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小学校の先生の教え

小学校の先生の ある教え を、私は、いまだ守っている。小学生の頃に教えてもらったことで、いまだに守ってたり、やってしまうことって 皆さんもあったりしないだろうか?その頃に教ったことって、頭というよりは 体に入るというか、よく考えると別にやらなくても いいのに、なぜか勝手に そうしてしまう。もし、これが中学生の頃に教っていたら、きっと、やってないんじゃないかとも思ったりする。小学生の頃 というのが ミソのような気がしている。

私の話の前に、私の兄の話をしよう。兄は小学校の先生から、こう教っていたそうだ。“電車のシルバーシート、ここは元気な子供が座るところじゃない”と。だからなのだが、こんなことがあった。たまたま 両親、兄、私で電車に乗った時のことだ。ホームで電車を待っていた場所ゆえに、扉が開くと特段意識することもなく自然と 両親と私は、シルバーシートにおさまった。その時 兄だけ、少し離れたシルバーシートではない席に座った。すると 兄は、こっちに来いと合図を送ってくる。客は車両に私達家族だけなのに。私は「誰もいないから いいじゃない、面倒くさいよ こっちに来なよ」と言った。それでも 兄は、しつこく こっちへ来いと合図を送る。結局、両親と私は 席を移動した。後で なんで そんなに こだわるのか 聞いたところ、小学校の○○先生にそう言われて、それ以来 習慣で ず―と こうしていると。

さて、私の方の話だ。私は小学校の先生から こう教わっていた。“選挙権を得たら 必ず選挙に行きなさい。そして、必ず自分で よく考えて投票しなさい”と。昔、選挙権は、みんなが持っていたもの*ではない。女性や貧乏人は選挙権はなかった。選挙権があるということは決っして あたり前のことではない。そして人の意見ではなく自分でよく考えて行動するべきと。人の意見に流されて、よく考えずに投票すると 誤った選択をしてしまうかもしれない。例えば戦争のような・・・                      そんなような話しだったと思う。それこそ 小学生だったので細かい内容までは覚えて いないのだが、なぜか『逃さず選挙にいけ』という言葉は私の体の中に居続けて、今のところ、投票を逃したことはない。                          よく考えて、となると自信はないが 最近では投票したいと思わせる人も なかなか表われないので、民主主義を支持する意味も込め、民主主義に1票!という気持ちで続けている。

ただ、困ったことは 兄にしても、空っぽの車両で、それに こだわるのも どうか と思うし、私に しても、うっすらと誰かに勧められた候補者を これは人の考えに流されているのでは? と考えすぎて その人に投票できなくなったり、なかなか困った現象も発生する。

先週、投票用紙(投票所入場整理券)も届いた。今回は期日前投票をせずに済みそうだ。さぁ、今回の衆議院選挙、どの人に投票しようかなぁ。

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