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(勝手に)私の履歴書(5) 組織に翻弄されつつも業務に邁進。そんな中、最大の変革が訪れる

偉人でもなければ他人から尊敬される人間でもない私ですが、この年齢(53)になっても好奇心が衰えず、新しいことに興味が湧く性格が災いし、スリリングな人生を歩む羽目になってしまった自分の半生を振り返ると共に、私がどう言う人間かという履歴を残したく、(勝手に)私の履歴書なるものを書いてみることにしました。本家、日本経済新聞の「私の履歴書」は成功者の歩みを綴るというオーセンティックなものですが、自分自身にそんな資格があるわけもなく、ただ、自己満足のために綴っていくことをお許しください。不定期に更新していきます。お待たせしました、第5話です。今話から少しずつ当時関係したパートナーさんの社名を出してみます。そこに他意はありません。カバー画像は2005年に創刊した同社初のモード系?ファッションカタログ"realco"(レアルコ)です。私はこのWebとオープニングキャンペーンを担当しました。また、事実に基づいて綴っておりますが、私の記憶違い等ございますし、誰かを傷つけるために綴っているわけではないことをお伝えしておきます。中島みゆきさんの「時代」を聴きながらくらいがちょうどいいです。

青天の霹靂で突然異動

EC立ち上げから携わり、その成長のために本気で取り組んできたおかげでECの成長を認められ、社長賞なんかもいただきました。当時のEC業務は発見に溢れていて、いろんなことをやりました。取引先様の幅もカタログマーケ時代とは異なり、時代もありつつとても広がりました。Web系支援企業、ネット専業代理店、メディアとの取引などがそうです。広告はセプテーニさん、オプトさん、サイバーさん、プロモーションは I&S BBDOさん、ガラケーの着メロプロモーションはMTIさん、下着の編集タイアップはAll Aboutさん、SEOはアユダンテさん(当時はまだイージャパン)、会員コミュニティ作りにパイオニアさんと協業するなど。お取引先のみなさまには本当に感謝しています。そして今なお友人として、同じ高校の同窓として今なお仲良くしていただいてるフィードフォースの塚田社長との出会いもその頃だったと思います(時間軸の記憶が多少曖昧ですがお許しを)。
自分としてはこのままEC部門で食っていくものだと思っていたのですが、突然、ECから本隊マーケティング部門に異動を命ぜられます。もうそれは青天の霹靂と言っても過言ではなかったです。ECの中心で愛を叫びまくっていた私がなぜ異動?
それは、前回お伝えした通り、カタログのリブランディングに失敗し、アクティブ顧客を大勢失ってしまったカタログビジネスの立て直しに、EC部門との協業と言うか、今でいうオムニチャネルやOMO的発想が必要だったからECを知る人間を本隊側に移し、カタログマーケをもう一度考えるというミッションだったと理解しています。おそらく切望されての異動でしたし、それはそれでチャンスかとも思い、置かれた場所で咲きなさい精神と、その役回りが私しかできないということも何となく理解していたのでECを離れマーケに行きました。
ただ、そこで待っていたのは融合とか協業というものではありませんでした。2005年当時、EC側は社内公募で人員も増やし、勢いがあり、割と自由に何でもやっていい的な動きもあったため、本隊がEC部門をコントロールしづらくなっていたのも事実です。そのため、EC立ち上げメンバーでもある私を懐柔役としてカタログ側に置き、EC側をコントロールさせようとブリッジ役にさせたかったのです(先輩方正直ベースでごめんなさい)。そういう時代だったのです。今でもそういう縦割りの軋轢がある組織もまだまだあることだとは思いますが、いい加減疲れてくるのも事実です。そんな中ですが、もちろん大事な業務もありました。創業社長時代では絶対作らせてもらえなかっただろうモード系な感じのお洒落カタログ(カバー画像参照)が創刊され、その専用サイトの制作ディレクションすることも体験しました。その制作パートナーが当時創業5年目くらいのイー・エージェンシーさんですね。こうした日々を過ごしていた中、業績が振るわない会社は大きな波に飲み込まれていこうとしていました。

2005年10月21日、山は動いた!

時は過ぎ、今話のハイライトともいうべき時代に入ってきます。私はマーケに籍を置きつつ、上司から不思議なオーダーが入り始めます。会社の資産を調査するとか、大株主である創業オーナーの所有する土地(山林、農地)とか建物の洗い出しとかです。細かい話は抜きにして書きますと、何か得体の知れない影を感じながら業務をこなす日々が少し続きます。
その後、自分の部署の上長宛にかかってくる電話がなぜか某証券会社からばかりとなり、ははーん、そういうことか、と。そして、数名だけ呼ばれ、伝えられたのが、会社の身売り話でした。今でも覚えてますが、この時期によく通っていたバーで仕事終わりに友人と飲んでるとカウンターの隅っこに二人のスーツ族がいて、私の耳がまあまあ地獄耳なものですから聞こえてしまったのです。「セ◯ール、ラ◯ブ◯ア、某証券会社名、このディール」といった単語が。この二人は脇が甘い(笑)
記憶にある方もいらっしゃると思いますが、そうして2005年10月21日に私がいた通販会社は当時、飛ぶ鳥を落とす勢いで時代の寵児となっていた彼、そう堀◯貴◯、通称◯リエ◯ンに買収されることが発表されたのです(伏字にする意味はないですね)。

確か発表の当日夕方だったか翌日に大勢の報道陣が四国高松の本社前に詰め掛け社員にマイクを向けてましたね。
社内もほとんどの人間は知らなかったと思います。かなり騒ついてた記憶があります。発表当時の記事にも出てますが、売上が700億。私が入社した頃は2000億規模。35歳以上ぐらい方なら覚えていらっしゃるかもしれませんが、80年代後半から創業者が月に一度は新聞誌面で女優と対談し、"Il offre sa confiance et son amour."(愛と信頼をお届けするという意味)というフレーズが空耳的に「セシール、篠塚くん幸せそうなの」と聞こえると言われたCMを火曜ワイド劇場や金曜ロードショーなどでバンバン流していた通販会社は創業時代から二代目を経て、新たなステージに向かうことになりました。懐かしいのを貼っておきます(例のフレーズは最後の最後です)。

発表後に起きたさらなる激震

買収発表後、当然のことながら社内はすぐに新体制の話が進みます。経営陣はどうなるの?私たちはどうなるの?毎日そんな話ばかりでした。
ただ、もっと大きなことが動いていたのです。それはみなさんよくご存知のライブドア事件です。事実としてお伝えすると、新社長として就任予定のO氏は1月23日に逮捕、新体制承認の取締役会と臨時株主総会が1月25日、その間わずか二日。中のバタバタは容易に想像できると思います。社長人事の話し合いは24日午後から役会当日25日の未明まで続いたとも聞いてます。社内の不安は日に日に強くなるばかり。緊張と不安の新たな船出であったことは間違いありません。

新体制下でECに戻り、良き理解者と出会う

あまり経験できないような事件の後、会社は新体制に移行しました。私がお仕えする(当時ただのマネージャーですがw)3人目の社長。新体制一発目の目玉はやはりWebへのシフトへの舵きり。通販会社の中では比較的早くにECを立ち上げた私たちでしたが、紆余曲折あり、なかなか投資もしてもらえず、知恵で勝負する環境でした。新体制ではとにかくECファースト。思う存分やってくれとの号令がかかり、マーケにいた私はEC部門の上長たちの働きかけでEC部門へ即納異動しました。うれしかった。EC部門の上長たちが「ECの立て直しには大西がいないとダメだ」と言って新経営陣に話してくれたことが。人生のピークだったかもしれません(笑)
新社長は人と心を大切にする方でした。男気があり、面倒見がよく、がんばっている人は本気で褒める。私はEC部門のマネージャーでしたが、社長特命係のようなものも仰せつかることも多く、それはそれで楽しい毎日を送ることになります。会社は決して順調ではなかったですが、いつもECを気にかけていただき、私たちはそれに応えようしました。カタログが不調でもお客様のためにECがお役に立てることは何でもやる、そんな気持ちでした。
そして、社長ともう一人、忘れてならないのが当時のEC部門担当役員の存在です。確か新体制の目玉のひとつでしたが、EC部門のトップに当時30歳の兄ちゃんが就任しました。初めて会社に着任したときに私は出張でオフィスにいなかったのですが、上長から電話で「デニムに白Tの兄ちゃんがこんちはー」って来たよと伝えられました。この8歳年下の兄ちゃんとの出会いは私にECをWebをビジネスをやっていく楽しさを強烈に教えてくれる存在となったのです。ここから2007年8月まで私は社長、役員、上長、同僚たちとともにもう一段ギアを上げていくことになります。

(おまけ)超久しぶりの新卒採用

新体制になった直後の2006年4月は会社にとってもうひとつ非常にワクワクした出来事がありました。なんと新卒が入社します。何を言ってるのだと思われるかもしれませんが、実は新卒採用を8年くらい凍結していたのです。すごいですよね、あり得ない。大卒新卒が22〜23歳として、すぐ上の先輩世代がもう30歳くらいなわけです。驚愕です。長い年月ただの一人も新卒を採ってないって考えられないですよね。今思えば、よくそんな状態が続いていたなと思います。新卒にとってのお兄さんお姉さん世代はすでに中堅からベテランにさしかかる年代だったのです。私たちより上の層は孫を見るような感覚だったんじゃないかと思います。それ以上に新卒本人たちは困ったでことでしょう。何気ない相談をちょっと上の人たちに聞けない。もうベテランばかりなので、既成概念に囚われすぎている人たちからつまらないフィードバックや指示が出てくる(これは個人の感想です)。ここはまあこれ以上掘り下げても仕方ありませんが、会社に何かすごーく活気が出てきたのは覚えていまし、それなりのサイズの企業がどういう人員構成になっているか、そのあたりをどう考えていかねばならないかというのはこの当時のことがあるので今でもすごく気になります。

(おまけ2):誕生

私事ですが、上述の大型ディールの前、2004年に第一子(♂)が誕生します。子供ができるとギャンブル運が強くなるなんて言いますが、生まれた10月1日の翌々日に競馬のG1レースがありました。馬連1-5で2,940円のレースだったのですが、生まれた子の誕生日10と1、そして、生まれる前日にイチローがメジャーリーグでの年間最多安打を更新したということもあって、背番号の51から5を加え、1-5-10にガツンと賭けました。ありがとうございます。おむつ代やタオル代がずいぶん助かりました。

以上で第5話は終わりです。次は感動と別れが交錯する通販時代最後のお話です。お楽しみに。