嘘をつくのはプライドのせい

昨日の文章を見返していると、自分がいかにプライドの高い人間かわかる。
私は恥ずかしい人間と自覚してるわりには、他人には恥ずかしい人間と思われたくないのである。大して実力もないし、協調性に関しては人並み以下なのに仕事が出来る人間と思われたい気持ちは人一倍強いようだ。

何のためにプライドは存在するのか。
そんな無駄なものは持たない方が良いと思っているのに、自分がいかに他人の顔色をうかがいながら生きているかがわかる。

嘘は嫌い。だけど嘘はつく。

さりげなく、だ。
自分をよく見せたいからなのか自然に物事を大げさに話す癖がある。
「あっ、また言っちゃった…」と心の奥底で思うのだが、歯止めが効かない。調子がいいときは、それもパフォーマンスだし、と割り切れるんだけど、気分がどん底の日はますます自分が嫌いになる。
後々罪悪感に襲われるくらいなら言わなきゃ良いのに。

他人の嘘にも敏感になる

自分が嘘つきなもんだから、他の人が嘘を付いてる時もわかるようになってくる。
目が泳ぐ、目が合わない、一瞬のどもり、声のテンションの変わり方、まるで自分を見てるようでしんどくなってくる。
でも本当は嘘なんてついてないかもしれない。全部私の妄想なのではないかと言う不安もある。
他人と話してるとき、他人が話してるのを聞いてるとき、この一連の流れが私の頭の中を駆け巡っている。

私は嘘が見抜けるのではない。

妄想癖があるだけかもしれない。

「わかりません」と言える人に憧れる

正直に「わかりません。」と伝えられることが自分にとって一番苦手だ。
幻滅されるのが怖いからだと思う。
あとは怒られたくない。
ここ2年で「わかりません。」をハッキリと伝えられる人に出会った。怒られても「わかりません。」を貫き通せる人だった。とても羨ましいと感じた。嘘ばっかりの自分より素敵な人だと思う。
自分は「わかりません。」が言えないことによって二度手間になることがある。

「わかりましたか?」
「…はい。」
「じゃあやってみてください。」
「…何でしたっけ?」

とういうことが多々。
その場で取り繕ってばっかりだ。
自分がいけないのに「わかりましたか?」が怖くなる。頭では非効率的なこととわかっていても嘘をつくことがやめられない。もう正直どうすればいいのか、わからない。

一人で行う仕事は正直になれる

私が一人で出来る仕事、それはセラピストだ。
リラクゼーションのスタッフは接客は基本的に一人で行う。他人の視線はもちろんあるが、飲食店のお仕事に比べたら他のアルバイトとの連携を求めるような協調性は少ない。
故にセラピストのアルバイト同士は程よい距離感が生まれる。
そのお陰かセラピストの仕事は一番長く続けられている。そして、お客さんに100%尽くせるところが楽しい。セラピストと自分の適性に関してはまた別の機会に挙げるとしよう。

自分とお客さんだけで接客が完結出来るお仕事はあまり病むことがない。正直、お客さんと自分はほぼ一期一会だから気が楽なのかもしれない。
仕事の相談を仲間にする時も接客を直接見られるわけじゃないから素直に相談できる。
つまり嘘をつく機会がない。嘘があるかないかで仕事のしんどさが決まることがわかった。

プライドの高さからくる嘘をつくような人間です

つまりそう言うことだ。
プライドなんて無くていいのに。
プライドの捨て方を知りたい。調べていこうと思う。