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おじいさんの教えに守られて 太陽じゃなくて月になった人 〜芦間 忍さんインタビュー

芦間忍さんに最初に出会ったのは7年前、横浜の奥の不思議な共有スペースでした。その頃、彼女は2度目の離婚の寸前で、身も心もボロボロで、すっかり自信を失くし、死ぬことまで考えていたと、後に知りました。    でも、ファーストコンタクトでは、そんな闇なんて微塵も感じられなかった。逆に、彼女は太陽のように明るかった。その後、彼女は転職して、東北の農業・漁業の生産者の魅力を伝える活動にのめり込み、世界を股にかけて飛び回り、いつも人の輪の中で笑顔を溢れ返らせている姿をSNSで見せてくれていた。いったい何が忍さんの太陽のようなエネルギーを支えているのか。お話を聞いてみたら、彼女は太陽じゃなくて月でした。
芦間忍さんの無名人インタビュー、お楽しみください。

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1:イントロ 見つめ直す自分

オンキ:芦間忍さん、本日はご参加ありがとうございます。何の話しましょうか。

シノブ:私ね、ちょうど良かったんですよタイミングが。というのが、私ね、なんか何年かおきに、仕事にしてもプライベートの恋愛とかにしても、安定してきたなと思うとパッと揺るがされるんですよ。その都度、私はちゃんと自分の軸を持って決断をしようって振り返る。強制的に振り返らなきゃいけないというか、自分は何者ぞ、みたいな問いをしなきゃいけないことがあって。たまたまそれがね、2日前の午前中に揺るがされたんですよ。

オンキ:その2日前に起きた揺るがせは、何だったんですか?

シノブ:今回は仕事なんですけど。私、海外で暮らしてたりして、割と転職も抵抗なくしてる方だと思うんですね。だけど、自分で「この仕事絶対取りたいです!」っていう鼻息の荒い、売り込み型の転職の仕方ってしたことなくて。ご縁で先方から求められて「これ一緒にやろう」って言われて、はいはいって受けるっていう感じ。わりと流れに身を任せて、いるべき場所に辿り着いてきたんです。

オンキ:うん。

シノブ:私は、独立してフリーランスより組織の中にいる方が得意分野を出せると思うけど、組織にいることのジレンマを感じちゃう出来事があったんですよ。私が一番やりたくないのは、私の適材適所をわからない人達に、駒のようにテキトーに扱われても我慢して働く事なの。じゃあ、どういう風に働きたいかとか、私の強みは何か、弱みは何か、やりたくないことは何か、みたいなことをもう一回整理しようとしてます。

オンキ:なるほど。

シノブ:私がその組織を尊敬できたり、自分が社会に貢献できてるって確信と愛がないと、彼らの決定にイエスとは言えないっていうのが、よくわかった。あとね、私は秘書体質で、秘書が天職だと、思ってるんですよね。

オンキ:うん。

シノブ:少年少女のように真っ直ぐ夢を語るリーダーの右腕として役に立ちたい。そういう天才達と普通の民をつなぐ通訳者になりたいんだ。

オンキ:なるほど。

シノブ:そのためにやらなきゃいけないなら、私なんでも勉強します、あなたに輝いてほしいから、ってことなんですよね。今は、年齢的にマネージャーっていう管理職になったけど。やっぱり私の原動力は「リードするよりもサポートしたい」なんですよね。私を信頼して慕って来てくれる人達に、どうしたらこの人達が輝けるんだろうかの相談に乗ってあげてる方が、ハッピーなんですよ。

オンキ:天性のヘルプマン?

シノブ:そうですね。結構、個性強そうに見られるけど。そういう意味では私、平凡なつまらない、のペーとした人だなと思ってる。スキルもそろってきたから、雑務をするようなアシスタントではもうない。組織の中ではプロジェクトマネジメントっていう役割が、すごいしっくりきてる。でも管理職で上に行くと、ビジネス的なことを求められるじゃないですか。数字で結果出せって。組織のゴール設定って、大体お金儲けることだから。

オンキ:うん。

シノブ:それよりは、プロジェクトの中でも、人のコーディネートの方が好きなんだなっていうのに気がつきました。

オンキ:なるほど。とにかく数字を上げて収益を最大化するのも大事。でも、みんなが輝けるような楽しい環境を整えて、達成感や充実を得れる仕組みを作るのも、一つの重要な役割なんじゃないですか?

シノブ:そういう人たちが集まってるチームの方が、結局、結果出すんですよね。短期的に無理して結果出しても壊れていったり、続かないんですよ。今よくサスティナブルって言われるけど、組織も同じだって。やっぱりみんなヘルシーじゃなきゃいけないんですよ、心も身体も。で、やっぱりその根底には愛がないと続いていかないと思って。そんなことを考えて真剣に働いてたら、この数年で、私がなんで過去に2回離婚したのか分かってきたの。今、結婚したら、パートナーも私もすごい幸せになるなって思う。当時は時期尚早でした。私も夫たちも甘ちゃんでしたね。

オンキ:じゃあ今、適齢期迎えましたね?

シノブ:遅ればせながら。私は20代で結婚して30代で別れて。30代でもう一回結婚して40代で別れて。40代での結婚は、まだないんですよ。50代になる前に、出来れば結婚しておきたいなと思ってる。まだね、お相手を探してる段階ですけど。素敵な方に出会うことはすごく多いし、人のご縁にすごく恵まれてると思うんですけど、慎重になってますね、いささか。2度目のあとは。

オンキ:なるほど。

シノブ:いい感じにはなるんだけど、2、3ヶ月デート続けて、それ以上はしっくりこない。将来が見えないのにデートして恋愛ごっこを続けててもなーって、終わるパターン。1人だけ2年ぐらい半同棲で、うちにずーっと住んでましたけど。それは、慎重に考える間もなく、向こうが転がり込んできた的に始まって。途中で、この人は違うかも「あれ?」っと思ったけど、もうその時には彼に頼られちゃってて。そうなると、私も悪い癖で、はっきり言えなくて、別れるよりはこの関係をなんとか良くしようっていう方に力を注いじゃって、自分のことも相手のことも冷静に見れなくなって。ま、結局お別れしたんですけど。

オンキ:うん。

シノブ:今までの人生で一番恋愛に関して学んでいるかも。共通の知人のキャンプで知り合った子たちと部活みたいなグループが発生してね。そこで女友達も男性のお友達も、私の良い所をちゃんと伝えてくれるし、こういうところは直した方がもっと幸せになれるよ、みたいなアドバイスくれたり。なんか、人としてすごい成長できたつもりでいます。癒されつつも、ほんと時には、すごい厳しい叱咤激励ですよ。「なんでそんな危険なフラグを見落とすの?」とか。だから初めてですよ「私はこういう生き方をしたいから、こういうパートナーがいるといい」みたいな事を言語化して、リストにしたり。

オンキ:書き出した?

シノブ:そんなのやったことないの、今まで。私は直感的に恋をして、相手も直感的に私に恋をしてくれて。お互いにこんなに好き同士なんだから、なんとかやれるだろうっていう、愛だけを信じてる人だった。でも最初に自分をよく知って、それから慎重にお互いをちゃんと見なきゃなっていうのに気がついた。恋愛した時の自分の癖とかも自覚しながらね。でも、そういう姿勢でいると、そういう人にしか会わなくなるんですよ。

オンキ:リスト化すると的を絞れて、照準が合うんですね。

シノブ:それは双方向だから。相手から子供が欲しいとか言われると、あ、もう年齢的に私じゃないわっていうのもあるし。
ここ数年で一番大きかった変化は、子供を年齢的に諦めたこと。そしたら、ちょっと楽になりました。私は、子供がずーっと欲しかった。1回目も2回目の結婚の時も「子供は欲しいね」っていう話をしてて。それで努力もして。結局ご縁がなくってできなかったけど。私の身体に問題があったわけではないので、まだ子供作れるチャンスがあるならばって、捨てきれなかったんですよ。でもやっと去年だな。46歳になった時、もうこれから産んでも、育て上げるまで元気でいられるかわかんないし。無責任だ、それはやめようと思って。そしたらね、ちょっと楽になった。


2:おじいちゃんの教え

オンキ:じゃあ、ちょっと昔のことを伺ってみましょうか。小さい時は、どんな人だったんでしょう?

シノブ:私は東京の、ジブリのある三鷹で生まれて、6歳で小学校上がる直前に、父の実家の福島のいわきに引っ越したんですよ。そこでガラッと1回人生が変わってるんですね。

オンキ:はい。

シノブ:三鷹に住んでる時って、母方のおじいちゃん、おばあちゃん、母と父の4人の大人に愛されながら育っていて。次に妹が二人生まれて。近所にお友達がいっぱいいて、毎日楽しかったのを覚えてる。私の血に一番濃く残ってるのは、アキヨシさんっていうおじいちゃんで。アキヨシさんは博学な人で、愛媛から出てきて明治大学の夜間の部っていうのかな?を卒業した、すごい努力家で、田舎でも期待の息子さんだったんです。

オンキ:はい。

芦間:秋田から出てきて結構な良家のお嬢様だったうちのおばあちゃんは、1人目の旦那さんが飲むと暴力を振るう人で、生まれたばかりの子供を連れて、東京に逃げるように出てきた。そこで二人は職場で出会って、アキヨシさんは、綺麗で真面目なおばあちゃんに惚れ込んじゃったのね。でもね、当時はそんなバツイチで子供がいるような女とね、結婚なんか許すわけがないじゃないですか、愛媛の田舎のご実家が。

オンキ:はいはい。

シノブ:そうなったら、おじいちゃん、あっさり「あ、じゃあ勘当でオッケーです」って、お婿さんに入ったんです。で、誰よりも、このおばあちゃんの家のことを学び、あたかも自分の先祖のように代々語り継ぐっていう語り部的な感じになったり。親戚が全部集まる時の中心人物であったり。本当、愛の人で。

オンキ:うん。

シノブ:そのアキヨシおじいちゃんに、私は人生の初めの6年間、一緒に住んでてすごく愛された。アキヨシの教えで生きてるんです、今でも。「相手によって態度を変えるな」とか。あと「サボる時はボスの前でもサボれ」とか。あと「自分より弱い立場の人の役に立てるために勉強しなさい」とか。上にへつらわず、むしろ立ち向かえる人になれって。「忍ちゃんは、そういうのができる子だよ」みたいに、ちっちゃい頃から言われてて。その教えで生きてるんです。

オンキ:素敵なおじいさんですね。

シノブ:そう。その代わり、そんな人だったので、八百屋さんをやってた時期もあるんですけど、お金がない人からお金をもらいたくないって人で。ビジネスとしては失敗するみたいな。お金にはご縁がないんだけど、本当にね、愛の人なんですよ。だから、おばあちゃんは家計を支えるのに苦労したらしいです。手先の器用な人で、和裁の内職で稼いでたね。

オンキ:愛が行き過ぎてますね。

シノブ:そうなの。でも、似てるんです。私もそういう人だなと思って。お金はなかったけど、いつも愛のある家族だったし、どんなに質素な食事であれ、美味しいねってみんなで囲んでた。だから、親戚とかもいつも集まってくる。そういうおうちだったんですよ、6歳まで。そこから福島に引っ越したら、父親は「東京に出したら7つも年上の都会の女に捕まって」みたいな言われ方をし。で、一人息子なんで、当然、墓守りと言われる後継ぎを期待されてるんだけど。結局、生まれたのが私たち女の子3人姉妹だったのね。それで、私は長子で、忍って男みたいな名前は付いてるけど「女だから役に立たない」って、ずっと言われてるの聞こえてたし、6歳からずっとね。

オンキ:うーん。

シノブ:母親は、毎日毎日お説教されて泣いているし。それをずーっと見て育ったので、何とか母親が泣かなくていいように、学校で頑張ろうって。頑張れば頑張るほど、福島のおじいちゃん、おばあちゃんには「調子に乗んでねえ!」って言われて。学校で褒められたからって、それがなんじゃみたいな。頑張っても怒られるみたいな。それまで三鷹で「忍ちゃんはそのままでいいんだよ」って、教科書通りの育てられ方をしてたのに、急に環境が変わって。だからね、どっかで自分をいつも責めてたし、自己肯定感がすごい低い人だったのね。今もまだ名残があるけど。だんだん良くなってますけどね。そういう体験はやっぱ、おっきかったなーって。もちろん三鷹でも叱られたりはあったけど、愛がある家庭だったのね、根底では。でも福島に引越したら「私の存在自体が、お母さんをいじめるネタになってる」って、感じちゃったのね。

オンキ:それは辛い。

シノブ:うん、そう。今でも覚えてるのは、母親が妹2人だけを連れて、もう耐えられなかったんですね、家出したんですよね、1回。しかもそれは、荷物を持ってとかじゃなくて、妹を幼稚園に迎えに行って、それっきり帰ってこれなかったっていう。もう着の身、着のままで、横浜の親友のところに2日ぐらい泊めてもらって。その間、父親も心配して探してるんだけど、どこに行ったかわかんない。おじいちゃんおばあちゃんの中に私1人だけ残されて。その時はね、置いていかれたことはショックだったんだけど、数日後、泣きながら母が戻って来たのもショックだったの。なんで逃げ切らなかったの?と思って。

オンキ:そうなんだ。

シノブ:そう。私、多分その時から辛いときには自分を茶化して笑うっていうことを覚えたんですよ。辛い時に辛いって言ったら、みんなが同情しちゃうから。そこを笑い話にするとみんなが笑う。だから「私、置いていかれちゃったー」とか、学校で言ったんですよね。人から言われていやな思いをするよりは自分から言おうと思って。子供っていろんなことをして自分を守ろうとするっていうのが、大人になってカウンセリングを受けて、やっとわかったの。教科書通りに「インナーチャイルドが泣いてる大人」が、私だったんです。

オンキ:おっとっと。

シノブ:本当。それも全部、この3、4年ですごい解決できたから、今は全然違う。今、もし1人目の旦那さんと出会ってたら、もっと幸せな結婚だったろうけど。まあね、たられば言ってもしょうがないからね。次に行きたい!

オンキ:全く順調に育つ人はいないし。でも、そのインナーチャイルドを抑えて、隠して、悲しみを出さないようにした20何年間が今の忍さんを作ったんですよね、きっと。

シノブ:だから、すごい敏感ですよね。そういう闇を持ってるんじゃないかなっていう人には。

オンキ:なるほど。

シノブ:そういう傷を持った人には、すごくすんなり歩み寄れるんです。私って、最初よく太陽みたいな人だって言われるけど、太陽じゃないですよ、月なんですよ、きっと。私は、輝く人のそばにいて「輝いてる風」な人?自分自身は輝いてないんですよ、っていうのが自己評価。だからでしょうね、本当に、特にこの3、4年、今までの傷も含めて自分を理解して。自分のことを一番愛してあげなきゃだなって、本当に腹の底から理解したら、女性も男性も、いろんな悩み相談とかにやってくるようになって。

オンキ:なるほど。

シノブ:たぶん、私だったらその痛みがわかってくれるっていう信頼がうれしいし。その意味だけでも、いろんな経験して良かったなって思う。あまりに寄り添いすぎると、自分が苦しくなっちゃうから、いい塩梅で。冷たいっていうんじゃなく、線引きというか「背中を押すけど、私はあなたのために決断はしないよ」っていう距離の取り方というのが、やっとわかってきたんです。それができなかったんですよね、1人目の夫にも、2人目の夫にも。

オンキ:うん。

芦間:「あなたの痛みは私の痛み。私の痛みも当然あなたも分かってくれるよね」みたいな。それって、もう絶対無理だし。それって、愛し合ってうまくいってる時はいいんだけど。何かがずれた時って、すごい勢いでずれちゃうし。どうしてわかってもらえないんだろう、っていう苦しみが、負のエネルギーしか産まないんですよね。

オンキ:うんうん。

シノブ:そこで一瞬分かり合えたなんて思っても、それはやっぱりダメなんですよね。だから、今は、1人でも全然ハッピーだし。そういう状態にやっとなれたから。こっから心身ともに健全な状態で、また恋愛をしたり、愛を育んでいく相手が見つかった時って、どうなるんだろうってすごいワクワク。

オンキ:いいことしか起こらなさそうな。

シノブ:そう、期待。親には、もうバツ2になった時点で、冗談半分に「もう結婚とかしないで」って言われたの。「また結婚とか離婚?」とかって言われたけど。妹や女友達が、愛情を持って呆れてるぐらい、私はいまだに愛を信じてるし、乙女なんですよ、きっと(笑)。今からでも全然ピュアな恋愛できるんですよ。痛い思いもしたけど。でもピュアだからこそ、注意してバリアは張っておかないと、いろんな人が寄ってきて危なっかしいよね。危険を察知すると、すごい勢いでガラガラガラって心のシャッターを下ろして、合わない人から離れるのも早くなった。

オンキ:そんな石に蹴つまずき、岩に押し潰されの年月の中でも、一番底には、ずっとアキヨシさんがいたんじゃないですか?

シノブ:そう。経験としては辛いこといっぱいあったはずなのに、死にたいって思ったこと何度もある。けど、最後の最後、死を決意したはずなのに、あーお腹空いたとか、お酒飲みながら映画観てたら、もっと映画観たくなっちゃったとか。結局ワイン飲みながら1週間籠って映画観てたら、あ、この土地行ってみたい、よし旅に出よう!みたいな。なんかこう、どっかに間抜けなポジティブさを抱えてんです。それってやっぱり、最初のアキヨシおじいちゃんがくれた、「どんなに苦しい時でも、愛があって笑ってると楽しいぞ」みたいな。それがすごい根底にあるんですよね

オンキ:すごい。

シノブ:そんなおじいちゃんを見て笑ってるおばあちゃんがいて。それを見て、また笑ってる母親がいたり、そこに毎週集まってくる親戚がいたり。だから、どんなに辛くても、どんなに孤独でも絶対に1人じゃないしっていうのを、どっかでいつも、分かってたんだって思うんですよ。


3:東北から世界へ。生産者の素敵を伝える。

オンキ:そこからシノブさんが食に関することや、東北に関わっていった経緯を伺えますか。

シノブ:東北に飛び込んだきっかけは、2回目の離婚を決めた時に、子供を含めて、私が作りたいって思っていた家庭っていう夢が、そこで一旦なくなって。残ったのが仕事だけになった時に、なんか心が寂しいと思ったの。毎日働いてお金稼いでも、お料理も好きだからご飯作るけど、誰とも囲まない食卓が、なんて嫌なんだろうと思って。
例え自分が家族を持てなくても、食卓をみんなで囲めるコミュニティの中にはいたいって思ったの。でも、それが事務的にというか、あくせく働いてるサラリーマンの組織では、お友達はいても、そこまでのコミュニティにはならないのね。

オンキ:はいはい。

シノブ:当時東北に、志の熱い人達がワーッて集まってて。震災から4年経ってたけど、あらためて自分の田舎でもある福島で、何が起きてんだろうって、南相馬にフィールドワークとして見に行ったんですよ。そこで、まだ人が帰れない南相馬という町で「人が帰ってくる時のために、ここに仕事を作るんだ」って、いろんな事業を立ち上げようとしてる人々がいて。彼らの話を聞いてるうちに「あぁ、ここには愛しかないな」と思った。私は、愛でつながった人や場所で仕事がしたいって、すごい熱が出たみたいになっちゃったの。いろんな団体が東北にあったけど、仕事探しのキーワードになったのは、私はやっぱり食が好きっていう思い。日本の食って、生産者さんがあんまりリスペクトされてないって感じてて、不満だった。なので、あ、そうか、漁師さんとか農家さんとか、一番ゼロから復興しようとしてる生産者さん達に、何か私もできることないかなって思ったときに選んだのが「東の食の会」っていう団体だった。

「東の食の会」はこちら

シノブ:彼らの言ってることで一番うれしかったのは、別に震災後の復興っていう思いじゃないんです。だって、震災前から一次産業は、みんなに忘れられて疲弊してる産業だったけど、食って誰もが生きるのに一番大事なことなんだもん。

オンキ:うん。

シノブ:だから、震災後で注目を集めやすい今がチャンスで。生産者さん達がこんなに素晴らしいんだっていうのを発信して、彼らのビジネスが突き抜けるように、お節介だけど応援させてもらいましょうと。そこで漁師さんのコミュニティとか、福島の農家さんのところに、私は横浜から自分で車を運転して会いに行って、こんな活動したいと思ってるんで来てくださいって勧誘して、マーケティングとかの勉強会を開く、から始めて。ゼロからコミュニティが出来上がっていく過程も見れて、すごい幸せだった。

オンキ:ずっと食卓を囲めましたね。

シノブ:囲めます、これからもきっと。住んでる場所は離れてるけど、誰々さんの作る旬の食べ物が欲しいって取り寄せて、新しくできたお友達とかを呼んで一緒に食べながら、その生産者さんが、どんだけ素晴らしいかを語るってことで、コミュニティを育ててるの。

オンキ:なるほど。

シノブ:で、今度は一緒に食べたその人が宣伝してくれたり、買ってくれたりするうれしいコミュニティが出来る。だから、今はまだ単身だけど、アキヨシおじいちゃんの周りに集まっていた人々みたいなコミュニティを、自分も作れるようになったなって思う。

オンキ:そしてまた、奇しくも野菜ですよね。

シノブ:そう!そうなの。だから食いしん坊なんだね。食卓ね、そうね。お酒を飲むようになったのも、おじいちゃんおばあちゃんが、毎晩キリンラガーの大瓶を2人で分けて、そのあと日本酒を飲むっていうのを見てて、あぁ、夫婦とは、夕方から「今日なにやった?」ってしゃべりながら飲む、その幸せな時間を共有することなんだなあって憧れてたから。大事ですね、幼児体験って。

オンキ:本当にそうみたいですよね。

シノブ:その思い出があったから、福島で6歳から18歳まで本当に居心地悪くて、苦しかったけども、わりかし明るい普通の学生さんとして、楽しく恋愛もして生きながらえた。

オンキ:泣いてるインナーチャイルドを抱えながら。

シノブ:うん、そう。なんとかバランス取れてましたね。

オンキ:でも、抑えきれないインナーチャイルド、やっぱり本当にいるその子と、ちゃんと付き合ってあげなきゃ、をやったんですね。

芦間:やったやった、やりました。やって良かったし。


4:アキヨシの教え、再び

オンキ:じゃあ、これから先のことを伺いましょうか。

シノブ:やっぱりね、思いは何も変わんないんだと思う。信頼し合えて、愛があるコミュニティで、人の役に立つことでいろんな喜びを得ていきたい。仕事にしても、パートナシップにしても、お友達とか、関わる人すべてに関しても同じ。そのために必要なスキルがあるから、また学びながらやっていくんだろうなって思う。でも、できる事とできない事は、だんだん見えてきた。不得意な事を得意に変えるよりは、得意としているところを有り難がられる形で提供して、感謝してもらえたら満足。不得意なことは「これ苦手、やって~」って言える。その弱さも含めて、自分はこれでいいんだと思いたいし。それはそれでいいんだよって、そのまま受け入れてもらえるところにいたいな。

オンキ:じゃあ、自分にとって今、一番大切なのはコミュニティですか?

シノブ:うん、人は1人では生きられないっていうのは、すごく感じる。

オンキ:もし、自分を支えてくれるコミュニティがなくなって、いきなり失われたとしたら、どうします?

シノブ:でもね、思い出で生きてもいける気がする。だって、現にアキヨシおじいちゃんと一緒に暮らしたのなんて、最初の6年だし。私が小学校5年ぐらいで、おじいちゃん亡くなってるから。もう35年ぐらいはおじいちゃんいないけど。でも、今でもこうしてアキヨシの教えで生きていけてる。

オンキ:じゃあ、アキヨシおじいちゃん、生きてるんですよね?

シノブ:生きてるんだと思います。

オンキ:現実的なコミュニティが、もし全て失われたとしても、大丈夫なんだ。

シノブ:悲しいけどね、そりゃあ。でも、絶望して死を選ぶっていうことは絶対にないと思う。

オンキ:すごい、いいな。

シノブ:なーんつって。でも、それはない、絶対にないと思う。コミュニティなくなっても、また外出たら人に会うわけだし。私、国を跨いでの引っ越しもしたことあるけど。1人だと思ってても、すぐに人って現れて来てくれるもんね。アメリカを電車で旅してた時に、たまたま同じ車両に乗っていたイギリス人の人と、一緒に過ごしたのなんて半日だけなんですけど、そのあとにイギリスに会いに訪ねても行ったりして。その後ずっと連絡が途切れても、Facebookで20年ぶりにお互いを発見して繋がって、その翌年の彼女の結婚式に呼ばれてデンマークへ行ったりね。「この人って素敵」って記憶に残っていれば、どうにでも繋がれる。コミュニティがなくなったと思っても、どんなに離れてたって繋がってられるって分かってる。フィジカルに隣にいないからといって、私はひとりぼっちではないっていうのも、よーく分かってる。

オンキ:届けられた野菜なら、作ってくれた人と食卓を囲んでるのも同じだし。それを一緒に食べた人が、どっかへ行って、またその野菜を食べるようになったら、その人の友達の友達も、一緒に食卓を囲んでるのと同じですね。

シノブ:そう、気持ちとしてはそう。それのために、今、SNSってすごいなーって思ってて。

オンキ:なるほど。「忍さんに紹介された野菜を、今日こんな料理にして食べました」をSNSで見れるっていうことだったら、食卓を一緒に囲んでいるのと同じなんだ。

シノブ:そうそう。それもすごい幸せです。

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5:アウトロ〜エロスとアガペ

オンキ:もう何にも問題がないじゃないか。

シノブ:でもね、愛ってエロスとアガペがあるでしょ?アガペは足りてるけど、エロスは足りないんだよね。女の部分の私は、カスカスになっちゃうぞ、潤いが足りないと、どんどん歳取っちゃうぞ、って怖いわ。アガペは十分足りてるんで、エロスも含めたパートナーシップだけだね、あとは。

エロスとアガペとは


オンキ:逆の人よりは、いいんじゃないですか?エロスしかない、ノーアガペだっていう方は、しんどいんじゃないですか?

シノブ: そうかもしれない。前の結婚してる頃は、夫婦間だけで全部の愛情を満たそうとしてたと思うの。今は、まわりの人間関係でアガペが満ち足りてるから、結婚に過剰な期待してないし、意味のない苦労も耐える必要ない。2番目の夫の不倫がバレたあと、なんで3年も一緒にいたかっていうと、許したかったのね。なんで許したかったかっていうと、ここまで愛した人を諦めるのは難しかったっていうのもあるけど、これを手放したら、私には他に愛がないって思ってたの。閉ざされた二人だけの生活の中で、すべてを完結しようと思ってたんでしょうね。それでやっていくのは、やっぱり限界があったっていうのは、今はよーく。

オンキ:それも学びですよね。

シノブ:学び学び、本当に。これからのことは今後のパートナーと要交渉なんで、コミュニケーションしてね。そこもほら、いい塩梅のアガペとエロスのバランスを探していかなきゃいけないんで。

オンキ:それ大事ですね。自分はどのあたりが最適バランスなのかっていうのは、痛い目にあって、そこから学んでってのを、繰り返していかないと分からないんだろうし。

シノブ:ね。失敗しなきゃわかんないと思うよ。

オンキ:今や、分かっちゃったわけですよね、ちょっと足らんぞって。じゃあ、アガペもあるし、エロスもあるお相手さんが、近々現れますね。

シノブ:ありがとうございます。今日話して、私はきっと大丈夫だって思いました。


インタビューを終えて

原体験として愛のある家族の中にいれたかどうか。その体験が人の生き方をどれほど支えてくれるのか。シノブさんは自分を見つめ直して、「月の人」として活きる自分を再発見したのだと思いました。


さて!そろそろ知人シリーズから、まだ見ぬ世界のお相手さんとのインタビューに乗り出そうと思いますぜ!


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