「怒らせる」についての考察~ASD当事者の立場から

 ASD(発達障害の1つ)の方々は、「怒らせる」ことが多いとよく言われます。でも、ASD当事者の1人としてはかなり違和感があり、理不尽とさえ思ってしまうのです。何故なのでしょうか。私の経験したことを例として出しながら、この「怒らせる」を考察してみましょう。
 例えば、『私の「トラウマ」体験 その1』で「一部じゃないんだぞ」と言い放った交渉女性支援員、まだ途中までしか書いていませんが「同性支援」での職員の言動、某大手企業の障害者雇用で「なぜできないの⁈」とキレてしまい、叱責を続けたそこの職場の責任者等・・・。「怒らせる」で思い出せば、キリがありません。ただ、ここには共通点があるのも事実です。それは「私」(障害者)がこの方々、つまり上の立場(力ある立場)を「怒らせた」という点です。そこでの「私」の立ち位置は下の立場(力ない立場)です。ということは、上の立場を「怒らせた」のだから、「私」の責任になるという構図が透けて見えます。下の立場に責任転嫁しているという点で、自己責任を押し付けているということになるでしょう。
 本来、上の立場(力ある立場)と下の立場(力ない立場)の関係は非対称的(対等ではない)です。だから、上の立場が下の立場を対等にする必要性があります。その分、上の立場には制限や縛りがかかり、責任が重くなります。そうすることで初めて対等な関係はできるということです。「一方的な関係じゃないか」と考える方もいるとは思いますが、社会での人との関係はこのような力関係に満ちているのも事実です(例:マウントやパワーゲーム等)
 先ほど「一方的」という言葉を使いました。それを避けようとして、例で挙げた上の立場(力ある立場)は「同じ人間同士だし、本来対等だからこのくらい言っても構わない」と考えて発言しているのでしょう。その考え方自体はおかしくありません。しかし、「おかしい」のです。それはこの方々の言動を受け止める相手が自分たちより下の立場(力ない立場)であるからです。それは下の立場に制限や縛りを相当掛けて責任を重くすることになります。ということは本来、上の立場がやるべきことを下の立場に押し付けていることにもなります。上記の考え方は本来、下の立場が抱くものです。それを上の立場が受け止めるのが本来の姿です。
 以上のことから、「怒らせる」ことをポジショナリティ(立場性)の視点から考えていくと、それは上の立場(力ある立場)が「対等な関係」を前提に「怒らせた」と言うことで、やるべきことを下の立場(力ない立場)に押し付けて、自分たちの責任を放棄していることを意味しています。そこで逆に、「上の立場が下の立場を対等にする」とすると、「怒らせた」のではなく、上の立場が「怒った」のであって、アンガーマネジメントが必要なのはこの方々であるということになります。「私」のような下の立場に、では決してありません。
 「怒らせる」というのは、基本的には上の立場(力ある立場)の都合次第です。なので、私はそれを避ける対策は特にありません(その時に平謝り等をするぐらいはしますが)。私にはそうさせないように先回りするよりも、ポジショナリティを踏まえた言動を取る方が余程上手くいくと考えています。
 ここまで読んでいただいた方に深く感謝申し上げます。

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