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日記#1:レイモンド・カーヴァーの『ファイアズ(炎)』

 きのう、あなたと長いこと話して、僕も日記を書こうと思った。もちろん、僕もあなたと同じ人間だ。日記を書こうと思ったことなんて何度もある。ほんとうにたくさんある。天の川の星の数とおんなじくらいたくさん。でも、ハッシュの番号が二桁を数えたことは一度もない。

 今回はわからない。もしかしたらチップを積み上げるみたいに、十、二十といくかもしれない。あるいは「日記#2」を書いたあとに「こんなことをしている場合でない」と思い立ち、さっさと後ろのドアから出ていくかもしれない。「さようなら、日記のあなた(貴女)」。そういうことはわからない。真実というのは何年も時がたってから深い霧が晴れるようにしてわかってくるものなのだ。そう、この話はもうあなたにしましたね。

 そしてこの日記はnoteとかにあげるかもしれないと思って書いている(小説は書いているけれど諸般の事情があってnoteを更新できていないし)。こういうのって、不純? まあ、不純でもいいじゃないか。僕は不純なのが好きだ。不器用な男性が好きだ。モテない男が好きだし、がむしゃらにがんばっているというよりは、怠惰のこころにかまけながらもなんとか歩いているといったふうの男性のほうが好きだ。でも、清潔感のない男性はノーだ。


 今朝僕は長い小説の改稿作業を始めた。七万四千字からなる小説だ。これは僕が書いたなかで最長の小説で、今後この記録がやすやすと塗り替えられるといったこともないように思える。そしていつかあなたに読んでもらうだろう。でも、七万四千字の小説を読ませるのはちょっと酷だとも思う。そういうのって、労働力の搾取でもある。

 僕はカーヴァーの『ファイアズ(炎)』を手に取る。レイモンド・カーヴァーは好きだ。彼はほんとうに不器用な男性だし、彼の書く登場人物もまた不器用だ。そして登場人物たちは僕によく似ている。というか、男性なら誰しも「自分とよく似ている」と感じてしまう、そのはずだろう?

 僕はカーヴァーの『ファイアズ(炎)』を手に取る。『ファイアズ(炎)』がすこぶる好きだとか、そういうことではない。カーヴァーのシリーズで好きなのは『大聖堂』と『頼むから静かにしてくれ』、『象』の三冊だし、なんなら『ファイアズ(炎)』は小説やらエッセイやら詩やらの寄せ集めであつかいに困ってしまう。でも、僕はカーヴァーの『ファイアズ(炎)』を手に取る。それはつまり、タイトルがすてきだからだ。表紙の、クリアな湖に浮かぶボートのフォトもすてきだ。僕は本の中身でなく、そういうのに惹かれて『ファイアズ(炎)』出す。ぺらぺらとページをめくり、ちょっと気に入ったところを引用してみる。

私にとって、これまで読んだあらゆる本から私は影響を受けましたというのは、どんな作家からもぜんぜん影響を受けていないと思うというのと同じくらい不正確であるだろう……

……ときどき私の文章はヘミングウェイの文章「みたいだ」と言われる。でも、彼の文章が私の文章に影響を及ぼしたと言い切ることはできない。ヘミングウェイもダレルと同じように、私が二十代にその作品を初めて読んで非常に感動した数多くの作家の一人ということなのだ。

レイモンド・カーヴァー『ファイアズ(炎)』

 こういうのって、すてきだと思う。小説仲間とのあいだでいわゆる小説論がもちあがったとき、僕が口にするのはたいていカーヴァーの受け売りだ。こういったこと。格言ぽくて、でもよくよく見てみればさえない意見。それはサナダムシによく似ていて、キケンそうで、実際キケンでありつつ、脆弱でもある。そういうこともあって、僕は『ファイアズ(炎)』を愛しているが、特別おもしろい一冊だとは思わない。

 それでも、僕はきょうもカーヴァーの『ファイアズ(炎)』を手に取る。人差し指で本棚からそっと抜き取って、眺めまわす。そう、コレクターが古いサクソフォンを眺めまわすみたいに。そしてこういうのってコーちゃんみたいだと思うし、きっとあなたもそう思ったことだろう。そうだろう?

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