスだ。
 やがて、小気味よい靴音が近づいて来るのが聞こえて、
「そこに居るのは誰ですか! ここをお開けなさい!」
 突然休符が置かれた様に、角倉が黙り込む。堀田先生の声だ。僕と角倉の状況を見比べて、彼に味方する要素は何一つとしてない。「今から鍵を取って来ますから、そこで大人しくしていなさい!」階段を叩く音が遠退いて行く。そう、「僕に」出来る事は殆どない。そして、残された少ない役割が今、与えられる。
「クソッ、ふざけんな!」
「……角倉」携帯で偶見の番号を呼び出しながら、話し掛ける。電話はすぐに繋がった。
「あ? おいコラ、どうしてくれんだ!」
「話を挟まずに聞いてくれ。先生が戻るまでだ、時間がない」
「んだよ、何が言いてえんだ」
「さっきの子に鍵を開けて貰う。そうしたら、後は好きに逃げろ。僕は何も言わない。全部なかった事にしてやる。だから」条件を明示する。「謝れ」
「……は?」
「今言った通り、時間はない。三年の一二月に退学になりたいなら、それも構わない。僕としては、その方がいい気味だけどね。……さあ、選べ。選ばなくても、時間切れになればいずれ収束する。汚名を被る方に、ね」
 僕は口を閉ざして鉄柵を掴み、壊れた蝶番の様な関節を無理に動かして起き上がる。満身創痍で、複数の痛みが同時に押し寄せて来た。苦痛の中で、視線を角倉に縫いつける。角倉は鬼の形相で睨み返す。
「俺が悪かった、許してくれ」
「……それが謝罪か?」
「てっ、めえ……!」
 歯噛みする角倉に追い打ちを掛けた。「早く!」
「……、――すみませんでした! ああ、これで満足かよ!」
「聞こえた? 偶見、開けて」扉がすぐに反応する。「行け、逃げろ!」
 脱兎の如く角倉が駆け出す。鍵ごと扉を壊せそうな勢いで、思わず笑ってしまった。角倉は、僕に怨みがある訳じゃない。どちらも屈辱には違いない筈なのだけれど、マシな方、今まで通りの卑怯な、罪をごまかせる方を取っただろう。ああ、そして、僕の勝ちだ。
 騒々しく一瞬で姿を消した角倉と入れ替わりに、待機していた偶見が再び聖域へ戻って来る。
「……やったじゃん、宮下君」
「即興〈インプロヴィゼイション〉で、あれは難しいよ」
「あ、あたしだって、どうしていいか分かんなかったんだもん。何とか止めたくって、動転して、咄嗟に。途中で本当に誰か呼びに行こうかと思った。……でも、分かったんだね」
「うん、まあね。結果的にはよかった」
 先生は鍵を取る為に戻って行ったけれど、それはあり得なかった。南京錠はいつも僕が外して、屋上に居る間、僕のポケットに入っているから。そもそも、鍵など掛かっていない。それでもドアーが開かないと言うなら、偶見は南京錠を取りつける丸い金具の部分を回して、ひ弱な留め方をしただけだ。暴力沙汰の現場に女性教師を一人だけ連れて来る事にも違和感がある。何より僕は知っていた。偶見が、堀田先生の物真似を得意としているのを。
 偶見は最後まで、全てを自分たちの内側でとどめようとしたんだ。だからこんな、回りくどくて綱渡りな方法を採った。本当に先生を呼んでいたら、角倉が逃げた所で、傷や痣だらけになった僕は見つかってしまう。大体、角倉が逃げる前に到着していたかも知れないし、実際には、いきなり退学にも多分ならない。
「宮下君、大丈夫? 病院行った方がいいよね」
「どうなんだろう、取り敢えず、保健室には行くけど」
「そこまではつき添うよ。昼休み、まだちょっとあるし」
「待って。……その前に」
 角倉は、曲がりなりにも条件を呑んだ。僕は、これまでの事を水に流さなければならない。
 そして、これまでの事を水に流すなら、角倉の毒も取り除かないといけない。
 夢はちゃんと終わる時が来て、僕はクラッカーを二つ、立て続けに鳴らす。
 夜明けを、少し好きになれそうだった。


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