私の「トラウマ」経験 その1

 今回は私の「トラウマ」経験と称して、その経験を振り返ってどういう対応なら納得できたかを書いていきたいと思います。もちろん、人や場所等が特定されるような表記は避けています。
 今回の経験は私が就労移行支援(飲食店)にいた時の出来事です。私はその時、発達障害(ASD)を抱える男性の利用者でした。そんな私が厨房で仕事をしていた時です。女性支援員が傍にいました(この方は企業と交渉する役割も担っていました)。私はその支援員に手伝ってくれるよう頼みました。強い言い方だったと記憶しています。するとその支援員は「一部じゃないんだぞ‼」ともっと強い調子で応えました。
 結論から言えば、これは女性支援員に責任があります。なぜなら「支援員」だからです。「支援員」であるということは利用者に指導・助言等をする責任があります。だとすると「そんな強い調子で頼んだら誰も心地よく引き受けてくれませんよ。だから、《~してくれませんか》と穏やかに頼めばお互い気持ちよく仕事できますよ」と指導・助言するのが本来の支援員の仕事のはずです。
 ではこの支援員にはこの状況がどう映っていたのでしょうか。多分、女性と男性の関係でしょう。「自分は力ない女性の立場、この人は力ある男性の立場だから、こんな強い調子で頼むなんて女性を所有物扱いしている、男女平等なのに許せない」ーこのように考えて上記の言動に至ったのでしょう。同じ対等の人間だから。
 しかし、この状況での関係性は支援員と利用者の非対称的(対等ではない)なものです。支援員の方が力ある立場であり、利用者が力ない立場です。ならば支援員が利用者を対等にする責任があり、上記のような指導・助言等をする責任が発生します。それをしていないということは「言葉による暴力」を意味しますし、ジェンダーやフェミニズム等を利用して利用者を支配しようとしているということにもつながります。いかなる理由や事情があっても許されることではありません。
 私はジェンダーやフェミニズムとは本質的には力ない人(立場)と力ある人(立場)の関係性と見做しています。だから、女性が弱くて男性が強いという偏見があると理解できなくなるだろうと考えています。だから、今回のトラウマ経験においては、支援員が女性で利用者が男性でも支援員と利用者の関係で解釈してきました。
 女性等の反発は想定してますが、自分たちが力ある立場にいるかどうか、そうだったら力ない立場への接し方を非対称的な関係を前提に再考していただきたいと思います。
 今回もここまで読んでいただきありがとうございます。
 


 

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