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雑誌『庭NIWA』にコラム『2100年の日本庭園へ』を寄稿しました/日本庭園シーンをとりまく課題②

■雑誌『庭NIWA』にコラム『2100年の日本庭園へ』を寄稿しました

創刊40周年を迎えた日本の「庭」の専門誌『庭NIWA』。2023年1月の発刊号から庭園情報サイト《おにわさん》の中の人によるコラムがはじまりました。

コラムのタイトルは『2100年の日本庭園へ』
2100年=次の次の世代に伝えるために、「今の自分が次の世代になにができるか」みたいな意味を込めています。

「日本の歴史的庭園を取り巻く状況は厳しい」ということはこのnoteでも散々書いてきているので、初回はそれのおさらいみたいな内容ですが。今後は色んな方にお会いして、話をお聞きして、それをコラムにするつもりです!

そして今回の記事の⇩ここからは、11月に「日本庭園シーンをとりまく課題」の記事をアップした直後に執筆したものでした。
連続してアップしても「このサイト構造じゃ目立たないぞ」と思ってアップするタイミングを逸していたのだけど、

▼前回の「日本庭園シーンをとりまく課題」はこちら。

主に、↓の資料を読んでいたらすでに10年前に「とても的確に課題に対して提言されていた」のでそれを紹介するのが主目的です。

■2012年発表:東京農業大学国際日本庭園研究センター「旧齋藤家別邸庭園調査報告書」より

▼新潟の旧齋藤家別邸庭園はこちら。

以下は引用。とっても重要で、的確なことが書かれているけれど、
『自治体のサイト内でPDFが上がっているだけ』
だと「一部の関係者しか読まず、広がらない」と思うので。ここで再掲させていただきます。

第4章.特論
第3節 2代松本幾次郎・亀吉と旧齋藤家別邸庭園/第4節 旧齋藤家別邸庭園の時期変遷/第5節 庭園の保全と継承その課題」
より
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特に近年においては、以下に掲げた課題が顕在化し公開日本庭園が維持と継承の難しさに直面している。

(1) 美的空間としてだけであつかう日本庭園そのものの価値意識の低下と日本庭園の本来の価値(美的価値・歴史的文化財的・学術的・人間らしさを支えるなど)の評価とその価値判断のあいまいさがあること。

(2) 管理運営をおこなう組織体制の不備や管理運営組織(質の向上・利用サービスなど)内での不調和がある。

(3) 現代性や社会性を背景にした計画・技術・材料・美意識人・自然観・歴史観などをふまえた庭園の総合空間としての本質の問題へのアプローチ不足。

(4)「変化する」という庭園の避けがたい運命を起因した維持管理技術の水準の低下があり、くわえて管理の持続的なシステムのなさ、保全・継承を含めた技術者の養成と技術向上を掌る専門機関がない。

(5) 国内の公開日本庭園同士の交流や海外との文化交流の視点の欠落やイベント、ガイドなど情報発信プログラムの魅力的で今日的な再編の難しさがある。

(6) 高齢化社会における日本庭園のあり方や広範な教育とのかかわりや役割、人と庭園の関係の本質などの議論が足りない。

(7) 資金・財源不足。

以上、これらのことについては、もはやそれぞれ場所の違いや規模を超えて、日本国内外の市民に公開されている日本庭園に共通する緊急かつ重要な問題となって顕在化している。

今後、当庭園も含めた公開日本庭園が避けて通れないこのような問題・課題について逸早く議論し、適切で有効な解決策を生み出し、手段を講じる必要がある。

旧齋藤家別邸庭園調査報告書 第4章後半

引用ここまで。

■10年前に提言されたこれらの課題に対して、日本庭園シーンは何か取り組んだのか

10年前に提言されたこれらの課題は今も変わっていないように感じる。
で、問題なのは、「これらの課題に対して《取り組んだのか・取り組んでいないのか》さえ見えずなあなあなこと」にある。

▼「やっているように見える」こと

内情は分かりませんが、
(4)の「技術者の養成と技術向上を掌る専門機関」に関しては、『文化財庭園保存技術者協議会』が各地の古庭園の修復・研修を通じて古庭園の見方や扱い方の継承につとめている印象がある。

(もっとも上記の提言よりも先に存在している組織なので、その上でも「不満に思われてるなにか」があるのかもしれないけど。そこは部外者からは読み取れないところ)

一方で「管理の持続的なシステムのなさ」は『庭園の管理業者が入札で毎年変わる』という話を時々お聞きするので、課題は継続しているのだろうけど。ただその課題を発信できているかと言うと、そうでは無いとも思う。

▼「やっていない」ように感じること

(1) の「日本庭園そのものの価値低下」と、それの改善とほぼイコールになる(3)の「アプローチ不足」
日本庭園に携わる人たちが一体となって、より多くの方にアプローチしてその魅力を伝える…という行動はできていない
(もしそれが行われていたらきっと「おにわさん」は存在していないだろう。笑)

(6)「高齢化社会における日本庭園のあり方や広範な教育とのかかわりや役割、人と庭園の関係の本質などの議論が足りない。」…もおそらく議論されていないように感じるけど、どうなんだろ?

・人口減少社会において税金じゃぶじゃぶ使って日本庭園を維持し続けるのって無理だし、
・「入場者数は減少してる/よく知らない/何やってるかわからない」ものから公費は削られると思うのだけど、

「都市公園の日本庭園」と「文化財/文化施設の古庭園」とで置かれる立場は違うけど、
文化施設/文化財として税金が投入されている庭園が「文化振興のため」ではなく「修復という名の施工」だけで終わっているのは課題だと感じる。

自治体も発注要件に解説・振興まで含められないものだろうか。出来る人は限られるかもしれないけど、言い換えれば「言語化できる日本庭園のプレイヤー」をもっと育てなければいけないと思う。

▼取り組みがはじまったが不十分だと感じること

(5) 国内の公開日本庭園同士の交流や海外との文化交流の視点の欠落
2019年からはじまった「ジャパン・ガーデンツーリズム」↓はこの「公開日本庭園同士の交流」に対して(多少なりとも)交流が生まれていく…とは思う。

トップページで各ガーデンツーリズムの企画がアップされるサイト構造によって「こんなイベントがあるんだ」と施設同士の情報交換には多少なっているだろうし。

ただ、このジャパン・ガーデンツーリズムがはじまって3年間でSNSのフォロワーがまだ計100人程度というのがマズい。国土交通省の予算を見るとそれなりの予算が投じられているにもかかわらず。
そもそもジャパン・ガーデンツーリズムの知名度が上がっていないのは
大きな課題。

でもこの取り組みが有機的に作用して、情報交換が活発になれば、
(2)の管理運営の課題に対してもプラスの影響をきっと与えていく…はず。

▼資金の問題にしてたらはじまらない

卵が先か鶏が先かの議論は何にでもある。各々の問題に (7) 資金・財源不足  は深く関わっているけれど、ジャパン・ガーデンツーリズムのように「予算を投じても、予算に見合うPR効果が得られない」状況を見ているとお金だけの問題ではないと思う。

結局「プレイヤーが見えないし、何やっているかわからないし、効果もわからない」ものに対してはお金は出てこないだろうって思うので。(自戒も含め)

■「日本庭園」を残すために、花火を打ち上げて終わりではなく《継続的に・地道に取り組める仕組み》作り。

たとえば東京五輪にあわせて、一部は日本庭園を舞台にした『パビリオン・トウキョウ』という催しがあった。

見る分には楽しかったけれど、あれが一体「日本庭園やランドスケープ」に対してどんなレガシーを残したのか?誰もそれを回顧していないように思える。

「花火を打ち上げて終わり」という施策ではなく「継続的に・地道に取り組める仕組み」作りが必要だ。
(そういう意味ではジャパン・ガーデンツーリズムはその可能性はあるんだよ、PRが上手くいってないだけで…このままポシャるのはもったいない…)

■「資金・財源不足」の壁をどう突き破るか?

そして『おにわさん』がフワッとめざしている、『誰しもがアクセスできる日本庭園の情報プラットフォーム作り』も《継続的に・地道に取り組める仕組み》の可能性を秘めてると思うんですよね…
現に「おにわさんを見て庭園へ足を運んでいる」「庭園マップ使ってる」という声は多い。

だけれど、資金の問題にしてたらはじまらないと言いながら、資金・財源不足にぶち当たっているのが今。つらたん(;;)

先般の「新オーナー募集」で多くの方と会ったけれど、いざ内部にいらっしゃるとやはり横の関係性、組織の課題、色々あって——なかなか協力を得るのは簡単じゃない。(自分も会社に所属した社会人なのでもちろん組織の論理もわかるよ!)

でも既に提言されていた課題に向き合っていくためには
多少なりとも論理や損得勘定を超える熱量・想い・攻めの姿勢みたいなものがないと厳しい。(いや、熱量があっても厳しいけどね…!)

でも「日本庭園」って絶対勝算があるテーマだと思うんですよ。(もちろんみんなが勝算があると思ってればとっくに大手が自分みたいな活動してると思うので、万人がそう思っているわけじゃないにせよ!)
自分はここは絶対伸びるテーマだと信じてるし(「おにわさん」のフォロワーの層もグローバルで身分職業も多種多様という点からも)、『そこを信じて乗ってきてくださる』方を一人でも多く増やしていきたい。

オーナーという意味では一人かもしれないけど、『日本庭園を盛り上げていくためには多くの人たちの参画と発信』が必要だと思うので。

■公開庭園の位置づけと役割・展望

最後に、同じく東京農業大学国際日本庭園研究センター「旧齋藤家別邸庭園調査報告書」より「第3節 公開庭園の位置づけと役割・展望」の内容を引用して終わりにします。

これもめちゃくちゃわかりやすいので、『一部の関係者しか読まない自治体サイトのPDF』だけの状態はもったいない!

第3節 公開庭園の位置づけと役割・展望
公開庭園の位置づけ
多様な価値観を共有する現代社会ではモノの見方も多種多様である。今日、庭園も例外ではなく、 作庭の発想や形、所有形態や維持管理、運営方法などさまざまに違った様態を呈している。

旧齋藤家別邸庭園は、もともと個人所有だったものが、市民運動により市の所有となり、《個》の庭から《公》の庭として生まれ変わろうとしている。

この庭園が現代社会のなかで庭園の本質を失わずに継承されていくために、 どのように位置づけていくかはとても重要な課題である。

この位置付けによって庭園の意味や役割、存続の目的、 庭園の保全方法、管理運営から維持管理の仕方、催しの内容やまちづくりの方向など多くのことが見えてくる。

旧齋藤家別邸庭園の位置づけの重要性
①個人庭園:私<個> からの見方
②共有庭園:私たち<みんな>からの見方
③公共庭園: 市民<公>からの見方
④文化財庭園: 歴史/文化・学術からの見方
⑤市民参加型庭園: 官民複合的な見方


市民にとって庭園を所有する形態には大きく分けてふたつあり、ひとつは自ら敷地の一角に庭園を造ることで、もうひとつは庭園に出かけていくことである。

本来、庭園とは、我々のもっとも身近な日々の生活のなかでさまざまな自然を感じ、その美しさに感動し癒されるなど気兼ねなく自由に楽しむ空間だが、現代社会では、敷地の小規模化や経済的要素も加わり、 ますます庭園を持つことが困難になってきている

このような理由から、近年は以前にも増して市民に公開されている庭園に出かける人の割合が多くなっていることも事実である。

旧齋藤家別邸の特別公開では1,000人/日を越える多くの市民が訪れた。 今後、年間を通じて一般公開をおこなうわけだが、 市民にとってはまさに 「出かけていく美しい庭園」として期待されている。

この期待に応えるためにも、あらためて 「我々にとって現代における庭園とは何なのか?」 を掘り下げて考えてみる意義は大きい。 庭園は決してハードな施設ではなく、今後社会に開かれた庭園となれば、 必ず地域的文化的に現代社会とつながっていくはずである。

東京農業大学国際日本庭園研究センター「旧齋藤家別邸庭園調査報告書」より

それぞれの庭園の持つ個性を失わずに上質であり続けるためには 「庭園空間そのもの」を深く見つめていく人材の養成とその意思を持った眼差しが必要となる。

東京農業大学国際日本庭園研究センター「旧齋藤家別邸庭園調査報告書」より

「日本庭園」が「造園産業にぶら下がっているもの」ではなく、(観光産業に寄りつつも)独り立ちするためには、
日本庭園そのものの価値向上や集客向上に努められる『日本庭園のプロ』
(作れる人という意味ではなく、プロ経営者みたいな)を育成して・そういう人が食える状況になっていかなければいけないのだろうなあ、と思います。

前後や全文が気になる方は↓からぜひ読んでみて。


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