私の「トラウマ」体験 その2

 この「トラウマ」体験記とも呼べる原稿はふと思い出した時にその記憶を書いています。今回はその2回目です。前回は支援員(女性)と利用者(私、男性)の関係性を書きましたが、今回は某クリニックでのセラピスト(女性)とクライエント(私、男性)のカウンセリング関係を振り返ります。
 結論から言えば、半年でドロップアウトしました。セラピストの暴力的言動が原因であり、止めて正解だと思っています。
 最初のカウンセリング(インテイクといいます)のことでした。最初の30分は順調でした。しかし30分を過ぎた頃、突然携帯の着信音が鳴りました。自分の音かなあと思っていたらセラピストの携帯音でした。セラピストは慌ててカウンセリング室を飛び出しました。私は1人で数分間そこに取り残されました。それから戻ってきたセラピストは開口一番「で、どこからでしたっけ?」と放ちました。唖然としました。ここは謝まる場面と思っていたからです。でも最後まで謝罪もなく、インテイクは終了しました。この日バスで帰った時、私は心の底から怒りと恥辱の気持ちで一杯だったことを覚えています。
 それからのカウンセリングはひどいものでした。ある常識を知らなかっただけなのに「なんでそんな常識が分からないの?」と言われたり、移動図書館のボランティアで採用されなかったことを話したら「なに考えているの?うつの時なのに」と顔の表情等で漂わせていました。あまりにひどかったので、ある時セラピストに「解釈はまだ早いですよ」と応答したこともあります。するとセラピストは何も言わずブスッと黙っていました。
 こんな調子で進んだものですから、うつは悪化する一方でした。
 そんな半年たったある日のカウンセリングでした。その時は父親も同席していました。父親が私が臨床心理をやっていたこと等を話して30分で退席した後、セラピストが言いましたー「どうでしょうか?」。一瞬私に何を言わせたいのだろうと思いました。今振り返れば多分、こんなに親を苦しませていることを私に反省してもらい、今後は心を入れ替えてカウンセリングに臨みたいと言ってほしかったのでしょう。もちろんそんなことは言いませんでした。これでセラピストは機嫌が悪くなったのでしょう。いつの間にかカウンセリングが言葉による応酬になっていました。そしてそのやり取りの最後にセラピストは言い放ちましたー(臨床心理をすることを)保証しろというのか⁈私はあなたのことが分かりません‼」。それからセラピストは次のカウンセリング予定日を書いた紙を渡しました。でも日付が完全に間違っていました。
 こんなカウンセリング、よく受けてきたなあと我ながら思います。セラピストークライエント関係というのは10対1ほどの非対称的な関係ですから、セラピストが対等にする必要性があります。そのためにはセラピストに相当な制限や縛りを掛けなければなりません。しかしこのカウンセリング過程では、セラピストが非対称的な関係を理解していないため、言葉による暴力やクライエントの社会的行為を著しく制限する社会的暴力、そして相手が女性であったことから性的暴力が認められます。このように「暴力」でクライエントを支配しようとしたのですから、この暴力による加害行為の責任がセラピストにあることに疑う余地はありません。
 かなり込み入った話になりました。でも何か感じ取っていただければ幸いです。ここまで読んでいただきありがとうございます。
 
 

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