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いただきます、ありがとう

「平田さんが、訪問に来てほしいと言っているんだ」

先輩のOTから言われたのが、平田さん(仮名)との出会いだ。平田さんは私の働く訪問看護ステーションを、長く利用されていた方だ。身体の重要な部位に梗塞をおこし、四肢に麻痺を患った。もともとスポーツマンで、体力には自信がある。自宅退院後も、様々な訪問サービスを併用しながら、日々トレーニングをして身体を維持していた。訪問スタッフも、訪問のたびに「平田さんとの訓練は、もはやジムだよね」というほど、汗をかきながら帰ってきていた。

聡明であり、お話も流暢で、豪傑なイメージの平田さんが、言語聴覚士の私と会いたいというのはなぜだろう?

はじめての訪問。居室へ伺い、名刺を渡しながら「長岡と申します。」と挨拶をすると意外な返事が返ってきた。
「お、噂の長岡さん。新しい名字だね。」

ちょうど、平田さんに初めて出会う少し前に、私自身が結婚し、名字が変わっていた。そのことを他のスタッフから聞いていたのだろう。初めましてなのに嬉しそうに私の結婚を語る。

「最近ね、ちょっと言葉が話しにくい気がするんだ。食事もうまく飲めない時がある。言語聴覚士さんが見てくれるって聞いたからお願いしたんだよ」

そう言葉にはしていたが、たぶん長くうちの訪問看護ステーションを利用している方だ。いつも来るスタッフ以外も見てみたかったのが本当のところだろう。

食事や言葉の評価を行い、簡単な食事指導や構音訓練について指導を行うと「ああ、良かった。ありがとうね、また来てね」といたずらっぽく笑った。その後も変わらずトレーニングをこなす平田さん。私が訪問することはなかったが、他のスタッフからはいつも平田さんの武勇伝などを聞いていた。

しかしある日、平田さんが末期の癌であることがわかった。

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末期癌とはいえ、それを感じさせないようなエネルギッシュな性格の平田さん。彼は相変わらずのバイタリティで、入退院を繰り返しながらも、在宅生活を続けていた。

ある日、また先輩のOTから声をかけられた。

「平田さんが、訪問に来てほしいと言っているんだ」

聞くと、癌の影響で少しずつ食べられるものが減ってきているとのこと。体力も少しずつ低下し、食べにくさもあるらしい。すぐさま訪問を調整し、OTに同行して訪問することになった。

「久し振りだね。」そう笑った平田さん。はじめましてのときと変わらない笑顔だった。

食事の評価を行い、今食べられるものなどを確認した。喉の動きなどを考えて刺し身などは食べやすそうだという話をした。

飲み込み(嚥下)自体には明らかな異常はないということを確認すると、平田さんは安心したように「良かった」と言った。

この翌日、平田さんは入院となり、闘病の末、天国へ旅立った。

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実は、私の訪問の翌日、平田さんから私のもとに1本の電話があった。訪問のお礼の電話だった。

長岡さんが教えてくれたようにね、妻がマグロを買ってきてくれたんだ。鉄火丼は食べられなかったけど、お刺身を食べたよ。久し振りで美味しかった。本当にありがとう。

後日、奥様から、このマグロの刺身が、平田さんの最後の食事だったと聞いた。

あの日、平田さんから呼ばれたのにはきっと意味があるのだと思う。あれだけ優しい人だ、死期が近づいていることを感じ、これまで会った人ひとりひとりにお礼をするために呼んだはずだ。
その最後の日に、食べたいものを家族と食べる時間を作れたことは、私のSTとしての人生に、大きな影響を与えた。

だれもが「いただきます」の向こうに「ありがとう」の気持ちがある。ときにはそれを忘れて、ただ黙々と食べたり、粗末にしたり、不満を言ったりする。

けれど間違いなく「食べる」という行為には、その中にそれぞれの「ストーリー」がある。 

私たち言語聴覚士の仕事は、このストーリーを見えるものにすることなのかもしれない。

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