支援者を考える~ASD当事者の立場から その2

 Twitterで「支援者が充実してないと利用者に接することができない」という投稿がありました。確かにその通りだと思いました。でも何か違和感が残りました。どんな違和感でしょうか。
 『私の「トラウマ」体験その1』でのトラウマ的出来事を例に考えてみます。私が就労移行(飲食業)に通所していた時のことです。厨房で後片づけをしていた時、交渉担当の女性支援員がいました。私は手伝うように「強い口調」で頼みました。すると女性支援員は「一部じゃないんだぞ」と言い放ちました。
 「強い口調」に注目すれば、女性支援員の言ったことは「自分は女性なのにこの男性(=私)は力ない立場である女性を所有物のように見ている。許せない」と思ったから言ったと考えられます。そうすることで「支援者が充実して利用者に接すること」につながると思ったのでしょう。ただ、利用者である私はトラウマを被っています。どういうことでしょうか。
 今回の場面は就労移行という障害者が就労を目指すための福祉制度のそれです。そしてここでの関係は支援員と利用者です。即ち就労のための支援員と利用者の関係です。それ以上それ以下でもありません。しかしこの女性支援員は「女性という力ない立場」を持ち込んでいます。これは明らかに「アウト」です。支援員と利用者は非対称的(対等ではない)な関係であり、支援員が利用者を対等にする必要があります。対等にするには、支援員側に制約や縛りを相当掛ける必要があります。そうすることで初めて支援員と利用者は対等になり、専門的な支援ができるわけです。この場面では「職場での人への物事の頼み方」を教育・指導・助言できて初めて支援員としての役割を果たしていると言えるわけです。ということは、上記の女性支援員の言い方は言葉の暴力、仕事放棄、弱者権力等と言っていいでしょう。
 私は支援員が充実して利用者に接すること自体に反対ではありません。支援員は支援員として役割や責任がありますから、それを果たす必要があり、そのためにどうしたいいか考えましょうと言いたいだけです。そこに男性だからとか女性だからとか、人間だからとかいう要素は必要ないし関係ないと思います。支援員として充実した支援をしたいならば、力ある立場である支援員がそんなことを言うのは卑劣なことであり、そんな要素は排除してもらいたいものです。特に女性の支援員の方は自分が女性であるということ、つまり力ない立場であることを持ち込むことを厳に慎んでもらいたいと思います。そして男性女性問わず、支援員は利用者に支援をすることに徹してほしいと思います。
 ここまで「支援者が充実してないと利用者に接することができない」という投稿への違和感を考察してみました。支援者が充実するということは、男性女性等の余計な要素を排除して支援員ー利用者の関係に徹していくことであると考えています。
 支援職の方、特に女性の方には不快なことを書いたかもしれません。しかし、あなた方は力ある立場であることから利用者への生殺与奪とも呼べる権限と責任を持っています。力ある立場であるあなた方が徹頭徹尾支援員の役割を果たさないと、私のような利用者の将来に影を落とすことは忘れてほしくないと思います。
 ここまで読んでいただいた方に深く感謝申し上げます。
 

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