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日記:悲しみのモロ
きのう、僕はバーにいた。疲れ切った彼女に呼ばれて、そこでウィスキーをちびちびやっていた。ただ、じっさい彼女と話し続けていたかといわれれば、そんなことはなかった。瞑想をするみたいにして長く本を読み続けていた――『寺山修司全詩集』、『羊をめぐる冒険』。そのときの僕は無料の落花生の殻に爪をくいこませてそれを剥き出しながら、フィクションの人物になりたいと考えていた。『羊をめぐる冒険』にはそう思わせるだけの十分な説得力があった。
そのひと月、働く代わりに僕はその新しいガールフレンドと寝て過ごした。耳を出した彼女とするセックスは奇妙なものだった。まるで僕がこの空間と接続し、そこに溶けだしたようになった。ゆらめきのような肉体以上の感覚神経をもった僕に、彼女は奇妙な交感をもたらした。
そしてバイトを朝の四時にあがると、僕たちはぶるぶる震えながら四条のごみだめをするすると抜けていった。空腹を満たすためだけにマクドナルドに転がり込み、アルコールと眠気で扁平になった意識でハンバーガーをぱくついた。驚くことに、それほどに曖昧な状態でもマクドナルドのハンバーガーはまずかった。
また、始発まえのマクドナルドはむせ返るような臭気でいっぱいになっていた。けばけばしく明るい、半二階の二人席では下着でいっぱいになったビニール袋ふたつを抱えた女が注文もなしに眠り込んでいた。
あとには彼女とよく似た人々、そして海外のことばを話す若者がいた。僕らは黙々と食べて、逃げるように駅へ急いだ。震えて電車を待ち、そのまま帰ってシャワーもなしに眠り込んだ。
時間のわからない明朝。目を覚ます。
のどがからからに乾いていた。僕はキッチンで水をつくってそれをのんだ。
ときどき、魂が時を超えているように感じられる。僕はキッチンで水をのむとき、過去や、未来の自分と接続する気分を味わった。それは神秘的だとか、内省的といった、よい体験ではない。脱ぎ散らかした服や食べかすでいっぱいの部屋のような、めちゃくちゃにかき混ぜられた感じのする予感だった。誰かが手斧を持ち出して、僕の神経をずたずたにしていた。水をのむ僕ののどから、水の流れるのが感じられる。
また目を覚ます。不確かな感覚から、だんだんと実感の側へとうつっていく。それまですっかり浸かっていた風呂の栓が抜けて、いつのまにか濡れた裸の僕だけが残されている。目覚めることはたいていそんな感じだ。僕は目を覚まし、うなりをあげ、起き出した。夜の花のように眠り込んでいる彼女を避けてスマートフォンとブルートゥースのイヤホンをひろい、キッチンへそっと隠れた。そして起きたばかりの、いちばんしずかな頃の自分のまばたきを感じながら、再生のボタンを押した。
朝の影から冷蔵庫のモーター音がする。
「悲しみのモロ」が流れ始める。笛の音が心地よい。
僕はその音楽のなかで目を閉じる。背中に冷蔵庫のモーターの微かなうなりを感じる。ジャズが夜の猫の群れのような声をして音楽を起こす。そのときになってようやく、僕はほんとうに目を覚ました。
***
ちなみに、『羊を巡る冒険』の引用はぜんぜんうそだ。
村上春樹さん、申し訳ございません。
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