『はじめてのメラニー・クライン グラフィックガイド』(松木邦裕監訳 北岡征毅訳 金剛出版)を読んで

 『はじめてのメラニー・クライン グラフィックガイド』(松木邦裕監訳 北岡征毅訳 金剛出版)を読了しました。この本は監訳者のまえがきによると、「クライン派精神分析の世界的な紹介者であるR.D.ヒンシェルウッドとグラフィック作家が組んで描き上げた図解版」です。要するに、「海外のマンガ」であり「コミック作品」(いずれも同著P182)です。理解しにくい箇所もありましたが、私なりにこの著書を読んで考えたことを整理していきたいと思います。
 私は大学時代(34歳から36歳)に臨床心理を専攻していました。そこは精神分析が中心でした。なので、メラニー・クラインの理論は身近にありました。この時は理解できませんでしたが、この大学時代にゼミでトラウマを被って以来、現在(50歳)まで様々なトラウマを経て、クライン理論の必要性を感じています。特に「投影」という理論においてです。
 例を挙げると、就労移行支援Sでの交渉担当女性支援員(以下、女性支援員)とのやり取りがあります。ある日、私が厨房にいてこの女性支援員が入ってきました。私は女性支援員に強い調子で頼み事をしました。すると「一部じゃないんだぞ!」と言い放ち、そこから立ち去りました。
 この例は就労支援場面での支援員と利用者の関係です。なので、本来は、支援員が利用者に職場での具体的な言い方を指導・教育・助言等をする責任があるはずです。ですから、私にとってはトラウマ的出来事ですし、言葉による暴力でもあります。
 ただ、この例を「投影」という視点から振り返ってみます。この女性支援員は私をどう見ていたのでしょうか。「強い調子で頼み事をした」ことから、この女性支援員は「この男(=私)は女性である私を一部扱いしている。男女平等なのに許せない」と強く憤り、先の言葉を言い放ったのでしょう。しかし、「一部扱い」しているのはどちらでしょうか。言葉による暴力に及んだ女性支援員の方です。暴力は支配につながります。この女性支援員は私のような利用者を自分の一部のように支配したいと考えたのでしょう。しかし、思い通りにいかず、私に対して怒りや不満、戸惑い、無力感、恐怖や不安等を感じてしまった。このような考えや感情を認めることができず、私に「投影」した。そこから『「私が」一部扱いし支配しようとしている』『思い通りにならないので「私が」そのような感情を抱いている』と考えていたのでしょう。そして「私が」悪い人に見えたので、先の言葉を言い放ったというのが妥当と考えています。
 女性支援員の言動について著書を引用しながら整理しましょう。まず、女性支援員には「内側に何か危険なもの(ここでは女性支援員の考えや様々な感情)があるときに、それを外側(ここでは私)へと移動させる」「「投影」という作用」(いずれも同著P115)が働いています。そこでは「対象の分裂」(同著P123)が起きており、「悪い対象は、完全に悪い」「良い対象は完全に良い」(いずれも同)と「自分自身を分割」(同著P125)することになります。この「内側に何か危険なもの」(同著P115)を持つ「悪い対象」(同著P123)を女性支援員は認めることができず、「投影」して私を「悪い対象」(同著P123)と見なし「悪い対象は、完全に悪い」(同)と捉えたため、先の言葉による暴力につながったと言えるわけです。
 男女平等という視点から見ると、男性である私の言動が女性支援員を怖がらせたとは言えます。しかし、ここでは就労支援場面での支援員と利用者の関係です。支援員としての言動が問われるのですから、先に挙げた女性支援員の言葉は支援員としては明らかに度を越しています。悪いと認めたら何を言ってもいいわけではありません。
 今回取り上げた「投影」は支援関係では少なくないと私は見ています。利用者が「悪い対象」(同著P123)で支援者は「良い対象」(同)になりますと、その支援関係は滞り、気づかないうちに事態が深刻になり得ます。
 ここまでこの著書を読んで考えたことを整理してみました。最後にクラインによる健康な発達についての考えを引用して締め括ります。ここまで読んでいただいた方に心から感謝申し上げます。
 「人格の発達には、自己の良い面だけでなく悪い面も認められるようになることが必要である。自己の両面を認知する発達では、必然的に人格が統合され深みが増す」(同著P130)
 
 参考文献:『はじめてのメラニー・クライン グラフィックガイド』(松木邦裕監訳 北岡征毅訳 金剛出版)
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?